■2022年11月27日 日曜礼拝メッセージより(横路 満弘伝道師)

世に光としてのかおり

主題聖句(ヨハネ8:12)
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」


1)世の光~宣教祈りの集い(2022年4月25日) 
 「ひとりの人の救いを祈り求めて」
 岩井基雄ラジオ牧師メッセージより
(ヨハネ4:35)
「あなたがたは『まだ4か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」
 
 このような素晴らしい集会にお招きくださり感謝致します。
 ラジオで様々な情報が流れています。多くの方々が苦しさや悲しみや痛みを抱えて、その情報の中から真理や希望、自分の心に力を与えるものを探している、そんな時代に私たちは生かされています。
テレビを見ても、悲しみや痛みを覚えるそんな情報が流れる中で、私たち真理を知る者、希望を知る者は、祈りを深めるという恵みの時を与えられていると思わされます。
 今コロナが、放送に向かう方々を起こしています。インターネットや様々なアプリにより、特に若い方々の視聴者が増えていることも不思議です。彼らは学校に行くことが出来ない、友に出会うことができない、孤独を抱える中で本当のぬくもりを探している、そんな渇きがお手紙の中でも伝わってきます。
 私たちは、主イエス様が何を為してくださったのか、何を為せと私たちに語りチャレンジをしてくださっているのか、それをあらためて聞く必要があると思います。
 「目をあげて畑を見なさい。」イエス様が弟子たちを招かれた、その時に見えたものは何でしょうか。それは、サマリアの女性を筆頭にして、町の人々がイエス様のところにやって来る姿でした。
五回結婚して五回破れ、今は結婚相手ではない男性と暮らしているというその女性、町の人たちは早朝か夕方の涼しい頃に井戸の水を汲みに来るその所に、彼女は真昼間、人目を避けるようにして水を汲みに来ています。
 イエス様はその一人の女性に出会うために、ユダヤ人の嫌うサマリヤを通り、真昼間の暑い最中、その井戸の所に座っておられました。 そ  して、彼女に声をかけ、水を飲ませてくださいと依頼されました。 皆さん、私たちはどこまで人にお仕えすることが出来るでしょうか。人々から見下げられ、深い傷を受けた彼女に、イエス様はより低く、「私に水を飲ませてください」とお願いされたのです。
 「ユダヤ人なのに、サマリヤ人の私に頼むのですか」と彼女は驚いて問い返します。イエス様は「私が与える水をあなたが飲むならば、あなたの内から生ける水があふれるようになる」と答えられ、女性は「そんな水があるのなら私にください」と願い出ます。するとイエス様は「あなたの夫をここに呼んで来なさい」と、彼女の最も触れられたくない所にズバッと触れていかれます。何と不思議なことに、そのことを通して彼女の心は開かれていったのです。
 彼女は町に行って「私のことを全部言い当てた人がいます。この人がキリストなのでしょうか」と人々に知らせ、そして町の人々が彼女の後についてイエス様の所にやってきたのです。その姿こそ「目をあげて畑を見なさい。」という招きでした。
 皆さんの人生の中にも、皆さんの家庭の中にも、教会の中にも、そのような大きな恵みに出会った方々がいらっしゃるでしょう。その方が救われるために、どれほどの祈りと犠牲が捧げられてきたことでしょう。先に福音の種を蒔いてくださった方がいて、犠牲を払ってくださった方がいて、今の私たちがあるのです。
 今、私たちには様々な方法が与えられています。教会に行くと石を投げられるようなことはありません。たとえ教会に来なかったとしても福音を聞くことができる、そういう恵みの時代の中にいます。
 人々の心は渇いて本物を求めています。その「本物」を、すべての国のすべての人々に伝えてほしいと、イエス様は弟子たちにその使命を託されました。彼らが有能だったからではありません。彼らは本当に砕かれて、聖霊に満たされて、主の恵みに生かされて、主の復活の事実に大いなる希望を与えられて、そして「キリストのよみがえりの勝利」を伝えたのです。
 私たちは、イエス様の福音に先に出会い、イエス様のよみがえりの勝利を先に教えられた者です。どんな苦しみや悲しみがあろうとも、死さえも私たちは恐れる必要はありません。イエス・キリストがよみがえってくださったから、私たちはそれを大胆に証ししていくことができるのです。
 蒔く者は刈ることの恵みがわからないかもしれません。刈る者は蒔くことの犠牲を知らないかもしれません。しかし刈り取ることの喜びがあります。主の御心は、蒔く者も刈る者も両方が共に喜ぶことです。「神様のみこころを行うことが私の食べ物です」と仰ったイエス様の御旨に従っていく、それが、先に福音の恵みにあずかった私たちの使命ではないでしょうか。
 どんな人たちがあなたに委ねられているでしょうか。あなたの周りに、どれほど多くの渇いた方々が、痛んだ方々が、悲しむ方々が、でも本物を求めておられる方々がおられるでしょうか。イエス様の愛を先に知った者として、何とかしてこの恵みを、この希望をその方々に届けたいと思うのです。
 その方法の一つとして私たちはこの放送伝道のために用いられています。悲しみや痛みが人々を本物へと導いています。たまたま点けたラジオで福音に触れる、たまたま紹介されたものでイエス様に出会う、どんな方法でもかまいません。蒔く者と刈る者がともに喜ぶ、そしてキリストの教会が建て上げられていく、その為に生かされていきたいと思います。

