■2025年12月14日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
ヨハネ3:20~21
主題聖句(ヨハネ3:20~21)
悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
今日は(ヨハネ3:20-21)から、「真理を行う者は光のほうに来る」というところをポイントとしてお話ししたいと思います。
悪を行う者は、暗闇の中に自分を隠して、自分のしたいことを押し進めていきます。しかし、光を愛して真理を行う者は、偽りを光の前に差し出して訂正し、そして前に進んで行く、という光の中の歩み方をします。
私たちは神に似せて造られた者ですから、真理を求め行うことは本能です。ましてキリストによって新しく生まれ変わった神の子であれば、もっと真理に従うことを熱心に求めます。
クリスチャンは、自己達成ではなく、真理を行うことを願いとして頂きたいと思います。
※分裂のために来られた
(ルカ12:51)
「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。」
主題聖句にある「真理を行う者は光のほうに来る」という「光」とはイエス様のことです。
イエス様が「世の光」として来られた時に、真理を行う者はイエス様のもとに行き、悪を行う者はイエス様を廃絶しようとしました。それによって世界は、光を求める人々と闇を好む人々とに分裂していきました。
この分離・分裂は、創世記の1章にある神様の天地創造の御業の中に既に現わされています。
(創世記1:2-4)
「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。」
神様は、茫漠として何も無かった世界に、まず「光あれ」と命じて光を造られて、そして光と闇とが区別されました。
この地上においても、善悪の入り混じった混沌とした世界に、光なるイエス様が来られたことにより、光を求めてイエス様を信じる人々と、闇に留まる人々とが区別されました。
神様は永遠という思いを人の中に置かれて、人間の魂は永遠に存在することを教えておられます。そして、「永遠のいのち」に至る人と、「永遠の裁き(滅び)」に至る人と、二つの永遠の世界がある、ということを神様はイエス様を通して現わされました。
前回のメッセージでは、人の魂がどちらの永遠に入るのが相応しいか、それを判定する「最後の審判」の時があることを、マタイ25章からお話ししています。
(へブル9:27)
「人は一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」
世の救い主がお生まれになるという数千年前の聖書預言が、現実にユダヤの地に成就した事実を、私たちは歴史の中に見ています。
ですから、永遠の世界がある、神は存在する、永遠にはいのちと滅びの二つの世界が存在する、ということを信じています。
私たちは永遠のいのちの世界を望み見て、その準備の人生を生きているのです。
神様は、世界のすべての場所で、一人一人が光と闇のどちらの永遠の世界に行くのが相応しいのか、今、分離・分裂をさせておられます。
私たちは真理を好みます。真理を求め、真理の中に生きたいと願って、今イエス様を信じて歩んでいる、ということをしっかり心に留めて頂きたいと思います。
今、イエス様を信じていない人でも、真理を求めて生きているなら光のほうに来る、と神様は仰っておられます。
クリスチャンは、はっきりとイエス様のことを語る必要があります。中途半端なことを言っていたのでは誰もついて来ません。
茫漠とした社会の中で、クリスチャンが「私は光の方の世界に行く者です」というはっきりとした姿勢をとることが必要です。
妥協せず、真理を行いたいという決心を、回りの人々に証しすることが、キリストの証人として大事です。
イエス様は真理なるお方です。私たちが真理を証しする証人であれば、私たちも真理に生きて、真理を良く知って、真理を悟って、真理に生きる人生を送る決意が必要です。
真理を行う者は光のほうに来ます。真理を行うクリスチャンの光の人生を通して、人はそれに魅かれてやって来るのです。
(ローマ4:25)
「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」
クリスチャンも罪を犯すことが、ままありますが、そこで退いてはいけません。神の前には誰もみな罪人です。神様は私たちにイエス様を送って罪の赦しを与えてくださったのです。イエス様を信じ続けることが大事です。
光と闇を分けるため、そして漠然とした罪の世界から、永遠のいのちの世界に入ることが出来る罪の赦しという救いを実現するために、イエス様はこの地上にお生まれになりました。
そのように救われた者として生きているかどうか、真理を求め実行しているクリスチャン生活を一歩一歩、歩んでいるかどうか、吟味してください。
(ヨハネ13:34)
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
イエス様が私たちを愛してくださったように、私たちも家族を愛し、兄弟姉妹を愛していく、それが今の地上におけるクリスチャンの真理を行う歩みです。それがビューティフルコミュニティの完成に近づくことです。
イエス様は、私たちの罪が赦されるために、私たちの代わりにご自分のいのちを差し出して十字架で死んでくださいました。
そして死ぬだけでなく、イエス様の死が、罪のない正しい義人の死であることの証明として、死からよみがえられました。死と復活、この二つのことが、私たちの罪の赦しのために必要でした。
もし復活されなかったら、イエスさまは自分の罪ゆえに死んだ罪人だったということになり、そのいのちは他者の罪を贖う代価にはなりません。
イエス様は私たちのために苦しんで、死んで、よみがえられました。真理を行うために、神様の愛の犠牲が実現しました。
イエス様のご降誕は単に生まれたというだけではなく、そこに大きな愛の犠牲を払って、私たちが永遠のいのちに至ることを願って、今も神様は私たちに語り続けてくださっているということを忘れないように、このクリスマスの時を過ごしていきたいと思います。
【俳句】
茫漠に ひかり現われ 区別する
あなたの心の中にも イエス・キリストの光が現れたら、区別が始まります。あなたの茫漠とした家庭にも、イエス・キリストのみことばの光が照らされると、区別が始まります。
イエス様は「私が来たのは平和をもたらす為ではなく、分裂をもたらす為である」と言われました。あなたの心の中に、光と闇がはっきりと区別されているでしょうか。闇は光に勝てません。
闇を退ける光のクリスチャン生活を実現していただきたいと思います。