■2017年6月18日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
 純真な心を奮い立たせる

主題聖句(第2ペテロ3:1~2)
愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。
それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。

 

 ペンテコステ記念礼拝以降、聖霊様の働きに対してもっと関心を持ち、心をむけていくことが大切であると示されています。
 純真な心がなくなっていくのは、マンネリ化であり、教会に礼拝に来るのも習慣づいてしまった結果です。純真な心を呼び起こすことが大事だと言えます。
 信仰とは神への純真な心から成ります。洗礼も、神への純真な正しい良心の誓いです。その時と同じ純真な心をもって礼拝に集うことが重要です。何故なら純真な心で私たちは神様とつながったからです。純真な神への愛と信頼の心をもって神とつながっているのです。
 純真な心は正しい良心とも言えます。パウロは正しい良心と表現しています。ヘブル語には良心という言葉はありませんから主を畏れるという言葉に変えています。
 良心とはギリシャ文学から生まれた心理学的な言葉です。ペテロは素直に純真な心、神を畏れるきよい良心を奮い立たせるために記憶を呼び覚ますことを勧めています。
 その記憶とは、ひとつは預言者達が語ったみ言葉であり、もうひとつは使徒達が語った主イエスの命令についてです。

1.預言者達が語ったみ言葉
A )イザヤ48:17
「あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。」

 どこの国でも戦国時代を通ります。領土を広げ武力をもって国を統一しようという野望をもつのが人間の性質です。
 その時に人々が頼ったのは、戦いに強いと思われる神でした。戦って勝利しないと平和がこないということで、自分の力を超えた存在である神に頼って勝利しようとしたのです。
 イスラエルに戦いを挑んできたアッシリアも、「どこの国々の神にアッシリアの神に勝る神がいようか!」と叫んだように、国同士、民族同士の戦いでありながら、最終的には神同士の戦いととらえていました。
 この当時、どの神を自分の神にするかによって、勝敗が決まり、自分たちの未来が決まるという、神選び?は大変重要な問題だったのです。
 しかし、イスラエルは、天地万物を創造された神を信じていましたが、他の国とは違い、民自らが神を選んだのではなく、神様の方から先祖アブラハムに現れて、「わたしはあなたを大いなる国とする、わたしの民とする。」と、イスラエルを選ばれたのです。
 私たちクリスチャンも同じように、神様の方から選んでくださいました。「わたしはあなたの神である。」と、私たちを自ら選んでくださったのです。
 創造主であり万物を支配しておられる、すべての王の王である主権者なる神が選んでくださったのです。
 私たちはこのことを通して、自分の神様を知るということがどれほど重要であるかがわかります。
 あなたが信じているイエス・キリストはどんな神様でしょう。どのようにあなたは表現することが出来るでしょうか。その神様にどんな望みを持っているでしょうか。あなたにどのような事をしてくださっているでしょうか。あなたをどのように導こうとしておられるでしょうか。
 「贖い主」=代価を払って買い戻してもいいと思うほどに私たちのことを愛してくださる神様、決して何があっても手放したくない、例えあなたが離れていってもあなたを呼び戻したい、そのためにはどんな犠牲も払っていいという神様の強い愛の御心が表されています。イスラエルの歴史を見ても、民が何度神様を裏切り離れても、神様は決して諦めず助けておられます。神様はそのような御心で私たちを愛してくださっているのです。
 神は罪人という無価値な私たちをひとり子イエス・キリストの命を犠牲にしてでも、罪から買い戻してくださいました。それほど大切に思ってくださっています。そのことを私たちは思い見ることが大切です。それゆえ私たちは常に十字架を見上げ感謝し永遠にその贖いの御業を賛美し続けます。

 聖なる方=美、美しさに例えられます。私たちは美に惹かれます。
もしできることならば美しくありたいと願うものです。若さも美しさと言えます。
 美しさを求める人は部屋もきれいにしようと努めます。美という言葉を聖いという言葉に置き換えてみてください。永遠の命を求める人は若さも条件としてつけました。永遠の美を求めたのです。聖さを求めることは永遠の美を求めることと似ています。天国は最も聖い所であり、同時に美しい所です。天国は完璧な所です。
 サンビ教団とは、3つの美を求めるという意味で、霊と心と体の美を求めるということです。それと歌う賛美をかけ合わせて、カタカナでサンビと表しています。
 私たちの神様は究極に聖い御方であり美なる御方です。

