■2026年5月31日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
人の生きる推本溯源
推本溯源(すいほんそげん)とは、物事の根本を考えて、そのすべてを知ろうとすること。
真に人が「生きている」と言える根本は何であるかを考え悟る。
推本遡源(すいほんそげん)とは、物事の根本を考えて、そのすべてを知ろうとすること。
真理を知る。→真に人が「生きている」と言える根本は何であるかを考え悟る。
今、イランからの原油輸入が減少し、色んな方面で物価の上昇が始まっています。私たちの生活がどれほど石油に依存しているかを知らされます。
また、イランの核開発やホルムズ海峡の運行をめぐって、イスラエルとアメリカ対イランの争いも起きています。
「欲がはらむと罪を産み、罪が熟すると死を生みます。」と、ヤコブ書にある通り、罪と死の原理がこの世界に働いているのがよく分かります。
そういう世界情勢の中で、私たちが神を敬う者として生きていくために必要な真理とは何でしょうか。
創造主なる神様と人間の関係を結ぶ一番大事な根本的なものを、3つのみことばから紹介致します。
①≪湧水の泉を得る≫
(エレミヤ2:13)
「わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることの出来ない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」
人類の初めは、神様がご自分のかたちに似せて造られたアダムとエバです。アダムとエバは、神様のおことばに背いて、自分の欲望を優先して罪を犯しました。それ以来、人類の罪の歴史が続いています。
そういう中で選ばれたのがアブラハムです。彼は完全無欠な人ではありませんでしたが、神様を敬う敬虔な心の持ち主でした。
そしてアブラハムの子孫がイスラエルです。神様はご自分と人間との関係を、イスラエルと神様との関係を通して歴史の中に教訓として刻まれました。これが旧約聖書です。
(エレミヤ2:13)には、神様の民イスラエルが「二つの悪」を行った、すなわち、「湧き水の泉である神様を捨てて、壊れた水ためを自分たちのために掘った」と、指摘されています。
砂漠の多い中東では、湧き水の泉がなくては人は生きていけません。そのように、神様は私たちにとっての「湧き水の泉」です。神様のあわれみと恵みによって私たちはこの地上で生かされているのです。
②≪生ける水≫
(ヨハネ7:38-39)
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」
イエス様を信じるすべての者に、神の御霊すなわち聖霊様が注がれる、と先週もお語り致しました。
イエス様が十字架で死なれて復活し、そして昇天されて、私たちの罪の贖いが成就しました。神様と神様を信じる者たちとの間には、イエス様というパイプが出来上がり、そのパイプを通って聖霊様が信じる者の内に流れ込んでくるのです。
また、「その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出る」とも書かれていますから、その人の心の奥底には、豊かな泉が存在し、そこから聖霊様が生ける水の川のように流れ出ていることがわかります。
そのように変えられた人は、空しさから解放されて、喜びと充実感を持って生きていけます。
カトリックでは、癒しの水の湧く所があり、その水を調べてみると、細胞を回復させる力があったということです。
私たちも、聖霊様を受け止めると、生きる力が与えられて、この世で労苦はあっても元気に乗り越えて、道を開いていくことが出来るのです。
③≪ぶどうの木に繋がる枝≫
(ヨハネ15;5)
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
ぶどうの木は、ぶどうの実を結びます。神様が願っておられる良い実を結ぶ(良い人生を生きる)ためには、その枝が良い木(イエス様)に繋がっていることが大切です。
イエス様は良い木であり、イエス様を信じている者はその枝です。
幹だけ、枝だけ、では実を結べません。幹と枝が繋がっていてこそ、ぶどうの木は実を結ぶことができます。
父なる神様はブドウ園の主人です。ぶどうの木が良い実を結ぶには、どれほどのお世話や忍耐、労苦が必要なことでしょう。
ましてや人を育てるというのは大変な働きです。神様は私たちが神のかたちに相応しい人に育ってほしい、と願っておられます。
良い幹(イエス様)に繋がっている良い枝(私たち)は、大地から吸い上げられた水養分(聖霊様)の働きによって、よいぶどうの実(人生)を実らせます。水養分(聖霊様)が途絶えてしまっては、実もなりませんし、枝も枯れてしまいます。
ですから、幹(イエス様)にとどまりなさい、水(聖霊様)をうけ取りなさい、と言われているのです。
クリスチャンであってもノンクリスチャンであっても、創造主なる神様(いのちの泉の源である神様)から離れたら、何も出来ません。これを悟ることが大事です。
いのちの水を受けるその秘訣が、「主のいのり」には現されています。私たちは天の神様を「お父様」と呼べる幸いな関係を得ているのですから、その豊かな泉から、いのちの水(聖霊様)を頂いて、良き人生の実りを得ていきましょう。
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天に成るごとく、地にも成らせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ
国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり
【短歌】
枝として ぶどうの木から いずみ得て
実をむすんでこそ 真の人生
聖霊様こそがすべての根本である、と深く悟ってまいりましょう。