■2026年1月11日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)

見られる信仰、あがめられる神

 

主題聖句(第2コリント3:17~18)
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 2026 年、2 回目の日曜礼拝を迎えました。
 先週、今年の最初の礼拝で、主任牧師から 2026 年のモットー「御霊による働き」、そして年間聖句として マタイ 5 章 16 節 が示されました。
 今日は、そのモットーそのものを詳しく語るというよりも、私たちがどのような視点と姿勢で、この一年を歩んでいくのか、その土台を一緒に確認したいと思っています。
 私たちの教会は、長い時間をかけて、一つの流れの中を歩んできました。
 
 2024 年は「御霊によって歩もう」
 これは、日常の中で、考え方、選択、態度、生き方そのものを御霊に委ねて歩んでいこう、という招きでした。

 2025 年は「ビューティフル・コミュニティ」
 御霊によって歩む一人ひとりが集められ、美しい交わり、分かち合い、共同体が形づくられていく。

 そして 2026 年、「御霊による働き」
 これは突然、何か新しいことが始まる、というよりも、内側での歩みが、やがて外側に現れていく、その自然な深化だと受け取ることができます。御霊によって歩む。その歩みが積み重なると、御霊による「働き」として現れていく。今日は、その「現れ方」について、聖書から学びたいと思います。

 主題聖句の中で、とても大切な言葉があります。それは、「反映する」という言葉です。
 私たちは、光そのものではありません。光源ではないのです。私たちは、鏡のように、主の栄光を反映する存在です。鏡は、自分で光を放ちません。向けられている方向によって、何を映すかが決まります。

 同じように、私たちの信仰、行い、生き方が輝くとき、それは「自分がすごいから」ではありません。聖書ははっきり言っています。「これは、主の御霊の働きによるのです。」変えられるのも、用いられるのも、影響が与えられるのも、すべて 主の御霊の働き です。
 
 ここで、ひとつ大切な確認があります。御霊の働きは、私たちを目立たせるためのものではありません。御霊は、人を有名にするために働かれるのではありません。御霊は、人を誇らせるために働かれるのでもありません。御霊が働かれるとき、最終的にあがめられるのは、いつも神ご自身です。

 そのことが、はっきり現れている場面があります。使徒 3 章です。美しの門で、生まれつき足の不自由な人が癒されました。誰の目にも分かる、明らかな奇跡です。

 人々は驚き、ペテロとヨハネを見つめました。そのとき、ペテロはこう言いました。「なぜ、私たちを見つめるのですか。」ペテロは、注目を集めることを喜びませんでした。
 「私たちがやったのではない」「私たちを見るな」これが、御霊に満たされた人の自然な反応です。御霊の働きは、人の視線を人に集め続けません。むしろ、神に向けて、そっと戻していくのです。

 年間聖句であるマタイ 5 章 16 節には、こう書かれています。
「人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるためです。」
 信仰は、見られます。生き方も、見られます。しかし、あがめられるのは、私たちではありません。父なる神です。これが、御霊による働きの方向です。

 2026 年、私たちは無理に目立とうとしなくていい。成果を演出しなくていい。ただ、御霊によって歩み続ける。そうすると、主の御霊が、必要な形で、必要なところに、光を反映させてくださいます。そして、その光は、必ず神の栄光へと戻っていきます。
 「すべてのことが、神から出て、神によって成り、神に至ります。栄光が神にありますように。」アーメン。