B)レビ19:2
「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。 」

 これが神が私たちを導いておられる方向であり、最終のゴールが聖くなるということです。
 あなたが聖い者として生きる為に命が与えられています。神様の聖さ、美に到達するようにと創造されたのです。
 すべての人間に神様は期待してくださっているのです。すべての罪人が神様を信じて救われ、聖なる者とされることを神様は信じ、望みをもってくださっています。
 そのように神様は私たちをご自身に似せて造ってくださいました。
その神様の期待に応えたいと、愛に応答する心が湧き上がってきます。これが純真な心です。
 神様の愛を信じ、神様の愛によって聖くなるということを旧約の時代から神様は預言者を通して語ってこられました。
 あなたが自分で努力して美しくなるのではありません、神様ご自身があなたを聖なる者として、変えてくださるのです。
 第1コリントに、「栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていく」とあります。「これは主なる御霊の働きである」とあります。愛によって人は美しくなります。
 女性が美を追求する理由は、女性は教会の型であるからとも言えます。教会は聖なる美を追求するものだからです。 最初は癒しや解放、問題解決を求めて教会に来ていても、最後に求めるのは聖なる者となることです。ここに期待をもってクリスチャン生活を保ち続けましょう。そのために預言者の言葉を思い出して、純真な心を奮い立たせましょう。

2.使徒たちが語った主イエスの命令
A)ヨハネ13:34
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
 
 ポイントは、自分勝手な基準や価値観、世界観で愛するのではなく、イエス様が教えられた愛し方で、互いに愛し合うということです。
 
 イエス様の愛し方とはどのようなものでしょうか。贖い主として、諦めない、ずっと思い続けてくださり、私たちをご自身の家族とするためにすべてを犠牲し与えてくださった愛し方です。
 私たちが、互いに傷つけ合い、裏切り合う弱い罪人であり、まだ良くなる前にイエス様は私たちを愛してくださり、赦してくださり、犠牲を払ってくださいました。
 その人が良くなったから愛する、いい人だから愛するのではなく、神様が愛してくださっているその人を信じて、愛していく、そのような愛し方ができるクリスチャン人生を目標としましょう。
 自分の価値観ではなく、神様の愛で兄弟姉妹を愛せるように求めていきましょう。相手のどんな問題も問題と捉えず愛していけたら、これほどの平安はありません。
 地上で求める望みの至上のものはこのような純真な心であり、聖さです。

B)ガラテヤ5:14
「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされるのです。 」

 これはパウロの言葉です。イエス様は神を愛することと、隣人を愛することと二つを述べられました。しかし、パウロのこの言葉の中には神を愛するということも含まれています。神様が私たちを愛してくださったそのように愛しなさいということです。
 つまり、隣人を自分自身のように愛することで、神様を愛していることになるというのです。
 「神がわたしを愛してくださったから、私も兄弟姉妹を愛します」ということです。

【デボーション参考ポイント】
「預言者が語ったみことばと、使徒たちが語った主イエスの命令によって、純真な心が奮い立ち、救い主を信じる信仰に至った。」
 どんな神様を信じて、どのような導きを与えられているのでしょうか。救い主イエス・キリストが語られ教えておられます。その教えの一番の中心が、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という教えです。律法全体がこれで全うされるのです。
 律法の目的は「あなたがたも聖なる者とならなければならない」です。そのために律法は違反を示すものです。その戒めをイエス様は一つの教えにまとめられました。
 兄弟姉妹を愛することは、聖なる者となることです。捨てられるべき罪人である私たちを愛してくださった、そのような愛を示してくださった聖なる御方のように、私たちも愛することを、主は求めておられます。
 それは、兄弟姉妹のために犠牲を払うほどの愛を示すことです。それが聖くなるということなのです。
 愛せないと思うとき、愛する条件をなんら求めず、ただ愛してくださったイエス様の愛を思い出しましょう。
 兄弟姉妹を愛していこうというあなたの心を神様は見て、喜んでくださいます。これがあなたの純真な心だからです。
 純真な心は不可能を可能にします。結果を求めるのではなく、ただ、あきらめずに聖さを求めていきましょう。自分にはできなくても神にはできると、神様への信仰を持ちましょう。
 諦める人は行いによって神様の前に出ようとする人です。そこで、できることに誇りをもって人を裁いてしまいます。
 癒しも同じです。人にはできなくても神にはできるのです。

【俳句】
      梅雨晴れに 純真な心 奮い立つ