■2025年6月8日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)
主よ、私のうちに来てください
主題聖句(ルカ11:13)
それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。
今日はペンテコステ、聖霊が注がれた日を記念する、教会にとって特別な日です。
イエス様の十字架と復活ののち、天に昇られた主は、約束どおり「助け主」としての聖霊を私たちに送ってくださいました。
でも、こう思う方もいるかもしれません。「自分は聖霊のことをよくわからない」「異言もないし、何か特別な体験もしていない」と。聖霊は、特別な人のための特別な力ではありません。聖霊は、信じるすべての人に与えられる神のご臨在なのです。
1. 聖霊は「人格」であり、「神ご自身」
まず覚えておきたいのは、聖霊はエネルギーや雰囲気ではなく、「神ご自身」だということです。
「助け主(カウンセラー)」として、私たちのそばに、そして内に住まわれる神です。ヨハネ14章では、イエス様は「もう一人の助け主を、あなたがたに与える」と語られました。これは「イエス様の代わりに来る神ご自身」という意味です。つまり、今日、私たちが「聖霊に満たされる」とき、それは神との親密な関係が深まるときなのです。
2. 聖霊は「求める者」に与えられる
もう一度、今日の聖書箇所を読みます。
「それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
これは、私たちが完全になったから、きよくなったから与えられるのではなく、「求める者」に惜しみなく注がれる」という約束です。
本来は聖霊の満たしに値する人なんて、誰もいません。しかし、「主をもっと知りたい」「もっと近づきたい」という思いを持つ人には、神は豊かに応えてくださるのです。
3. 満たされるとは「御霊の支配に自分を明け渡すこと」
エペソ5:18ではこうあります。
「酒に酔ってはいけません…御霊に満たされなさい。」
ここでの「満たされる」とは、コップに水を注ぐような一度きりの出来事ではなく、「常に支配されて生きること」「主権を渡すこと」を意味します。つまり、「自分の人生の主導権を、神に明け渡す」という決断でもあります。
4. 「何かが起きる」よりも「心が開かれているか」が大事
私たちは、主の御前に出て聖霊を歓迎する祈りの時間を持つとき、「異言を語れるようになるのか?」「何か感じるのか?」と考えてしまいます。しかし、そういうことよりも、大切なのは「主に心を明け渡しているかどうか」です。
ペンテコステの日、弟子たちは「いつも心を一つにして祈っていた」と書かれています(使徒1:14)。
そこから、神の働きは始まったのです。
ですから今朝、私たちも静かに心を開いて、主にこう告白したいと思います。「主よ、私のうちに来てください。あなたの霊によって、私を満たしてください。」
祈りましょう。「もっとあなたを知りたい、あなたの力ではなく、あなたご自身と共に歩みたい」と。