■2025年11月23日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

永遠を考える

 

主題聖句(伝道者の書3:11)
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。



神は人の心に永遠を与えられた
 ここでは、「心に永遠を与えられた」と訳されていますが、「永遠の思い」を与えられた、と訳されている聖書もあります。また、「心に与えられた」というのは意訳で、直訳は「心に置かれた」です。
 
 「永遠」というヘブル語は、「心の中の時間」に特定されていて、過去・現在・未来という時間の区切りがありません。そういう心の中の時間ということで、「心に永遠を置かれた」と表現されています。 
 人の心には知性、感情、意志があり、そこに神様は「永遠」を置かれたので、人間だけが過去、現在、未来を考えることが出来ます。
 
 何故神様は人間の心に「永遠」を置かれたのでしょうか。
 神様はご自分のかたちに似せて、アダムとエバをお造りになりました。神様は永遠の存在ですから、「永遠」を考える心も一緒に人に与えておられるのです。神様と同じように、私たちも「永遠」を考えて生きるように、という神様のおこころです。 

 世の中は、今の事しか考えない時代になっています。「永遠」を考えないために、社会はどんなに乱れてきたことでしょう。
ですから、人間は「永遠」を考えて生きるべきだ、ということを今日はお勧めさせて頂きたいと思います。  

※永遠を考える
(ヨハネ3:16)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 
 
 イエス様が来られたのは、救い主を信じる人々が「永遠のいのち」を持つためです。すべての人は心に「永遠」を持っていますが、その心に「いのち」をもたらす為にイエス様は来られました。

 「いのち」の逆は「滅び」です。永遠のいのちと永遠の滅びの二つに区別するために、救い主イエス様はこの地に現れてくださったのです。

 もともと永遠というものは存在していましたが、愛と正義である神様には、永遠を二つに分ける必要がありました。神様は創造の初めから、光と闇、善と悪、と対比するように区別を与えておられます。

 私たちの「こころ」は永遠の存在ですから、その心がどの世界の永遠に行くのかを神様は考えられて、いのちを持つ永遠の世界と、滅びるという永遠の世界との二つに分けられたのです。

※いのちの世界と、滅びの世界 
 この世はいのちと滅びという二つが混在しています。だから問題が生じます。光と闇は一つになりません。そして、この世は光と闇の間の問題であふれています。 
 神様は、永遠のいのちの世界に行く者と、永遠の滅びに行く者とを、いま分けようとしておられます。

 その基準は、神ご自身が人(キリスト)となって地上に来られ、人々に罪の赦しを与えるために、代わりに十字架にかかって死んでくださり、そのいのちの代価をもって、私たちの罪の赦しを買い取ってくださった、これを信じるか信じないかです。それをこの地上で選択できるチャンスを私たちに与えてくださっているのです。
 
 クリスチャンにも永遠を信じない人がいます。天国は行きたいから信じる、しかし、地獄というのは罪を犯させないための作り話であると、これは異端の宗教の教えです。聖書にははっきり天国と地獄があることが書かれてあります。
 
 主イエス・キリストを信じれば、永遠のいのちを持つ、とヨハネは語っています。神様の愛の証として人となられて世に来られたイエス様を信じることによって、永遠の世界は、いのちを持つ方向と滅びに行く方向と2つに分けられて行くのです。それが永遠に対する神様の私たちへの啓示です。

※イエス様を信じて救われる
 イエス・キリストを信じるというのは、私たちの永遠の行き場所を決定する基準になります。
 
 私たちを愛しているゆえに、ご自分を犠牲にしてでも私たちが永遠のいのちを持つことが出来る様に、私たちの神への違反を償うために、十字架でご自分のいのちを代価として支払われました。

 そこまでしてでも、滅ぶべき罪ある人類にもう一度チャンスを与えるためにキリストを送ってくださったのです。
 
 このことはアダムとエバが罪を犯した時から既に預言されていました。神様のおことばは、長い人類の歴史の中で確実に成就しています。聖書預言の80%以上が、既に成就しています。そうであれば、残りの預言もこれから成就すると信じられるのではありませんか。
 
 主イエス様は、ご自分を信じる者が永遠のいのちを持つために地上に来られた神様です。この方を信じるか、信じないかが、いのちと滅びに分けられる基準です。 
 それがイエス様がこの世に来られた時からこの2千年間の、神様のあわれみです。
 皆さんも、イエス様を信じて永遠のいのちを頂ける「救いの恵み」を確信出来るように、体から離れたこころの存在がどうなるのかを是非考えていくクリスチャン生活、神様を敬う敬虔な心を持って歩むということを目指していって頂きたいと思います。

※主イエスは、永遠をふたつの世界に分けられる。
 永遠のいのちを持つ者、永遠の滅びを持つ者、この2つは、今この世界では同居していますが、キリストが再臨される時には、はっきりと分けられます。永遠のいのちの世界か、永遠の滅びの世界か、最終的に確定する時が、キリストの再臨の時です。

 クリスチャンはそれを待ち望んでいますが、たとえ再臨されていない今であっても、私たちの体から自分の魂が離れた日には、どちらかに行くということが決定するのです。

 今、生きているこの時が、私たちの心を入れかえるチャンスなのです。

【俳句】
  
 永遠は  神の賜物  無視しない  

 最近は、永遠ということを考えない社会になってきています。 肉体を離れた魂が永遠に生き続ける、ということは信じられない、むしろ、死んだらすべて無くなると思いたい、という時代です。
 
 イエス様はこの地上に来られて、死後の世界を証してくださいました。神がおられることを証明してくださいました。イエス様は肉体に宿られた神様です。