■2026年9月27日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

主を畏れる者は「冷静沈着」

 

 世の中いろいろと変化の多い時代です。成功していく人もいれば、衰退する人もいます。そういう変化の多い時代ですが、主を畏れる者は、しっかりと心を安定させ、平安を保ち続けることの出来る「冷静沈着」な者である、というのが今日のポイントです。

①なぜ心が不安定なのか。
(箴言25:28)
「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。」

 「自分の心を制することができない人」は、思い通りに好き勝手に欲求通りに事を進めていく中で、心の中に怒り、妬み、嫉妬などの負の感情を持つことがあります。

 「城壁のない、打ち壊された町」とは、あらゆる敵が入ってきて、略奪し放題の無法状態で守りがない町のことで、自分自身の心の守りがない状態を譬えています。
 
 何も問題がないと、自分の心は「冷静沈着」だと勘違いすることがあります。「冷静沈着」とは騒ぎが起こっても、それに動じないという意味ですから、問題が起らなければ、本当に冷静沈着な心が保てるのかどうかは分かりません。
 
 私たちクリスチャンには、いろいろな重い問題が起きます。
例えば、ナイジェリアでは、クリスチャンへの迫害が酷く、多くの人々が理不尽に殺されています。どんなに正しく生きていても、それを妬んでイスラム教徒の過激派が日中に牧師家族と信徒たちを襲って皆殺しにしたという事件もありました。
 マスコミは脅されたり、圧力を受けてそれを取り上げることも出来ません。守りが無いとはそういう状態です。簡単に押し入られ、奪われ、殺され、その事実も覆い隠されます。
 そのように、世の終わりには、不法がはびこり、罪が満ち、不遜な者たちで溢れます。冷静沈着ではいられない世界になります。
 
 また、今の世にあっても、人が死に直面する時、死んだら自分はどうなるのか、死ぬ時はどういう気持ちになるのか、という死への恐れ、不安で、冷静沈着は乱れます。
 
 そこで今日は、このような不安な心を冷静沈着にするための聖書のおことばを、2つ紹介いたします。

②冷静沈着を得る
A)詩篇115:11
「主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。」

 どんなに頑丈な家にいても、心までは守り切れません。
魂の不安や恐れから心を守ってくれるものは、主に信頼することです。
 
 なぜなら主は、主を畏れ敬う人々の盾となり、私たちの霊、心に対して、守り(城壁)を与えてくださるからです。
 
 シェルターの中に安心して入れるのは、どんなに爆撃されてもつぶれないという確固たる保証があるからです。

 そのように、万物の創造者なる主を信じ敬う者たちは、全能者によって魂、霊が守られ、そのゆえに冷静沈着を保つことが出来るのです。
 
 信頼が弱まると不安になります。しかし、神様は私たちの未来までも全てをお考えになってくださって、私たちが安心できるように、聖書の中に色んな約束を与えてくださっておられます。
 だから主に信頼するということは、冷静沈着を得る最も大事なポイントなのです。

B)箴言14:26
「力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。」

 信頼には保証が必要です。クリスチャンは主を信頼します。その信頼の根拠、保証は何でしょうか。(Ⅰテモテ1:15)から見てみましょう。

③主を敬う確信

(Ⅰテモテ1:15)
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」

 イエス様が天に帰られて、そして12弟子が世界に福音を宣べ伝えていく中で、異邦人に福音を伝える役目を与えられたのはパウロでした。パウロはそれまでイエス様の弟子や信徒たちを捕まえて牢に入れるという迫害の急先鋒でしたが、神様はそのパウロを回心させて、異邦人に福音を伝える使命を与えられました。
 
 イエス様が大罪人として十字架刑につけられたということは、当時のほとんどのユダヤ人の知るところでした。弟子たちもそれを記録して、今の新約聖書の基本が出来ています。
 
 十字架刑は当時のもっとも惨い極刑です。イエス様はどれほど悪い罪を犯したのでしょうか。聖書には、イエス様は裁判にかけられても何の罪も見出せなかったと書かれています。
 それどころか、人々を癒し、貧しい人を助け、泣き悲しんでいる人を励まし、善行を積み重ねておられたという沢山の記事が福音書に書かれています。
 
 旧約聖書にも、ユダ族のダビデの子孫から救い主が現れるということが預言されています。その通り、イエス様はユダ族でダビデの子孫でした。

 他にもメシアについての預言が数多く旧約聖書にありますが、一つを除いて全ての預言が、イエス・キリストにおいて成就しました。(まだ成就していない一つの預言とは、これから成就する「主の再臨」です。)
 
 かつてクリスチャンを迫害していたパウロさえが、目が開かれた時に、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受けるに値するものです。」と告白しています。
 
 イエス・キリストが救い主であることを否定する様々な異端があります。しかし私たちはそれに惑わされず、「イエス・キリストは神に遣わされた救世主である」と、確信をもって信じるべきです。
 
 パピルスの写本や羊の皮に書かれた写本など、一万以上の文書が、現在も、物的証拠として残されています。

 そのように、イエス様は罪人を救うためにこの世に来られた救い主である、という事実を立証する証拠・証言が多くある中で、私たちは天地万物を創造した神を畏れ敬い、その方から遣わされた救い主を信じ、主を畏れ敬うことを表明しています。それがクリスチャンです。その確信を皆さんもぜひ強めていただきたいと思います。

◉デボーション
 主を畏れる力強い信頼を持つために、試みに会うことによって得ることが出来ます。
 
 どこまで神を畏れ敬っているのか、私たちの確信を強めるために神様は私たちを試みに会わされます。
 
 私たちの誰もが逃れることの出来ない「死」を経験する時が来ます。安心して平安の内に冷静沈着に死を迎えることが出来るのは、城壁の中で魂が守られている時です。
 
 今も、この地上で、更に力強い信頼を持つための神様の試み、訓練、鍛錬が皆さんに始まっているということを覚えておいてください。今受けている不安、畏れ、難問、問題、そういうことによって心を動揺させないで、それらは私たちの主を信頼する心を強くするために、主が訓練してくださっているのだと受け止めてください。
 
 主はすべてを益と変えてくださるお方です。神様は良いお方ですから大丈夫です。この地上で主を信頼する心構えをしっかりと築き上げていきましょう。

 イエス様の十字架があなたにとってどれほど確信を得ることの証拠となっているか、それは皆さん自身によって、これから強めて行くことが出来るものであるということを忘れないでください。