■2026年2月22日 日曜礼拝メッセージより(牧師 辻 和希 師)

整えられていく教会 ― 花嫁・からだ・そして御霊

私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、
一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身文にまで達するのです。
(エペソ4:13)

 先日、大阪で結婚式がありました。そして今日、義妹の婚約の発表がありました。結婚という出来事が続く中で、改めて思わされています。
 結婚は突然完成するものではなく、準備の期間があるということです。
 聖書の中でも、準備の期間を経て王妃となった人物がいます。それがエステルです。エステル記には、エステルが王の前に出るまでに、長い整えの期間があったことが書かれています。彼女は自分の考えではなく、宦官ヘガイの助言に従いました。王妃になるために重要なことは、自分で完成することではなく、整えられていくことでした。
 この姿は、教会に重なります。聖書は教会を「キリストの花嫁」と呼びます。教会は完成した存在ではなく、整えられていく存在です。

■ 教会はキリストの花嫁
 花嫁という言葉は、愛の関係を表します。教会はまず、働きの集まりではなく、キリストに愛されている共同体です。ここが出発点です。花嫁とは、努力して価値を得る存在ではなく、すでに愛されている存在です。そして同時に、花嫁は整えられていきます。聖さとは、競争ではありません。比較でもありません。愛の関係の中で整えられていくことです。
 私たちの教会も、主に整えられてきました。そして今も整えられています。

■ 教会はキリストのからだ
 聖書はもう一つの比喩を使います。教会はキリストのからだです。からだという言葉が意味するのは、有機的な結びつきです。教会は、建物ではなく、単なる組織でもない、キリストと結ばれた存在で、頭はキリストです。方向を決めるのもキリスト。成長させるのもキリストです。
 
 そして、からだには多様な部分があります。役割の違いは、優劣ではなく機能です。どの部分も必要です。つまり教会は、参加する場所ではなく、自分が一部である存在です。

■ 成長とは成熟
 私たちは「成長」と聞くと、数や規模を思い浮かべがちです。しかし、聖書が語る成長は成熟です。それは、キリストに似ていくことであり、結びつきが深くなることであり、各部分が機能することです。

 教会の成長も同じです。これまで私たちは確かに主に導かれてきました。そして今、主はさらに成熟へ導いておられると感じます。

■ 教会は送り出される共同体
 教会は週末の場所だけではありません。主から始まり、主へ遣わされる共同体です。礼拝は終わりではなく出発です。花嫁であることは、閉じることではありません。からだであることは、内向きになることでもありません。むしろ逆です。キリストのからだは、この世にキリストを表すために存在します。

■ 御霊の働き
 では誰がこれを実現するのでしょうか。私たちの努力でしょうか。熱心さでしょうか。聖書の答えは明確です。聖霊です。
教会は自分で教会になるのではなく、御霊によって教会にされていきます。
 御霊が花嫁を整え、御霊がからだを結び合わせ、御霊が成長させ、御霊が賜物を与え、御霊が遣わすのです。
 御霊は特別な人のために存在するのではありません。教会のために与えられています。だから御霊は、理解できない領域の話ではなく、教会が教会であるための中心です。

 教会は、御霊によって整えられ、キリストの花嫁として愛され、キリストのからだとして結ばれ、成熟へと成長し、この世界へ遣わされていく存在です。だから私たちは、集まるだけの信徒ではなく、御霊に整えられながら、それぞれの持ち場でキリストを表し、遣わされて歩んでいきましょう。