【居愛待憐】
神の愛のうちに居り、あわれみを待ち望む(造語)
ユダ1:21
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
1.「居愛待憐」のこころがけ
ヤコブ4:15
むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」
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A)第1コリント6:20
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
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B)第1コリント12:27
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
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C)ガラテヤ2:20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
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2.「居愛待憐」への助け
ヘブル4:16
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
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A)伝道者の書3:11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
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B)ローマ8:26
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
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【デボーションポイント】
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神の敵であった罪深い私たちをあわれんでくださったキリストのあわれみを、どんなときでも思い出しましょう。
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