■2026年6月7日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
荒野の人生に移山造海
移山造海(いざんぞうかい)→自然を造り変えること。
不敬虔という荒野と荒地のこの世界に、みことばによる新しい人生の道と、御霊の交わりを通していのちの水の川を設けてくださる。
移山造海(いざんぞうかい) →自然を造り変えること
(不敬虔という荒野と荒地のこの世界に、みことばによる新しい人生の道と、御霊の交わりを通して、いのちの水の川を設けてくださる)
神を敬う者にとって、この世は霊的には厳しい荒野のような、荒地のような世界だと言えます。どこに道があるのか、どこに水があるのかと途方に暮れている方々もおられるでしょう。今日はそのような方たちのための希望という意味で、みことばを語らせて頂きたいと思います。
今週の主題聖句(イザヤ43:19)には「見よ。わたしは新しいことをする。今、もうそれが起ろうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」と語られています。
これは、イスラエルに向けて語られた神様の預言のおことばです。実際に、1948年にイスラエルが建国され、全世界から帰って来たユダヤ人は、荒地も荒野も開拓し、道を造り、川を造って、今では自給自足が出来る国にまで成りました。
この(イザヤ43:19)のみことばは、自然環境についてだけのことではありません。もし私たちが、知らぬ間に世の価値観に影響されて、敬虔であることに喜びや平安が感じられず、クリスチャン生活が空しいと感じるようになったら、それは霊的に荒野や荒れ地にいる可能性があって、クリスチャンとして歩む道がわからないとか、また、聖霊様のいのちの水を頂くことが出来ていないのかもしれません。
(イザヤ43:19)にあるように、神様は荒野に道を、荒地に川を設けてくださるお方であることに希望を持って、心を神様に向けて参りましょう。
①みことばのイエスが≪道≫
(ヨハネ14:6)
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」
ヨハネ1章では、イエス様が「ことばなる神」であることが教えられています。イエス様は私たちに「ことば」を与えて、「道」を示してくださいます。
すなわち、クリスチャンとして歩む人生の方向性、目的、神様の願い、そういうことを、「ことば」によって教えてくださるのが、ことばなる神イエス様です。私たちはイエス様を信じて、示されたその道を歩み切ることが出来ます。まさしくイエス様は「道」であり、「真理」であり、「いのち」なのです。
もし、神の子としての歩み方を示す「おことば」が、あなたの心に響いて来なかったら、ずっと荒野で迷い続けることになります。
私たちを造り愛してくださった父なる神様は、不敬虔で自己中心の私たちが滅んでいくのを憐れみ、わが子として心配し大事に思って、良い方向に育て導きたいという愛をもって、御子イエス・キリストの十字架による贖いの御業を実現してくださいました。
その愛に出会わなければ、敬虔な神様の教えに生きていこうという願いは起こってこないのです。人は愛を感じなければ、愛してくださった方の思いを受け入れてその方向に歩んで行こうという決心・決意は出来ないのです。
これほどに私たちを愛してくださる神様を知れば知るほど、神様と共に歩むことの喜びを深く知ることが出来ます。この体験が積み重なって、神様と共に歩んで生きたい、神様の愛に応えていこう、という動機が強く湧き上がってきます。
その神様の愛を感じさせてくださるのが聖霊様です。聖霊様との関係が大事です。
②御霊のいのちの水の≪川≫
(ヨハネ7;38-39)
「『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」
旧約聖書には、成人男子だけでも60万人いたというイスラエルの民が、エジプトを出て神様の示された地まで行く間、途中で水がなくなってしまったことがありました。しかし神様は、岩の裂け目から水を出し、川を造るほどに止めどなく流れ出させて、すべての民を40年間、潤してくださいました。
神様は、40年間も荒地に川を設けることの出来る創造主なるお方であります。これは、クリスチャン生活の荒野を歩んでいる状況の中で、神様はいのちの水を与えてくださるお方であることを私たちに示してくださっています。
③移山造海を受けたナアマン
(Ⅱ列王記5:17)
「そこでナアマンは言った。『だめでしたら、どうか、2頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、他の神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。』」
【ナアマン将軍の話】
アラムのナアマン将軍は無敗の将でしたが、ツァラートという皮膚病に冒されていました。
ある日、奴隷の少女から、イスラエルにはどんな病気も治せる預言者(エリシャ)がいる、ということを彼は聞いて、信じて、貢物まで持ってエリシャに会いに行きました。
しかし、エリシャの対応は、しもべを玄関の入り口に遣わして「ヨルダン川へ行って7度あなたの身を洗いなさい、そうすれば、あなたのからだが元通りになってきよくなります」と言わせて、エリシャ自身は顔を出しませんでした。
ナアマン将軍は激怒して、「ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」と言って帰ろうとします。
しかし、しもべたちに「あの預言者(エリシャ)が難しいことを命じたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」と諭されて、思い直して、エリシャに言われた通りに、ナアマン将軍はヨルダン川で7回身を浸しました。それは神のまえにへりくだる動作でした。ナアマンしょうぐんの、からだは元どおり幼子の体のように、きよくなりました。
ナアマン将軍は持参していた贈り物をエリシャに渡そうと引き返しましたが、エリシャは受け取りませんでした。見える人に頼るのではなく、見えない神様、ことばなる神様に頼る信仰が大事だったからです。
最後にナアマン将軍はエリシャに、「しもべはこれからはもう、主以外のほかの神々に全焼のささげ物やいけにえを捧げません。」とイスラエルの神、天地の創造主なる神への信仰を告白することが出来ました。
ユダヤ人でもない異邦人のナアマン将軍が、傲慢という心が砕かれて、へりくだって神のおことばに単純に従ったことによって、病の癒しと神への信仰という救いを与えられたというお話です。
まとめ
●道を示す預言者からの神のことば
*ヨルダン川に7回身を沈めること。
*ナアマン将軍は、反発したが従った。
●川の中に7回、全身を浸す。
*6回までは何の変化もなかった。
*身を浸すことは、神の前にへりくだること。
*水に全身が覆われる?御霊との交わり
★敬虔な心で最後まで従う
へりくだり、神様のおことばを聞いて信じて行う、これが荒野と荒地に道と川が設けられる大事なポイントです。
俳句
頑なな 心砕いて 主に従う