■2025年11月30日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 和希 師)
待ち望む信仰
主題聖句(ルカ2:25〜38)
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。
また、聖霊が彼の上におられた。
クリスマス本番まで、あと三週間となりました。私たちは今、クリスマスの意味を深く味わうための備えの期間を歩んでいます。今年の準備シリーズの三回目として、「待ち望む信仰」を心に留めたいと思います。
ルカ2章に登場するシメオンとアンナは、特別な立場の人ではありませんでしたが、神の約束を信じて長い年月待ち続けた信仰者たちでした。
シメオンは「イスラエルの慰め」を待ち望み、御霊に導かれて神殿に来たその日に、幼子イエスに出会いました。
アンナもまた、祈りと礼拝をもって神の贖いを待ち望み、イエスを見たとき、その救いが始まったことを人々に語りました。
彼らの姿を通して私たちが学べるのは、神の約束は必ず成就し、その時を信じて歩む者は、神が備えられた祝福の瞬間に立ち会うということです。
では、現代の私たちは何を待ち望んでクリスマスを迎えるのでしょうか。今年も多くの教会が「クリスマスだから新しい人が来るかもしれない」という期待を持ちます。
もちろん、クリスマスは伝道の機会として大きな意味を持ちますし、私たちの教会にも新しい方が来られるなら、それは大きな喜びです。
しかし同時に、来訪者の有無に一喜一憂すると、私たちの信仰が「ノルマ」のようになりかねません。誰も来なかったからといって、私たちの礼拝が価値を失うわけではありません。
私たちの教会だけが神の働きの中心にあるわけではありません。日本中の、あるいは世界中のどこかで、一人でも救われる人が起こされたなら、それは神の国全体の喜びです。
私たちが目に見える結果に焦る必要はありません。神は救われるべき魂を必ず備え、その人を送る「時」を定めておられます。大切なのは、私たちの心がその時を信じ、望みを失わずに礼拝と祈りを積み重ねていくことです。
来るか来ないかではなく、「神の時は必ず来る」と信じて待ち続けることこそ、待ち望む信仰です。
日本では、欧米のようにクリスマスの時期になると大量の来訪者が訪れる、という状況はまだ難しい部分があります。
しかしだからこそ、派手な結果ではなく、シメオンとアンナのように、静かに約束を信じて待つ信仰が私たちに求められています。
彼らは誰よりも忠実に礼拝し、祈りの生活を続け、神の時を信じました。その信仰の先に、幼子イエスとの出会いという大きな報いがありました。
私たちも同じです。目の前の数字や結果ではなく、神のご計画を信じて歩むとき、主は必ずその時をお与えになります。
喜びをもってクリスマスを迎えるために――
今年は、「待ち望む信仰」をともに心に育てていきましょう。