■2026年4月5日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)
奴隷ではなく、子として生きる
主題聖句(ローマ8:15)
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
イースターおめでとうございます。先週、私たちはイエス・キリストの十字架を覚えました。
イエス様は、私たちのために苦しみを受け入れられました。本来、それは私たちが受けるべきものでした。しかしローマ8章1節はこう言います。「今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」 これは神の宣言です。十字架によって、私たちの“終わり”は取り消されました。ではその先に、何が与えられたのでしょうか。
・復活は父の行為
ローマ8章11節
「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が…」
ここで大切なのは、父なる神がイエス様をよみがえらせたということです。十字架は終わりに見えました。しかし神は、それを終わりにしませんでした。復活とは「まだ終わりではない」という神の宣言です。そしてその御霊が、今、私たちの内に与えられています。
・奴隷ではなく子として
ローマ8章15節
「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。」
ここで言われている「奴隷の霊」とは、神に不安で恐れながら近づく状態です。つまり神の前で安心できない関係です。しかし私たちは、「子としての霊」を受けました。そして、「アバ、父」と呼ぶとあります。
私にはまだ小さい息子がいます。その子が「ダディ、ダディ」と呼んでくれるんです。それが本当に嬉しいんです。ただ呼んでくれる、それだけで嬉しい。だからこう思うんです。父なる神も同じではないかと。私たちは、ちゃんとしないといけないと思ってしまいます。でも神が求めておられるのは、「お父さん」と近づいていくことそのものです。復活とは、恐れの関係が終わり、父との関係が始まったことなのです。
・苦難の先にある栄光
ローマ8章17節
「私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしている…」
人生には苦難があります。クリスチャンでも同じです。しかし違うのは、終わり方です。イエス様は十字架で終わりませんでした。復活がありました。同じように、神は私たちの人生を苦難で終わらせません。
復活とは、奴隷として生きる人生が終わり、子として生きる人生が始まったことです。恐れの中で神を見るのではなく、父として神を知る人生です。
もし今日、神を遠く感じているなら、難しいことは必要ありません。ただ一つです。「アバ、父」と呼んでください。神はそれを喜ばれます。