■2026年2月8日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

御霊がいのちをもたらす

 

主題聖句(ヨハネ6:63)
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。
わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

 私たちの教会は、御父、御子、御霊との交わりの教会です。神の家族としての交わりが深められていきます。私たちは罪のからだを持っていますから、罪を犯してしまうことはありますが、イエス様は悔い改める者に赦しを与えて、やり直す機会を与えてくださるお方です。
 「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)」という気持ちで、諦めないで歩んでいきましょう。

*今年のモットー「御霊による働き」(マタイ5:16)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

  私たちの日頃の敬虔なクリスチャン生活を通して、天のお父様が崇められる、これが今年目指している私たちの愛の方向です。

*いのちの光を持つ(ヨハネ8:12)
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
 
 世の光であるイエス様に従う人、すなわち、ことばなる神である主イエス様の御教えに従う人は、いのちの光を持っている人です。

*従うために必要なことは信頼(Ⅰヨハネ4:10)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
 
 まず神様が私たち罪人を愛して、私たちの救いのためにイエス様を遣わしてくださいました。この神様の愛を知らなければ、私たちは神様に心を向けることも愛を知ることも難しかったでしょう。
 ですから私たちはイエス様が再び来られる日まで、神様の愛を常に覚えて、聖餐式を行いイエス様の死と葬りと復活を象徴するパンと杯にあずかっているのです。

❶従う者は賢い人(マタイ7:24~27より)
 神様の愛に応えて従っていく人とは、イエス様のおことばを聞いて実行する人です。その人は最後の審判の時に救われます。

❷御霊による働きのために、従う者に御霊が注がれる
(使徒5:32)
「神が御自分に従うものたちにお与えになった聖霊も、そのことの証人です。」
 
 今年私たちは、「御霊による働き」によって父なる神様が崇められるようにする日々を心がけています。肉の働きによっては、神の栄光、イエス様の光を、世の人々に見て頂くことは出来ません。御霊による働きのために、神様は従う者に御霊を与えられるのです。

 前回、従う者に御霊が注がれるということで、7つお話を致しました。その中から今日は「御霊がいのちをもたらす」ということについて、少し詳しくお話し致します。

⑴ 御霊がいのちをもたらす(ヨハネ6:63)
「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、また、いのちです。」

A)『いのち』とは、創造の目的にそった存在
 人間が造られた目的にそって生活する時、「いのちのある生き方をしている」と言います。
 神は人をご自分のかたちに似せて造られました。創造主を天の父として敬い愛する存在、それが人を造られた目的です。神は父であり、私たちは子である、という親子の愛の関係が、私たちの「いのちある生活」なのです。
 神様を愛するとは、そのおことばに従うことです。感情的に愛があるか無いかではなく、神様のおことばに心から敬意をもって従うかどうか、それが神様への愛の証です。
 
 そのような神様との関係を切ってしまうのが「罪」です。
欲望は私たちが神のおことばに信頼し従うことを妨げようとします。神のおことばよりも自分の願いや欲望を優先して、神から離れた生活、罪の生活、死んだクリスチャン生活をするようになります。
 
 私たちは救い主イエス様とお出会いし、イエス様を通して神様との関係が、最初の創造の目的に立ち返ることの出来る「救い」を与えられました。

 私たちと神さまとの間の懸け橋となっておられるのが救い主イエス様です。イエス様の名によって祈る時、イエス様が懸け橋となってくださり、祈りが神様に届けられます。救い主を通して私たちは神様との交流を持つことが出来るのです。

B)いのちを与える働き 
(ローマ5:5)
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
 
 イエス・キリストによる罪の赦しと永遠の救いは、神様が与えてくださった私たちの未来への希望です。私たちはこの希望を必ず手に入れることが出来ます。
 
 なぜなら、私たちに与えられた聖霊様が、神の愛を私たちの心に注いでくださっているからです。聖霊様のいのちを与える働きとは、神を愛する愛を与えてくださる働きなのです。その愛によって、私たちと神様との交わりが、祈りを通して生まれます。
 交わりを続けていきましょう。永遠の神様の愛を知るために、永遠に交わりを持ち続けていきましょう。

C)良心の聖めが必要
(へブル9:14)
「ましてキリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」

 神を愛する愛がないと神に仕えることはできません。良心をきよめられなければ、神様の愛が注がれても心に触れることが出来ません。
 自己中心に判断する良心や、欲望を判断の基準としている良心は、汚れた良心です。これらは神を敬わない人々の良心です。
 
 すべての善悪の判断の基準は、神を愛する心から出てきます。これが聖められた良心です。聖められた良心を持つためには、「とこしえの御霊によって神におささげになった血」が必要です。聖餐式のブドウ汁は、その「血」を象徴しています。  

※『とこしえの御霊によって神におささげになったその血』とは、父なる神を愛し、私たち罪人を救う愛のことです。

 御子イエス様は、父なる神様を心から敬い、愛し、100%の従順を父なる神様に向けておられました。
 父なる神様は、ご自分のかたちに似せて造られたアダムの子孫がもう一度自分の元に立ち返って、我が子としての交流を持つことが出来るようになることを望んでおられました。罪の処分をしなければ、その関係は隔てられたままです。
 イエス様は父なる神様を心から愛しておられますから、神様の思いを受け止めて、また、私たちをも愛して、私たちの罪の支払う報酬である死を十字架で身代わりに受けてくださいました。
 神様はその血を私たちの罪の赦しの「契約」としてくださいました。それが2千年前の十字架で実現したのです。
※神を畏れ敬う敬虔な志しが湧き上がり、信頼と愛による従順を決意する心があふれてくる。
 
 この「血」に触れたもの、この「血」を受け入れてその意味が深まっていくと、敬虔な志しが湧き上がってきます。そして信頼と愛による従順を決意する心が生まれます。

※そして、聖められた良心に神への希望が湧き、どのような状況であっても『神は良き方』と前向き(信仰的)になる。
 
 不信仰な心の強い人、良心の清めが中途半端な人、神様に対する応答の弱い人、それは神様の愛を強く感じる体験が少なかったからです。御霊様との関係が薄いと、愛が施されていても、その愛が伝わってこないし触れることもできないのです。

※聖められた良心→父なる神を愛する愛→創造の目的の存在→いのちを持つ者
 
 聖められた良心とは、父なる神様を愛する愛です。その愛により、創造の目的である健全な存在の状態に私たちの魂が回復しします。そしてそれが、いのちを持つ者です。

※内にある主イエスの光を輝かせるには、御霊を受けることが必ず必要です!

【俳句】

   紅に  神の愛みる  梅の花

 梅の花が咲く季節、イエス様の血潮のような紅の花に、私たちへの神様の愛を見るようです。