■2025年6月29日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)

御霊によって変えられる人生

 

主題聖句(第2コリント3:18)
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 

 皆さんにとって、「変化する」ということは、どんなイメージでしょうか?ワクワクすることですか? それとも少し抵抗を感じますか?
 
 私たち日本人は、「空気を読む」「和を乱さない」ことを大切にしてきた民族です。変わることに対して、どこか「怖さ」や「違和感」を持ってしまうことがあるのではないでしょうか。
 特に、信仰歴が長くなると、どこかで「このままでもいいんじゃないか」という安心感が生まれることもあります。
しかし今日は、変化は単なる自己努力ではなく、”御霊によるいのちのしるし”であることを、聖書から見ていきたいと思います。

・ペテロの変化に見る御霊の働き
 まず一人の人物に注目しましょう。それは、イエス様の弟子、ペテロです。
 
 ペテロといえば、情熱的で、人一倍「イエス様、ついていきます!」と言っていた弟子です。
 
 ところが皆さんご存知のように、イエス様が捕らえられたとき、ペテロは何をしたか。聖書にはこうあります。
「ペテロは三度、イエスを知らないと言った。そしてすぐに鶏が鳴いた。」(マタイ26章)
 
 一番近くにいた弟子が、「そんな人、知らない」「私は関係ない」と三度も否認してしまったのです。彼の中にあったのは、人の目を恐れる心、空気に飲まれてしまう弱さ、そして何より、「自分の身が可愛い」という本音です。
 
 しかし、そのペテロが復活のイエス様に出会い、そして何より聖霊を受けたときに、まったく別人のように変えられていくのです。
 
 使徒の働き2章、ペンテコステの日。あの臆病だったペテロが、今度は堂々と群衆の前に立ち、イエス・キリストの福音を大胆に語りました。

 その言葉を聞いて、なんと三千人が救われたと書かれています。あの「知らない」と言って逃げた者が、

 今度は人々の前で、「この方こそキリストだ!」と宣言している。これは努力でできることではありません。御霊の力によって、内側から変えられた証拠なのです。

・変化は命のしるし、御霊のしるし
 では、なぜ聖霊は私たちを変えることができるのでしょうか?そして、その変化は義務なのでしょうか?しんどいプレッシャーなんでしょうか?
 
 そうではありません。変化とは、命あるものが自然にしていくことなのです。
 
 イエス様は、ヨハネの福音書15章でこう語っています。
「わたしにつながっている枝で、実を結ばないものは取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多くの実を結ぶために刈り込みをなさいます。」
 
 つまり、私たちがイエス様につながっていれば、実は自然に結ばれていくのです。

 ただし、そのプロセスには「刈り込み」痛みを伴う変化があるとも語られています。これは、罰ではありません。
もっと実を結ぶために、神がなさる愛のわざです。
 
 変化とは、「頑張れ!」ではなく、「あなたの命が生きている証拠だよ」というメッセージなのです。

・変わることを恐れる日本人と、神の文化
 さて、ここで少し日本人の文化と、聖書の文化の違いを考えてみましょう。

 日本では、「出る杭は打たれる」「前例がないことはやらない」「空気を読む」ことが求められます。
 
 変わることは、ときに“わがまま”とか、“自己主張”と見なされることさえあります。

 例えば政治の世界でもそうですよね。歯に衣着せぬ発言で注目を集める政治家が増えてきたように思います。

 既存の政府の体制にメスを入れようとする姿勢に一定の支持は集まりますが、現状の生活はほとんど変わりません。それは、正しいことを叫んでいると認識していても、まだ多くの人は「なんか変わってる」「怖い」と言って距離を置くことがあるからです。
 
 なぜでしょう?「本当のことを言われると、自分も変わらなきゃいけなくなる」からではないでしょうか。
 
 これは信仰の世界でも似ています。「そのままでいいよ」と言われたい。「このままでいたい」と願ってしまう。
でも、神様はこう語られます。
「この世と調子を合わせてはいけません」(ローマ12:2)
 神の御霊は、「空気」ではなく「真理」によって私たちを動かされます。
 御霊は、私たちを現状維持からキリストの似姿へと変えていく力なのです。
・変化は“強い信仰”ではなく、“正しい応答”
 ここで大切なのは、「変わる=強い信仰者の話」ではないということです。むしろ、変化する人は、神に素直に応答した人ではないでしょうか。

 主は、あなたを咎めるために語るのではありません。主は、「もっとあなたを祝福したい」「もっと豊かにしたい」から、語っておられます。
 
 エペソ人への手紙にはこうあります。
「あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのです」(エペソ4:15)
 成長し続けること、変えられていくことは、神の願いです。
完成された信仰者なんて誰もいません。
 
 しかし、「変わることを恐れない人」は、神の手の中でどんどん豊かにされていきます。

・変化は義務ではなく、いのちの証
 今日改めて一人ひとりに、こう問いかけたいと思います。
あなたの信仰は、動いていますか?
 
 あなたの内に、今も生きて働く御霊の風を感じていますか?もし、最近何も変わってないな…と思ったら、それは責められることではなく、御霊に心を開くタイミングです。

 もう一度ペテロのように、「主よ、私を変えてください」
「あなたの力で私を用いてください」と祈ってみましょう。

 変わることは、重荷ではありません。それはあなたが生きている証であり、神の恵みの入り口です。