■2026年3月15日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)
十字架へ向かうイエス
主題聖句(ルカ9:51~62)
さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。
イエスは顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。
最近、私の周りでいくつもの「人生の節目」がありました。先日、長男の高校の卒業式がありました。三年間の歩みが終わる寂しさがあると同時に、新しい人生へ送り出される喜びもあります。
同じ時期に、教会では長く共に信仰を歩んできた姉妹が天に召されました。私は牧師として、初めて告別式を司式する機会をいただきました。人生の終わりという場面に、牧会者として立つことの重みを感じました。
人生にはいくつもの節目があります。聖書を見ると、イエス様の人生にも一つの決定的な節目がありました。それが「十字架へ向かう時」です。今日の聖書箇所は、その場面です。
ルカ9章51節にはこう書かれています。
「さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。」
ルカの福音書はこの場面から大きく方向を変え、これまでガリラヤで宣教をされていたイエス様は、エルサレムへ向かって旅を始めます。その旅の終わりには十字架があります。この「御顔をまっすぐ向けられた」という言葉は、非常に強い決意を表す表現です。後ろを振り向かない、揺るがない決意です。
イエス様は、この先に何が待っているかを知っておられました。裏切り、嘲り、鞭打ち、そして十字架。それでもイエス様はエルサレムへ向かいました。偶然でもなく、流れに押されたのでもありません。イエス様は自ら十字架へ向かわれました。なぜでしょうか。その答えをイエス様ご自身が語っておられます。
「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、
また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10章45節)
イエス様は、自分の命を与えるために来られました。つまり十字架は救いの計画でした。
その旅の最初に起こった出来事が、サマリヤの村での出来事です。イエス様は弟子たちを先に送り、サマリヤの村で宿を取ろうとされました。しかしその村の人々は、イエス様を受け入れませんでした。当時、ユダヤ人とサマリヤ人の間には深い対立があったため、サマリヤ人は、エルサレムへ向かうイエス様を拒絶したのです。その時、弟子たちは怒りました。ヤコブとヨハネは言いました。「主よ、私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」とても過激な反応です。しかしイエス様は彼らを叱られました。なぜでしょうか。イエス様が来られた目的は、滅ぼすことではなく、救うことだったからです。拒絶されても、侮られても、敵意を向けられても、イエス様は十字架へ向かう歩みを止めませんでした。
弟子たちは、エリヤのように火を降らせて敵を裁くメシアを期待しましたイエス様は違いました。イエス様は火を降らせるためではなく、十字架にかかるために来られたのです。ここに、イエス様の愛の深さがあります。
興味深いことに、このサマリヤ人の拒絶のすぐ後で、イエス様は「善いサマリヤ人」のたとえを語られます。弟子たちはサマリヤ人を敵と見ましたが、イエス様は、彼らを隣人として見るように教えられたのです。
そしてこの後、三人の人がイエス様に「ついていきます」と言います。ここで見えるのは、イエス様の決意と、人間の迷いの対比です。イエス様は十字架へ向かって進んでおられます。しかし人間は迷います。「ついて行きます」と言いながら、心のどこかでためらっています。
私たちも同じです。信仰を持っています。しかし迷い、時には立ち止まります。後ろを振り返ることもあります。しかし今日覚えたいことがあります。それは、私たちの決意が救いを生んだのではなく、イエス様の決意が、私たちを救いに至らせたということです。
私たちがまだ弱かったとき、まだ迷っていたとき、まだ罪人であったとき、イエス様は十字架へ向かって歩き続けられました。それが福音です。そしてその愛を知るとき、私たちの心にも一つの変化が起こります。最初は「お客さん」のようだったかもしれません。礼拝に来て、神様の恵みを受け取り、祝福をいただく。それも大切です。しかしイエス様を知れば知るほど、こう思うようになります。「この方について行きたい。」それが弟子の歩みです。無理に背負う重荷ではありません。愛への応答です。イエス様は、私たちのために十字架へ向かいました。
イエス様は、私たちを救うために十字架へ向かう決意をされました。私たちの決意が救いを生んだのではなく、イエス様の決意が私たちを救ったのです。だから私たちは、この愛に信頼し、この方について歩んでいきます。
そしてこの旅は、まだ続いていきます。この道はエルサレムへ向かい、そこには十字架があり、墓があります。しかしそれで終わりではありません。復活があります。
あと三週間でイースターを迎えます。十字架は敗北ではありません。救いの勝利です。イエス様は十字架へ向かいました。わたしたちのために。だから私たちはこの方に信頼します。そしてこの方について歩んでいきます。