■2026年7月12日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)
父なる神に向かう礼拝
主題聖句(ローマ8:14~15)
神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
ここまでの2週で、私たちは礼拝について見てきました。「主の前に立つこと」そして「霊とまことによる礼拝」です。
今日は、もう一歩進みます。それは、「その神を、私たちはどのような方として礼拝しているのか」です。ここがはっきりすると、礼拝の質が変わります。ローマ人への手紙8章14-15節から見ていきます。
まず一つ目、「奴隷の霊ではない」とあります。奴隷とは、恐れに支配されている状態です。神に近づくときも、怒られるかもしれない。拒まれるかもしれない。ちゃんとしなければならない。そのような恐れの中にいる姿です。
しかし、私たちはそうではありません。二つ目のポイントに、「子とする霊を受けた」とあります。ここで、はっきりと立場が変わっていることがわかります。
私たちは、遠くから仕える者ではなく、神の家に迎えられた子とされました。もう外の人ではなく、家の中にいる存在です。
さらに三つ目のポイントして、「アバ、父と呼ぶ」関係にあることがわかります。これは知識ではなく、関係です。神を「父」と呼ぶことができる。しかも「アバ」という、とても親しい呼び方で。
つまりこの箇所は、私たちがどのように神に向かうのかを示しているのです。恐れからではなく、子として、父に向かう姿こそが、まことによる礼拝なのです。
ここで一つ、イメージしてみてください。最近のスポーツ、特にワールドカップなどを見ていると、選手だけでなく、ファンもユニフォームを着ています。同じ色、同じデザインを身に着けて、「自分はこのチームの一員だ」と表します。周りから見ても、「あのチームの人だ」とすぐに分かります。これはとても分かりやすい“所属”の表現です。では、私たちは、何の“ユニフォームを着ている人”でしょうか。神のユニフォームと言いたいところですが、私たちは、神のファンとして礼拝に出席しているのでしょうか。いえ、私たちは神の子だから父なる神を礼拝しているのです。
子どもはユニフォームを着なくても、すでに家族なのです。私たちは、神のファンではありません。神の子です。だから聖書は言います。「奴隷の霊ではなく、子とする霊を受けた」
奴隷は恐れで動きますが、子どもは違います。愛されている前提で、近づきます。だから、「父」と呼ぶことができるのです。ここで、礼拝をもう一度考えたいと思います。
私たちの礼拝は、どちらになっているでしょうか。ちゃんとやらなければ。正しくしなければ。間違えてはいけない。
もしそうなっているなら、それはどこかで、奴隷の礼拝になっているかもしれません。
しかし本来、礼拝はそうではありません。子として、父に向かうものです。父の前に来るとき、恐れではなく、安心があります。
拒絶されるかもしれないではなく、受け入れられているという確信があります。だから礼拝は、義務ではなく、関係から生まれます。私たちは、父に向かって礼拝しているのです。
これまで見てきたように、礼拝は「主の前に立ち」「御霊と真理」によるものです。
今日もう一つ加えます。それは、「どのように立つか」です。奴隷としてではなく、子として立つ。恐れではなく、愛の中で立つ。そして、呼びかけるのです。「父よ」これが、父なる神に向かう礼拝です。