2006  devotion

跳梁跋扈 ちょうりょうばっこ
好ましくないものが、思うままにのさばり、はびこるようす。 

 

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ユダ1:17〜18
愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」

10月2日(月)〜10月7日(土)
下記のポイントから自由にデボーションしてください。 
 

不敬虔な者に悩まされることの多い時代に生きている私たち。この跳梁跋扈の中でのクリスチャン生活の目的は何でしょうか? 的外れの生活にならないように心がけていきましょう。


1.多くのみを結ぶための刈り込み

ヨハネ15:2
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

『多くの実を結ぶための刈り込み』とは、『きよめ』の意味です。
素晴らしい実を結ぶために、実りの妨げとなる枝は取り除かれるのです。
『ぶどうの実』がキリストによって救われた人々だとすれば、刈り込みによって取り除かれるものとは何でしょう!
私たちは、人々の救いのために『きよめ』を受けるのですね。

2.出かけて行って実を残す

ヨハネ15:16
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

跳梁跋扈の世界に出ていく理由は、悩まされている神の小羊たちのためです。
そのような世界で敬虔に生きる私たちの姿を見て、信じた人々が勇気をもって敬虔に歩むことができるなら、的を射た人生と言えるでしょう。

3.私たちが「一つ」となる

ヨハネ17:21
それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。

不敬虔な者たちが多くはびこるからこそ、誠実な神を畏れる者たちが一致団結することができるのではないでしょうか。
主を畏れる者たちが互いに非難しあうことは、不敬虔な者たちの思う壷です。

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