■2026年7月5日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
歓天喜地の神の国2
主題聖句(ローマ14:17)
なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
今年のモットーは「御霊による働き」ということで、半年が過ぎました。今年の後半は「歓天喜地の神の国」というテーマを中心に進んでおります。「歓天喜地」とは「天を仰いで歓び、地にうつむいて喜ぶこと」という非常に大きな喜びの意味です。
主題聖句は(ローマ14:17)「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」
今日はその2回目です。前回は(Ⅰ)『神に愛されている喜び』、自分の存在そのものの価値を感じるような愛が注がれている喜びについてでした。今日は、(Ⅱ)『神に選ばれている喜び』についてお話し致します。
(Ⅱ)神に選ばれている喜び
①Ⅰテサロニケ1:4
「神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。」
私たちが神に愛されている愛は、「神に選ばれている」という意味を含んでおり、それは他者にも分かるような別次元のものです。その人の存在価値を神様が非常に大きく感じてくださったということですから、選ばれた人の喜びも格別です。その選びの基準について、②のポイントでお話いたします。
②Ⅰコリント1:27
「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強いものをはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」
この世で知恵があると認められ賞賛されるような人々ではなく、この世では愚か者、弱い者と思われている人を神様は選ばれる、と書かれてあります。
この世とは不敬虔な世界を意味しています。不敬虔な世の価値基準と神様の価値基準は違います。この世に望みを持ち、この世に楽しみを考え、この世に生きる喜びを見いだそうとする人は、この世の価値観に合わせようとするでしょう。
しかし合わせようと思っても合わせられない人々もいます。例えば、宗教に熱心な人々などは、この世の基準では、神の存在に頼る人、自立できない弱い人と思われるかもしれません。
しかし、皆さんが毎週日曜に教会に来られるのは、神への強い敬虔な心の姿勢です。肉体は死んでも、永遠のいのちを保つことの出来る罪の赦しを成就してくださった神様、イエス様ですから、仕事を失おうが肉体の命を失おうが、永遠の神の国に入る救いに勝るものはないと考えます。
いずれ神様はこの罪の世を罰して滅ぼされます。神様は、ご自分を信じる者たちがその時一緒に滅びることがないように、その救いとして、罪の赦しを与える贖いの御業であるイエス様の十字架を歴史の中で成就してくださいました。
ですから、私たちは日曜でも礼拝に出席して、そこで神様のおことばを聞き、そのおことばに生きる日々を目指すという強い意志を持って、神様に頼っていくという信仰生活を送ってきているわけです。
それが難しい状況の人たちもおられます。神様はそういう人々にも恵みと寛容をもって赦しを与えながら、一人一人が神様の前にどのような敬虔な思いや態度、心の姿勢を持って生きて行くかを見ておられます。
誰の真似をする必要もなく、神の前に自分の自由意志で選択していくことが必要です。
神様が示してくださった私たちへの愛に対して、心からそれを尊び従っていきたいという心で神に従っていくのが、私たちの神への愛であり、信仰です。
神様の選びの基準は、私たちの罪のゆるしのための救いを成就してくださった愛なる神様を畏れ敬い、その敬虔な心を持ち続ける人を神は選ばれる、と(Ⅰコリント1:27)から読み取ることが出来ます。
③エペソ1:4
「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」
神様がご自分に対する敬虔な心をもっている人々を選ばれた目的は、その敬虔な人々をきよく傷のないものにすることでした。
なぜ、敬虔な人を選ばれるのでしょうか。神に従わず信頼しない、そういう心の姿勢では、神の働きかけを受けることが難しいからです。行いまでは出来ていないけれど敬虔な心を持っている人を選んで、そこから神様はきよく傷のないものにしようと、導かれるのです。
創造主なる神様を心から敬う敬虔な心を持っている証は、神が人となって人々の罪のために十字架で苦しみを身代わりに受けてくださった救い主イエス・キリストを信じること、そしてこの救い主を送られた創造主なる父なる神を心から敬うこと、それが敬虔な心のしるしです。
すべての人の罪の身代わりとなって罰を受けてくださった方はイエスキリストだけです。これはイエス様が生まれる数千年も前から聖書に預言されていたことです。
神様は長い時間をかけて一つ一つのご計画を成就してこられました。私たち愛して私たちを救い、ご自分の永遠の神の国において神の家族としての永遠の人生に対する道備えをしてくださった、この神様以外に私たちは望みは持てません。その保証はイエス・キリストの歴史的事実です。
選びの目的はキリストを信じる敬虔な者を、ご自分の清さに預からせること、この目的があってこその選びです。
④コロサイ3:12
「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。」
神様に選ばれた喜びに対して、私たちはどのように応答すべきでしょうか。(コロサイ3:12)には、大変難しい徳目が書かれています。
私たちは、神が認めてくださるような「聖なる者」ではないにもかかわらず、むしろ選ばれるはずのない罪人なのに、神様はご自分の愛を注ぐ対象者として、私たち人類をご自分のかたちに似せてお造りくださいました。
特別な者として私たちを選り分けてくださり、愛を注いでくださっているそのお気持ちを深く思い見る時に、私たちはこのままの状態であるのは申し訳ない、出来るか出来ないか分からないけれど、深い同情心と慈愛と謙遜と柔和と寛容を身に付けるようになろう、と思えるのではありませんか。それが、選ばれ、愛されている喜びの応答の力なのです。
私たちはいつも自分の現状を見て、無理だと諦めてしまいますが、神様は諦めてはおられません。
今、皆さんがここにいて、イエスキリストを信じる信仰を歩んでおられるということは、神に選ばれて聖なるものとされて愛されていることに勇気を得て、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけようと、そういう方向に心が前向きに変えられるということなのです。
あなたの内に、選ばれた喜び、愛されている喜びがあれば、この深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に付けていこうという意欲が必ず湧いてくるはずです。イエス様のようなご人格、ご性格に成長していけるのです。
あなたには出来る、と神様が愛をもって私たちを選んでくださったのです。その喜びをしっかり内に持って、それを力として、神様のきよめに応えて参りましょう。聖霊様が、その新生と新創造を、助け導いてくださいます。
短歌
選ばれた 歓天喜地の 人々の
きよめを目指す 輝く姿