■2022年1月9日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

神様の好みの香り

 

主題聖句(第2コリント2:15)
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

 

 先週は、2022年の主題聖句(第2コリント2:15)から、「ことば」がキリストの香りを放つ方法の一つ、というお話をいたしました。
 
 今日は、「神様の好みの香り」について、話を進めていきます。かぐわしい香りというのは、古代エジプトの時代から、医療用や化粧用に研究されており、現代ではアロマセラピーとして精神的にも肉体的にも良い影響を与える香りが研究開発されてきています。
 
 (第2コリント2:15)には、「神の前にかぐわしい」とあるように、神様の御こころに良い影響をあたえるような「神様の好みの香り」というものがあるようです。「キリストの香り」と呼ばれ、それはクリスチャンのことであるとも示されています。
 今日は、この「神様の好みの香り」について、(マタイ9:13)から学んでみましょう。
 (マタイ9:13)の中で、まずイエス様は「あわれみは好むが、いけにえは好まないとはどういう意味か学びなさい」とおっしゃっておられます。これはどういう意味でしょうか。

◎「いけにえ」(出エジプト29:18)
「その雄羊を全部祭壇の上で焼いて煙にする。これは、主への全焼のいけにえで、なだめのかおりであり、主への火によるささげ物である。」

 全焼のいけにえ=なだめの香り=十字架の贖い
 雄羊の全焼のいけにえとは、雄羊を一頭、祭壇で全部焼いて煙にします。それが主への香ばしいなだめの香りだと書かれてあります。
 雄羊とはイエス・キリストを表し、全焼のいけにえは、キリストの十字架の死とイエス様の生涯そのもの全部を火で焼いて煙にして、神様の気持ちがなだめられるための香りとして神様に捧げるという意味を表しています。
 なぜ、「なだめ」が必要かといいますと、アダムとエバが罪を犯して人類は死刑が決定しています。死をもって罪を償うしかありません。長い歴史の中で、人類の積もり積もった罪と悪に対する神様のいかり(さばき)は、いつ下されてもよい状態です。その神の怒りの気持ちをなだめる役割が、雄羊の全焼のいけにえ、すなわち身代わりとしてのイエス様の十字架なのです。
 本来、全焼にされるのは罪人である私たちですが、イエス様が私たちの身代わりのいけにえとなって、神様の怒りをすべてご自分の上に受けてくださったので、そこで神様の怒りはなだめられ、私たちの罪は赦され、罪の無い者のようにみなされているのです。
 
 ですから、イエス・キリストを信じる者は、神様の怒りをなだめるキリストの香りを持っているので、神様から怒りを向けられることはありません。むしろ、クリスチャンの内から放たれるキリストの贖いの香りにより、神様の心はなごやかに変わるのです。

 では、どうして神様は「いけにえ」より、「あわれみ」を好まれると言われるのかを考えてみましょう。

◎「あわれみ」(出エジプト34:6-7)
「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、めぐみを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いるもの。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」

 これは神様が、ご自分はどういうお方であるのかを、ご自身で宣言されたおことばです。初めに、天地創造の主、すべてを治めておられる王の王、主の主、主人であるという立場や位、権威を強調されています。
 
 次にご性質が述べられ、それは第一にあわれみ深いことです。まず、あわれみを現すことが神様のご性質です。怒るのは後です。私たちがまず怒ってしまうのは、自己中心の欲望に従っているからで、思い通りにならないから怒るのです。しかし神様はご自分のことよりも相手のことに気を配られる、あわれみ深く情け深いお方です。
 出エジプト記に記されているいけにえの制度は象徴です。本物、実体は、救い主キリストの十字架による人類の罪の贖いです。

 その本物が来るまでの間、その救いのご計画の保証、前金として、いけにえという宗教的儀式を、神はイスラエルの民に与えられました。罪の赦しの実現の時まで、そのいけにえ制度を守り通して、神があわれみ深い方であることを忘れないように、というのが神様の意図されたところ、本来の真意でした。

 しかし、習慣付いた儀式というのは、本当の大事な意味が失われて、神様のあわれみのお心を見失った形だけの行事になってしまいます。ユダヤ教が陥った過ちです。
 
 私たちクリスチャンも、什一返金しています。集会も来ています。献金もし、お祈りもし、聖書も読んでいます。しかし、それを守る心は、神様が好まれるものでなければなりません。私たちは神のあわれみによって生かされ、神の恵みの中におらせて頂いている者です。そこを忘れて、形だけの宗教儀式になってはいけません。
 神様は、いけにえやその儀式、形だけの習慣を喜ばれるのではなく、神様のあわれみの香り、キリストの香りを喜ばれ、それを受け入れた者たちをかぐわしい香りであると言われます。私たちがいつもキリストの香り、すなわち「あわれみの心」を持っていれば、そのあわれみから親切な言葉や思いやりと配慮の行動が出てきます。神様はそれをかぐわしい香りだと言われるのです。

デボーション (ヨハネ8:1-11より)
〇女性と同じ罪を犯していないなら、律法の違反者ではないと言えるのでしょうか?
自分が犯していない罪を隣人が犯していると、私たちは責めたくなります。しかし、人を責めることを先にしてはいけません。その人のバックグラウンドを考慮して、あわれみを示すべきです。
 
 平気で罪を犯し続けているのでなければ、罪が明るみに出た時、人は悔いるものです。黙って周囲から非難されるがままになっていたこの女性は、弱さゆえに罪を犯しましたが、自分の罪を認めてさばきを受けとめる敬虔な女性と言えるかもしれません。
 あわれみが、さばき主の心に起こったら、罪が軽減されます。そういう権限をさばき主はお持ちなのです。
 
 イエス様は一言もその女性を責められませんでした。彼女が敬虔な良心を持っているから、あわれみを通して罪を離れて立ち返れる人だとイエス様は確信して、彼女にことばをかけたと思われます。
 私たちも律法学者たちと同じ過ちを犯さないように致しましょう。相手の罪を見つけたならば、責める前に憐れんであげてください。

〇イエス様は、女性を連れてきた人々に何を気付かせようとされたのでしょうか?
 イエス様は「あわれみはさばきに打ち勝つ」という聖書のことばを気付かせようと思われました。
 
 神様は憐れみ深く、さばく前に憐みを施されるお方。情け深い同情深いお方です。そして私たちもそのように造られた者なのです。そういう神様のご性質やお考えを、私たちは壊してはいけません。欲望のゆえに、さばくことが先にならないように、あわれみが先という順番を間違えないようにしましょう。

 神様はあわれみの香りを好まれるお方であることを覚えて、今年一年、何事もあわれみの心からクリスチャン生活を進んでいくことを努力していきたいと思います。

【短歌】
あわれみは  神の好みの  よき香り
救いの感謝  絶えず捧げる

 デボーションをするときは、神様のあわれみをまずは思い起こしてください。そうすれば、香り良き香として祈りが神様の前に立ち上ります。そして、神様のおこころが変わります。良き香りによって、憐みの心が神様に満ちて、私たちに憐みをあらわし、私たちの願い以上のことをしてくださるに違いありません。信じましょう。