■2026年4月19日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
肉の働きを制する
主題聖句(ローマ8:13)
もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
聖霊様による働きがなければ、私たちは救われた後、神の子として成長し御国を相続するということは非常に困難です。ですから、聖霊様の働きを受け入れて、イエス様の似姿に変えられていくことを、願いとし目標として頂きたいと思います。
神様は人を神のかたちとして神に似せて造られましたが、現実には神のかたちに似ていないような状況があります。それを取り戻すために、イエス様の十字架の罪の赦しがあり、そのイエス様を信じた者の内に、助け主聖霊様は宿ってくださり、私たちの霊をきよめ、成長させ、永遠の希望に向かって導いてくださるのです。
私たちの内におられる聖霊様のお働きについて、これまでに6つのことを学んで参りました。
⑴いのちをもたらす
⑵イエスについて証言する
⑶イエスの光を伝承する
⑷死ぬべきからだを生かす
⑸真理に導き、神のみこころを示す
⑹罪と死の原理からの解放
今日は、聖霊様の7つ目のお働きについてお話いたします。
⑺肉の働きを制する
(ローマ8:13)
「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」
a)肉に従って生きるとは?
ⅰ)貪欲は偶像礼拝
(コロサイ3:5)
「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」
欲望にひれ伏す偶像礼拝の姿、神ならぬものに頭を下げ、従う状態をもたらすのが「むさぼり」です。
◉アダムとエバは肉に従ったためにエデンから追い出された
「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創2:17)」と神様は一つの戒めを、アダムとエバに与えられました。それは、神様に対する彼らの誠実な純真な心を示す証でもありました。
そのたった一つの戒めを、アダムとエバは守ることが出来ませんでした。沢山ある他の木の実に満足できず、「食べたら死ぬ」という神様のおことばより、食べたいという欲に従ってしまいました。
その結果2人はエデンの園から出て行かなくてはなりませんでした。そして、肉欲に従う人類の争いの歴史が始まったのです。
ⅱ)肉欲だけが目的ではない
(マタイ4:4)
「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」
肉体を養い成長させることも大事ですが、更に大事なこは、霊.魂が養われることです。そのためには、神様の一つ一つのおことばによって生きるということを常に心がける必要があります。
荒野でイスラエルの民は、「水がない、パンを食べたい、肉が欲しい」と、食欲を満たすことばかり求めて、不平不満を訴え続けていました。そういう窮地の時こそ、愚痴や文句、呟きではなく、誠実に、ことばなる神様に祈り求めるべきでした。
私たちは神様に似せて造られた者ですから、肉欲や感情に振り回されるのではなく、それをコントロールできるように、そのためには御霊の働きが必要です。
エジプトから出て来て、荒野で呟き続けたイスラエルの大人たちは、約束の地に入れず荒野で死に絶えてしまいました。
b)御霊によってからだの行いを殺すとは?
ⅰ)みことばの剣
(エペソ6:17)
「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」
エペソ6章16節~17節に、盾、胸当て、兜など、身を守るための武具がいろいろ紹介されていますが、相手を倒す武器は剣だけです。
「御霊の与える剣」とは「神のことば」です。
◎肉欲の働きを、みことばの剣で切り裂いたイエス
(マタイ4:1∼4)
イエス様は荒野で40日40夜断食して空腹になられた時、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように言いつけなさい」という悪魔の誘惑を受けられ、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」というみことばによって、誘惑を退けられました。
ⅱ)心を見分ける剣
(へブル4:12)
「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」
なぜ判別する必要があるのでしょうか。私たちの動機というものがよく見えていないと、みことばに従っているつもりで肉欲に従っているようなことが起ります。そうして、いつも肉欲を優先するような習慣が身についてしまうと、魂を養うことが疎かになって、肉だけで生きるクリスチャンになってしまいます。
聖書を読むと、私たちの本心は何かを示されます。聖書が読みたくない、という気持ちの原因は、動機を見破られて咎められる気がするからです。肉の欲を満たしたいのか、神様の愛に報いていきたいのか、みことばは生きていて力があるので、私たちの心の動機をあらわにされるのです。
ⅲ)神の愛に生きる決意
(ガラテヤ2:20)
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」
私たちの罪の赦しのために、身代わりに裁きを受けて死んでくださったイエス様を信じる信仰によって、今私たちは生きているのだと語られています。
私たちに対する父なる神様の愛と憐れみ、イエス様の罪の赦しの恵み、その両方を信じる信仰によって、私たちは生きています。この決意が聖霊様によって与えられます。
その決意が弱いと、私たちは肉の欲求と妥協しやすくなります。
決意が強くなるには体験が必要です。肉から御霊へと動機が段々変わっていくプロセスが私たちを鍛え成長させるのです。少しづつ神への信頼を強めていくことを神様は喜んでくださいます。チャレンジするのを諦めないでください。
ⅳ)まごころから神に近づく
(へブル10:22)
「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」
◉主を畏れることに意識を向け続ける
旧約聖書において最も大事なことは、まず主を畏れること、神様を心から尊び敬うことです。私たちにどのようなことを神様はしてくださっているのか、それを深く感じ取ることによって、神様を畏れ敬い愛する心が自然と内に湧いてきます。これが正しい良心です。
(へブル9:14)「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」
神様が人を愛しておられるように、イエス様も父なる神様と一つ愛となって、人々の赦しの為のいけにえとして、十字架でいのちを捨てる決心をされました。御霊の愛の働きによるものです。
そこまでしてでも、愚かな私たち罪人の罪を赦して、神の子として立ち返ることを望んでくださった天の父のご愛と、そして救い主イエス様へのご恩を、私たちは一生、一瞬たりとも忘れません。
黙示録には、新しい天と地においても「屠られたと見える子羊」としてイエス様が存在しておられます。イエス様の贖いの御業は、永遠に覚えられているのです。
主を畏れる心とは、良心がきよめられた心であり、それによって必ず肉の働きを殺すことができると、パウロは語っています。