■2026年8月2日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)
敬虔は大きな利益
主題聖句(第1テモテ6:6)
しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。
前回までに、「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」という(ローマ14章17節)のみことばから、
★神に愛されている喜び
★神に選ばれている喜び
★神に聖別されている喜び
★魂が救われている喜び
という4つの栄えある喜びについてお話しさせて頂きました。
今日は、(Ⅰテモテ6章6節)「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」のみことばから、「敬虔は大きな利益」というお話しをさせて頂きます。
①大きな利益
「利益」とは、金銭を得る意味によく使われるのですが、パウロがここで言う「利益」とは、霊的な意味です。
霊的な利益とは、キリストと同じ姿に変えられていくこと、最終的にキリストと共に神の国の相続人となることです。
満ち足りる心を伴う敬虔は、そのように人の霊に大きな益をもたらすものなので、求めていって欲しいというのがパウロ先生の願いです。
②満ち足りる心を伴う敬虔
(Ⅰテモテ6:8)
「衣食があれば、それで満足すべきです。」
自分の力と経済力の中で、分を弁えた生活に満足することが大事です。それ以上のものを求めて、金銭を得るための時間を持つことは、霊的な面に対してマイナスになります。満ち足りる心を伴う敬虔のために、時間をもっと使うべきではないか、と読み取ることができます。
(Ⅰテモテ6:11)
「しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。」
8節の「衣食があれば、それで満足するべきだ」という心構えで歩んでいこうと思うのなら、内なる高徳すなわち、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を、熱心に求めるようにしなさいと勧められています。
③結論
敬虔がいかに信仰にとって益となるかに気付き、肉の欲求よりも、信仰の欲求を満たすことに心を向けていくこと。そのために、御霊による喜びを知り、信仰の欲求を満たしたいという強い動機を得る
※信仰の欲求を満たすとは?
信仰とは、神様の愛に応答する私たちの神様への愛です。それは神様の約束を信じることにつながります。
信仰の欲求とは、神様の約束を手に入れたいという願いを持つこと。まだ実現していない神様の約束に対する欲求、これが信仰の欲求です。
今、私たちが最終的に一番の願いとして神の前に求めることは、私たちを迎えに来てくださる再臨の主イエス様にお会いすることです。そのためには、信仰の欲求を満たしたいという強い動機を得なくてはなりません。
その動機とは神の国、聖霊による喜びです。喜びの中には希望があります。希望は実現を期待します。
初代教会のクリスチャンも、「まもなく主が来られる」と信じて再臨を待ち望んでいました。神は必ず約束を実現してくださる、これが今も昔も、神への私たちの信仰なのです。
信じる者を天に携え挙げてくださる、それはいつなのか、私たちが生きてる時なのか死後なのか、それは神様にしか分かりません。
どちらであっても再臨は必ず実現します。ですから、喜びと希望を持って、正しい良心をもって私たちは今を生きていきます。
それが神様が私たちに示してくださった愛に応答すること、私たちの主への愛の姿勢なのです。
イエス様に愛され選ばれ聖別される永遠の花嫁として、私たちは喜んで主の再臨を待ち望む教会でありたいと願います。
イエス様にふさわしい花嫁になりたい、そんな気持ちで祈り、そんな気持ちで聖書を読み、そんな気持ちでメッセージを聞き、そんな気持ちで兄弟姉妹との交わりをして、互いに赦し合ってキリストの花嫁なる教会として携え挙げられる、それが私たちの教会の一番の願いです。
神様の愛に報いることが出来るために何か神様のためにしたい、という欲求を持ち、「満ち足りる心を伴う敬虔」という行動を持つことが出来る様になり、衣食があればそれで満足すべきだと心からそう思えるようになる、そのように神への愛の姿勢が整えられていきます。
キリストと共に御国を相続する者として、天国に迎え入れられるという強い願いを持って、「満ち足りる心を伴う敬虔」を熱心に求めていきましょう。
【俳句】
敬虔は とこしえまでも 益となる