2)ラジオ世の光 辻秀彦先生メッセージ(2022年10月28日)
憐れみは人を生かす(エペソ2:4-5)
「しかし、憐れみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは、恵みによるのです。」
 少年院から出所してきた二人の少年がいました。才能と能力を備えていた二人は、その力を悪いことのために使っていたのです。孤児院に預けられた二人の少年の所に、ある金持ちが訪れ、二人を見て深くあわれみ、ぜひ引き取りたいと申し出ました。一人は、やり直せるチャンスだと思って喜んで受け入れ、もう一人は金持ちに憐れまれたくないと言って断ってしまいました。
 十数年後、この孤児院を支援したいという人が現れました。その人はあの金持ちに引き取られていった少年でした。彼はその金持ちの息子となり、相続者となっていたのです。
 二人のうち、人生をやり直せたのはどちらでしょうか。それは金持ちの深いあわれみを信じ受け入れた少年です。自分の力ではどうにも出来ない状況から救われるには、あわれみを受けることです。
 この世は様々なむさぼり、即ち貪欲に振り回されている人々が満ちています。この貪欲のゆえにあらゆる不幸な出来事が起こります。人は貪欲の奴隷であり、自分ではどうすることも出来ないのです。
 そのような私たちをキリストは深く憐れんでくださり、貪欲の奴隷から解放するために代価を払って買い取ってくださいました。その代価とは、ご自身の罪のないきよいいのちのことです。約二千年前イエス・キリストは十字架で死なれ葬られ三日目によみがえられたことによって代価の支払いが完了したのです。
 キリストの深いあわれみを信じて、貪欲から解放された新しい人生を歩んでみませんか。キリストの深いあわれみは今もすべての人に注がれ続けています。アーメン 

3)イエス様は世の光、また私たちも世界の光(横路伝メッセージ)
(マタイ5:14-16)
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れることが出来ません。また、あかりをつけて、それを桝の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようにしなさい。」

◎光と闇の性質
 今日の主題聖句(ヨハネ8:12)で、イエス様はご自身が世の光であることを宣言されています。また(マタイ5:14-16)では、あなた方は世界の光である、と私たちのことも光であると宣言してくださっておられます。「光」とはどういうものでしょうか。

(1)光は、みことば
 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」と詩篇119:105にあるように、みことばは道を照らす光のように、私たちの人生の正しい方向を教えてくれます。また足元が照らされれば、石につまづいたり、穴に落ちたりすることもありません。私たちはみことばに照らされた安全な人生を歩むことが出来ます。イエス様ご自身が光であるように、イエス様を信じる者も同じような者となっていると言われています。

(2)光は、神ご自身
 天地創造の初めに神様は「光あれ」と命じられて、光が存在しました。光があるので、生物は生きて元気に成長できます。神ご自身が私たちに生命を与えて私たちを守り成長させてくださっておられます。

(3)光は、イエス・キリストご自身
 ランプは油を燃やして光や熱を出しています。油は燃えて消費される犠牲の様なものです。イエス様も私たちのために十字架で犠牲を払ってくださり、私たちに永遠のいのちをくださいました。私たちも同じように愛の犠牲を払うことが出来る者と変えられていきます。光は犠牲を払うものであることを覚えていきたいと思います。

◎光は救いの恵みです
 私たちの内に聖霊様によって愛が注がれ、御霊の賜物が実ります。9つの御霊の実(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)が内で輝くとき、私たちは世の光としての香りを放つ者となっていきます。

◎光を枡の下に置かない
 光は隠すためでなく輝くためにあります。御霊の実である9つの賜物を私たちは輝かせたいと思います。
 「土の器」という賛美があります。私たちは、ヒビや欠けのある土の器です。しかし、だからこそ、器の中に注がれたイエス様の愛と光が、そこから外に漏れ輝き、流れ出て、周りの人たちを生かし潤してくれるという歌です。私たちは自分が欠けの多いものであるからといって失望する必要はありません。むしろ、こころ砕かれて、イエス様の注いでくださった愛と光を、聖霊様によって外に流し出せる者であることを感謝したいと思います。

【デボーションノート】
(1)主が今日、私に語られていることは何でしょうか。
(2)私が今日から実行したいことは何でしょうか。