■2026年8月30日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

 主を畏れるとは「隠悪揚善」



(詩篇34:13-14)
「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。」

 
⦿主を畏れることを学ぶ

(詩篇4:11)「来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。主を畏れることを教えよう。」

(詩篇34:13-14)「あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。」

(詩篇34:13-14)には、主を畏れるということの具体的な行いが教えられています。

①舌に悪口を言わせない
 悪口を言いたくなるような否定的な感情が出てきた時に、意志の力で留めます。思っていることをそのまま素直に出さないで、ちょっと考えて、そして留めるのです。

②唇に欺きを語らせない
 自己防衛から、咄嗟に嘘や偽りで人を欺くようなことをしがちですが、意志の力で、それを語らせないようにします。

③悪を離れる
 聖書から罪の行動について示されると、心が責められて良心が痛みます。それは大事なことです。きよい良心だから、罪に対して敏感になり、悪から離れたいと思うのです。悪から離れられないと思うと、神を信頼する心の姿勢が弱ってしまいます。
 悪から離れることを、しっかり意識することが大切です。
④善を行え
 単に悪から離れるだけでなく、善を行う、そのように心を切り替えるためには、意志の力を働かせなくてはなりません。
 
⑤平和を追い求めよ
 (マタイ5:9)には「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」とあります。
私たちは神の子です。争いごとを避けて、平和を求めます。

 この5つのことには、すべて意志を働かせることが必要です。私たちの意志力を、この5つのことに用いましょう。
 
 私たちは感情で動くことが多いのですが、怒りや嫉妬、ねたみ、自己中心、差別など、悪い感情に支配されてしまうと、良心の咎めが多くなります。それはとても辛いことで、クリスチャンであることを諦めようとさえ思います。感情を鎮めることは、意志の力ではなかなか難しいものです。
 主を畏れるとは、この5つのポイントを不断に意識し、目指し、それを毎日の生活の中心に置くということが必要です。
 皆さんが主を敬い、神の愛に感謝し、神の子として歩むことを決心したのなら、この5つのことに意志を働かせるということが、主を畏れる者の姿勢です。
 
 失敗した時は、「主よ、ごめんなさい」と謝って、主を畏れる心と主への信仰に立ち返り、再び5つのポイントにチャレンジを始めるのです。
 
 何回も同じ失敗を繰り返すようでしたら、自分は本当に神を敬い、主を畏れているのか吟味してください。主は、愛なる神でありますが、さばき主でもあります。
 この世で裁かれなかった罪を裁くことの出来るお方は、聖書の神イエス・キリストだけです。
 
 その裁きは、イエス・キリストの再臨の時に始まります。これを心得ておかなければ、神を畏れるということが分かりません。
 
 悪口を言わず、欺きを語らず、悪を離れ、善を行い、平和を求めるという、私たちがこの地上で行ったすべてのことに対して、神は報いるお方です。悪には悪にふさわしい報いを、善には善に相応しい報いを与えられます。

 そして、悪いことをしていた者であっても、イエス・キリストを主と信じて、みことば(教え)に従おうとする人は、神の前に憐れみを受けて赦していただけます。
 
 イエス様を信じて敬っていると言うのなら、私たちは意志力をもって、「悪口を言わず、欺きを語らず、悪から離れることに努力して、善を行い、平和を追い求める」、そこに意識をいつも置く、それが主を畏れているクリスチャンの日常の心構えです。訓練です。
 
 主の再臨が近づいています。その時まで、主を畏れる5つのポイントを守っていきましょう。まだまだ先のことだ、神は恵みと憐れみの神だから大丈夫、と安易に考えていたら、神への信仰は崩れてしまいます。
 
 クリスチャンは死後の世界を信じています。体を離れた魂がどこに行くのかを知っています。

 神を畏れて歩んだ人生に報いてくださるイエス様は、恵み深く憐れみ深い、愛と赦しの神様であることを、私たちは知っているのですから、この5つのポイントに出来る限り意志を働かせて歩んでいきましょう。

 失敗しても諦めないで、赦されていることを感謝して、チャレンジし続けることが、生きた信仰です。

 「悪から離れ、善を行い、平和を追い求めて行きなさい」と、神様が私たちに語ってくださっているのですから、私たちはしっかり受け止めて、チャレンジし続けていきましょう。神様が力を貸してくださいます。

⦿デボーション

(ピリピ2:3)
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分より優れたものと思いなさい。」

*「自己中心や虚栄からすることなく」
あたかも出来ているかのように見せたがるのは罪の心です。

*「へりくだって」
人を自分より優れていると思うことです。たとえ、そうは思えない状況があっても、その人の命を尊ぶゆえに、愛と憐れみをもって対応します。

 今日のみことば(詩編34:13-14)また(ピリピ2:3)によって、主を畏れることを学ぶことができます。
どうしてでしょうか。

 このみことばには、相手がいる。隣人がいる。それがヒントです。皆さんも考えてみてください。