■2026年7月19日 日曜礼拝メッセージより(辻 秀彦 主任牧師)

歓天喜地の神の国3

(ローマ14:17)
「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」

 神の国の喜びは、飲み食いなどの目先の願望が叶って満足する喜びではなく、人格的な喜び、魂の喜び、聖霊による喜びであることをお話しして参りました。

(Ⅰ)神に愛されている喜び(6/14)

(Ⅱ)神に選ばれている喜び(7/5)

 今日は、(Ⅲ)神に聖別されている喜び というテーマでお話いたします。

(Ⅲ) 神に聖別されている喜び

① Ⅰペテロ1章2節

「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」

『御霊の聖めによって』
 
この言葉は、(へブル9:14)にも使われています。
「まして、キリストが傷のないご自身を、**とこしえの霊によって**神にお捧げになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」
 
 イエス様は御自分から進んで十字架にかかられましたが、それは神様のご計画であり、御霊様がそれをイエス様に教え悟し導かれたという意味で、「御霊によって」と記されています。

 そして御霊によってイエス様が流された血潮には、私たちの良心をきよめる力があると語られています。神様の愛が私たち罪人の良心をきよめるということです。

 今日は、(Ⅰペテロ1:2)の冒頭の「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって」という部分から、「聖められた喜び」について、皆さんにも考えて頂きたいと思います。

※「父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって」

 アダムとエバが罪を犯したことにより、地上は不敬虔な世界となり、人は罪の奴隷となってしまいました。

 それでも父なる神様は、神を敬う敬虔な人々がいるということを予知されて、御霊の聖めをご計画されました。

 すなわち、一人子なるイエスキリストの血潮をもって、罪を赦す贖いの御業を、十字架において歴史の中に刻まれたのです。皆さんはそのようにして選ばれ贖われた一人一人なのです。

 罪の奴隷となっているけれども、そこから救われたい、そのような苦しみから解放されたい、正しい道に帰りたい、そういう魂のうめきを持っている罪人が存在することを神様は予知されていました。
 皆さんが今ここにいることは偶然ではありません。神の予知が実現したのです。天地が造られる前から、キリストにあって私たちは選ばれていました。私たちは愛されていたのです。

 神を愛し敬う敬虔なこころは、良心が清められなければ持つことはできません。神様の存在に心を向けるように、聖霊様が私たちを導いてくださって、今ここに共に礼拝を捧げることが出来ているのです。

② コロサイ1章22節

「今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によってあなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」

 神様は、キリストにあって私たちと和解してくださいました。その目的は私達を、聖く傷なく非難されるところのない者として、神様の前に立たせるためです。そのために私たちに必要なものは唯一つ、「神への敬虔なこころ」です。

※聖別は「光彩陸離」の喜び

(光彩陸離=美しい光がまばゆいほどに輝くようす。)

 ある人々を、ある条件で、神様が他の様々な人の中から特別に御自分のために選り分けることを「聖別」と言います。

 神様と和解させて頂いて、赦しを与えられた人の喜びは、いのちの光が眩いほどに輝く「光彩陸離」の喜びです。
 神が人となって、人の罪のために身代わりに苦しみを受けて、罪を赦すという救いを与えてくださったお方は、イエスキリストただお一人です。それを拒むというような恩知らずなことがあり得るでしょうか。

 私たちはイエス様を信じて罪赦されて、神に愛されている喜びを与えられ、心の底から湧き上がる感謝をもって生きています。

 イエス・キリストを信じるだけで、神様は私たちに敬虔な心があると見てくださいます。その敬虔な人々のために特別に計画された十字架の罪の贖いは、測り知れない神の愛です。

 罪赦されて、世の光としてこの世で輝くようにと、神様は私たちに求めておられます。すべての事を感謝し、いつも喜び、神の前に敬虔な祈りの生活を積み重ねていくという、「光彩陸離」の喜びの生き方をして参りましょう。

 

短歌

   聖別は  敬虔な心  持つ人に

       注がれている  特別な愛