■2026年5月3日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)

開いて迎える教会

 
 

主題聖句(使徒1:4~5)
使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」


 

 ペンテコステが近づいてくるこの時期、教会の中で「聖霊」というテーマが語られることが多くなりますが、
 
 今日は、「何が起きるのか」ではなく、「私たちはどう神に向き合うのか」そこに目を向けていきたいと思います。

(使徒1:4–5)
使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」

 イエス様は弟子たちにこう言われました。「エルサレムを離れないで、父の約束を待ちなさい」これは提案でなく命令であり、方向を示された言葉でした。
 
 しかし、この時の弟子たちは、すべてを理解していたわけではありません。それでも彼らは、エルサレムにとどまりました。
 ここに一つの大切な姿があります。それは、「理解していたから従った」のではなく、「信じたからとどまった」
という姿です。
 
 ここで、私たちにとってとても大切な整理をしたいと思います。弟子たちは、「これから与えられる約束」を待っていましたが、私たちは、すでに聖霊が与えられている時代に生きています。
 
 神様はすでに、私たちに助け主なる聖霊と送ってくださり、私たちの内に住んでくださっています。

 ですから、私たちは「聖霊を待つ」のではなく、「聖霊に対して、自分を開くこと」をすることが大切です。これが、今の私たちにとっての「待つ」にあたる姿です。
 
 私たちは時に、自分の理解で神様を測ろうとします。
しかし、気づかないうちに心を閉じてしまうことがあります。だからこそ、今問われているのはこうだと思います。

 私たちは、「何かが起きるのを期待する教会」なのか。
それとも、「聖霊に対して開かれている教会」なのか。これは、とても大きな違いです。何かが起きることを求めると、起きなければ失望します。期待通りでなければ戸惑います。
 
 しかし、聖霊に対して開かれているなら、どんな時でも、聖霊との関係は続いていきます。

 今日、私たちにできることは、とてもシンプルです。すべてを理解することではなく、完璧になることでもありません。
 
 ただ一つ、「閉じない」ことです。分からなくて、不安があっても、閉じなければ、聖霊は必ず働かれます。

 ペンテコステに向けて、何かを起こそうとするのではなく、私たち自身が、聖霊に対して開かれた教会でありたいです。すでに共におられる方に、もう一度、心を開きましょう。