■2025年9月7日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)
御霊によって築かれる真の家族 up 2025.9.7
主題聖句(マルコ3:35)
だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。
今日の主題はイエス様が語られた「新しい家族」についてです。マルコ3章20節から30節には、イエス様の家族と宗教権威との対立の様子が記されています。
イエス様は、血縁の家族からも「気が変になった」と言われ、理解されませんでした。また、律法学者たちは「ベルゼブルの力によって悪霊を追い出している」と非難しました。しかしイエス様は、御霊の働きを否定することはできない、と教えられました。この箇所は、御霊の働きは人間の思惑や誤解に左右されないことを示しています。
その後、イエス様の母と兄弟たちが外で待って呼びました。多くの人が血縁の家族が呼んでいることを見て、家族としてのつながりを意識する場面です。しかし、イエス様は答えられます。
「だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」
ここで示されたのは、家族の本質は血縁や形式ではなく、神のみこころに従う者の共同体にあるということです。イエス様は、従来の血縁中心の家族観を超え、御霊による家族の原則を明確に示されました。
では、現代の教会はどうでしょうか。教会の形や規模はさまざまです。
小規模な日本の教会では、日常的な交わりや家庭的な関係を築きやすいです。
一方で、大規模なメガチャーチでは、礼拝後に次のチームが練習するため、教会全体でランチや日常の交わりを持つことは難しいかもしれません。
しかし、ここで大切なのは形や規模ではありません。イエス様が示された家族の基準は、みこころを行うかどうかにあります。御霊に導かれて神のみこころを行うとき、規模や形式に関係なく、その共同体は真の「家族」となります。
1ヨハネ1:3にはこうあります。
「私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」
交わりとは、単に楽しい時間を共有することではなく、互いに愛し合い、神の目的に心を合わせ、支え合うことです。つまり、隣人愛の究極の形が家族愛であり、みこころを行うことによってそれが実現するのです。
では、具体的にどのような教会が「みこころを行う家族」といえるでしょうか。
互いの困難や喜びに心を注ぎ、支え合う。
隣人の必要に関心を持ち、祈り合う。
個人的な親密さや血縁に依存せず、御霊に導かれた協力と一致を重んじる。
このような教会は、規模や構造にかかわらず、御霊による家族を形成します。私たち一人ひとりが、御霊の導きに従い、互いに愛を注ぐこと。それが、家族として神に喜ばれる共同体の実践です。
イエス様の言葉をもう一度心に刻みましょう。
「だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」
家族の形は一つではありません。血縁や役割に依存せず、御霊によって導かれ、みこころに従う一致があれば、どんな教会も真の神の家族として生きられます。
今日、私たちはそれぞれが御霊に従い、隣人に愛を注ぎ、協力してみこころを行うことで、神の家族の一員として歩むことができるのです。