2021 devotion

小さい者たちへの愛
異邦人社会におけるキリスト者(2)

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【横路伝道師デボーション】

『小さい者たちへの愛』

マタイ25:40
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

A)「雨にも負けず」から学ぶこと(宮沢賢治の詩から)

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けない
丈夫な体を持ち 欲はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れず よく見聞きし
分かり そして忘れない
野原の林の下のかけの 小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供がいれば 行って看病してやり
西に疲れた母がいれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人があれば 行って怖がらなくてもよいと言い
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい

(宮沢賢治は熱心な仏教信仰者であったが、クリスチャンの斎藤宗次郎をさしてそういうものに私はなりたいと書いたと言われている)
 

 

B)斎藤宗次郎の生涯(岩手県花巻市出身1877〜1968)

   〜試練と苦しみの中での立派な振る舞い〜

23才の時、宣教師から洗礼を受ける
*キリストの証人としての生き方を貫く(養父の葬儀、神社お寺への態度)
*新聞取次店を始める(牛乳配達も)
*み言葉と祈りの人
*質素と勤勉
*町の小さい者、弱い者たちへの、立派な振る舞い
*小学校通学路の雪かき、助けの必要な人々に手を差し伸べる
*内村鑑三の世話をするため東京に転居
*駅に見送りに来た人々(その中に宮沢賢治もいた)
*このような人になりたいと言わせるほどのキリストの証人
 

 

C)適用

(1)私たちができる小さな立派な振る舞い
ルカ6:36
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。

(2)具体的私たちにできることは何か
ローマ12:15
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

(3)私たちの成長を期待し待っておられる神様

(4)主と共に、与えられている場所で忠実に生きる
 

 

【今年の目標聖句】(第1ペテロ2:12)
異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。

 

【辻和希伝道師デボーション】  

『異邦人社会におけるキリスト者(2)』
   〜キリストに倣うしもべの姿勢〜

第1ペテロ2:18〜20
しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。 善良で優しい主人に対してだけでなく、 横暴な主人に対しても従いなさい。人がもし、不当な苦しみを受けながらも、 神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

◆服すべき立場に置かれている態度 

 ・尊敬の心を込めて
  →神を畏れる心をもって

 ・横暴な主人に対しても

 ※神の前における良心のゆえにどのようなことも耐えることができる。
  それは神の好意にあずかることになる。(マタイ5:10〜12)

 

第1ペテロ2:21〜25
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

◆キリストもしもべとなられた

・我々の罪のための完全な身代わり(ピリピ2:7〜8)

・善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶことの模範となられた。

※キリストご自身が模範を示され、私たちの希望と励ましになってくださった。

◆まとめ
不当な苦しみを受けたとき、キリストを模範として耐え忍ぶ者を神は喜ばれる。この地上でどのような主従関係にあろうと、私たちの真の主人は私たちのたましいの牧者であり監督者である神のみである。


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