【熟慮断行】
不足がないようにしっかりと考え抜いた上で、固い決意を持って行動すること。
ピリピ2:6〜7
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです 。
1.なぜ、キリストがこの世に来られたのですか?
ルカ19:10
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。
2.何から救われるためですか?
使徒2:40
ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。
3.どうして人の姿で来られたのですか?
ヘブル2:14〜15
そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
4.どうしてキリストの死が救いをもたらすのですか?
A) |
ヘブル9:12
また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
|
B) |
第1テモテ2:6
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
|
5.なぜ、救いと解放が与えられたのですか?
ガラテヤ5:13
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
【デボーションポイント】
|
◎神に愛されている者として、熟慮断行の歩みを目指す。 |