■2025年11月9日 日曜礼拝メッセージより(牧師 辻 和希 師)

御国が来ますように~神の国が始まった日~

 
主題聖句(マタイ6:10)
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。



 皆さん、クリスマスが近づいてきました。
 前回は「喜び」をテーマにお話ししましたが、今日は「期待」という言葉を中心に語りたいと思います。

 いま、日本でも政治や経済に変化が求められる中で、多くの人は「新しいリーダー」に期待していると思います。人々が期待を抱く背景には、現状への不安や閉塞感があります。

 そして、イエス様が誕生された時代も、まさに同じでした。イスラエルの民も、ローマ帝国の支配の中で苦しみ、「いつ神が救ってくださるのか」「いつメシヤが来るのか」そうやって、神の国が来ることを待ち望んでいたのです。

 イエス様は主の祈りの中で、こう教えられました。
「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」(マタイ6:10)

 この祈りは、単に「天国に行けますように」という意味ではありません。「神の国」とは、神の支配・神のご意志が現実の中に実現することを意味します。つまりイエス様は、「神様、あなたの支配がこの地上でも、私たちの現実の中でも現れますように」そう祈りなさい、と教えられたのです。
そしてイエス様は、同じ山上の説教の中でこう言われました。
「まず神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6:33)

 “まず”――これは、“最優先に”という意味です。つまり、「あなたの人生の中心に、神の支配が広がることを求めなさい。」「自分の思いではなく、神の御心が行われるように生きなさい。」それがイエス様の願いなのです。
 
 神の国を求めるとは、「神様、あなたの支配が私の心に、家庭に、職場に、そしてこの社会に現れますように」と祈ること。それが、信仰者の生きる方向なのです。

 旧約聖書を振り返ると、神様は何度も人々の歴史に介入されました。アブラハムを選び、モーセを立て、イスラエルを導き、預言者たちを遣わされました。
 
 けれども、それはあくまで部分的で一時的な介入でした。神様のご支配は断片的にしか現れず、人々はなおも罪と死の支配の中にいました。しかし、預言者たちは語りました。
「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」(イザヤ9:6)

 旧約の時代の人々は、この約束に希望をかけていました。彼らは待っていたのです。神の国が本格的に始まるその日を。

 そしてついに、クリスマスの出来事が起こります。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)

この言葉は、単なる救いの宣言ではなく、神の国のスタート宣言でした。イエス様が誕生された瞬間、天の軍勢はこう歌いました。
「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)

 天と地がこの瞬間、ひとつに結ばれました。神の支配、つまり神の国が、この地上に突入したのです。
 
 ヨハネ1:14にはこうあります。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」
 旧約では、神の臨在は幕屋や神殿の奥にありました。しかし今や、神ご自身が人の姿をとり、人のうちに住まわれました。神の国は、遠い天の彼方ではなく、人の間に現れたのです。

 イエス様の誕生と十字架と復活によって、神の国は確かに始まりました。しかし、罪と死が完全に滅ぼされるのは、イエス様の再臨の時です。私たちはその「間」に生きています。

 神の国は始まったが、まだ完成していない。だからこそ、私たちは今日も祈ります。
 「御国が来ますように。」

 現代の日本に生きる私たちは、何に期待を置くべきでしょうか。人生の成功でしょうか?死後の報いでしょうか?もちろん、それらも大切な希望の一部です。でも、イエス様が語られた「神の国」はもっと今を生きるものです。神の支配が現れること、この社会の中に神の愛・平和・義が少しずつ広がること、人々の心に天の秩序が回復すること。それが、神の国が来るということなのです。そして、私たちの“期待すべき希望”なのです。

 だから私たちは祈ります。
 「神の国が、日本に来ますように。」
 「私の家庭に来ますように。」
 「私の心に、職場に、教会に、来ますように。」

 クリスマスとは、神の国の物語が始まった日です。旧約では、神の国は約束でした。クリスマスに、その約束は現実になりました。そして再臨によって、神の国は完成します。

 私たちはその途中を歩んでいます。だからこそ、「まず神の国とその義を求めなさい」とイエス様は言われたのです。