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最終更新日02/10/17

キリスト教会 ジーザスフェローシップ広島の日曜礼拝、
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目覚めよ
 
7回シリーズ(2002 6/23〜8/4日曜礼拝メッセージより)

 1.世の終わりが来る前に
 2.たゆみなく祈る
 3.慎み深い生活
 4.サタンの餌食にならないために
 5.神についての正しい知識を持つ
 6.偶像礼拝を避けなさい
 7.収穫の時に収穫する

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 1.世の終わりが来る前に

目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。
1コリント15:34

 この手紙は、神がパウロを通してコリントの教会に与えられたメッセージです。大変厳しいことばで書かれています。
 パウロは「わたしはあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。」と書いてあるように、そこまで言わないと目を覚ませないほど、彼らは眠った信仰生活を送っていたと言えます。彼らは「罪がゆるされる」という福音を、自分勝手に解釈して、平気で罪を犯すようなクリスチャン生活を送っていました。
 こういう人々を、パウロは「眠った人々」と呼んでいます。
 日本は道徳的水準が高く、治安が保たれている国ですが、それは建て前で、誰も知らない所では、平気で悪いことをしたりしています。
 クリスチャンにもそのように、建て前と中身が違っている人々がいるのではないでしょうか。

<眠った状態とは>
 意識がなく無感覚です。
 意識がない……自分というものがわからない。意見がない。多数決に左右されたり、強い意見の人にふりまわされる
 もし、あなたの信仰生活が、多数決に左右され、強い意見の人にふりまわされたり、周りばかり意識して、クリスチャンが何者かわからない状態であるなら、その人は眠った状態です。
 クリスチャンとは何者でしょうか。自分なりにクリスチャンとしての自覚がなく他人ごとのように考えているなら、やはり眠った状態です。
 自分は何者であるかという意識をはっきりと持てば、その意識に従った生き方をしてゆきます。
 どういう時に人は眠くなり、どういう時に眠くならないのでしょうか。それは私たちの関心があるかないかによります。
 クリスチャンであることに関心がなかったら、私たちは眠ってゆきます。
 そして無感覚になってゆきます。
 無感覚……見分けられない。わきまえられない。判断ができない。
 つまり、クリスチャンとして、良いこと、悪いことの判断ができなくなってゆきます。特に若い人々が、「どこが悪いの?」「どうしてやったらいけないの?」と言い始めるなら、その人は罪に対して全く無感覚になっている証拠です。
 眠っている時には、たとえゴキブリが顔の上を這い回っても気づかないように、私たちの心が眠った状態であるなら、罪に対して何とも思わなくなってしまいます。さわっていても汚いとも思わなくなります。
 先日、7、8人の高校生が高1の少年を二時間にわたって暴行をし殺してしまいました。彼らの言い分は、彼が千円を返さなかったからと言うことです。彼らは殴られて死んだようになっている少年を平気で公園に置き去りにして去ったのです。罪に対して無感覚になるなら、殺人も平気になるでしょう。
 もしクリスチャンも、みんながやっているからと同じようなことをし、自分がクリスチャンであるということに無感覚であるなら、恐ろしいことです。
 しかし眠っている状態で、知らず知らずのうちに罪を犯してしまっていたのならば、目覚めることができます。
 けれども起きている状態で罪を犯しつづけるなら、もはやそこから目覚めることはあり得ません。
 コリントの人々は、神への知識の不足から、知らず知らずのうちに、罪を犯していました。

<眠りつづけた後の結末>
 (マタイ24:34〜51)42節に「だから目を覚ましていなさい」とあります。これは、世の終わりがやって来るからと、イエス様が言われたことばです。
 聖書でいう世の終わりとは、「神のさばきの時」のことです。
 神は地上のすべての罪をさばく時を定めておられます。それは、ノアの箱舟の時のように、突如としてやってきます。しかしノアだけは突如としてではなく、神によって前もって教えられ、準備ができていました。
 しかし周りの人々にとっては、ノアがどんなに言っても信じなかったので、大洪水は突如としてやってきたのです。
 クリスチャンも眠っているなら、世の終わりは突如としてやってきます。
 自分の罪はまだまださばかれないと、安易に罪を犯しつづけているなら、その結末は悪いしもべとして、歯ぎしりして悔しがるような結末になるのです。
 忠実なしもべは、いつ主人が帰ってきてもいいように、きちんと仕事をしている人で、悪いしもべとは、主人はいつ帰るのかわからないからと自分の権威を利用して、自分の貪欲を満たすような人です。この二人のしもべの結末は、忠実なしもべは主人の全財産が任され、悪いしもべは厳しい罰、偽善者のようなさばきが与えられて、泣いて歯ぎしりするような結末となります。
 起きているのに歯ぎしりするとは、よほど悔しくてうらめしい時です。
 自分が悪いことをしているのに、突然主人が帰ってきたことにうらみを持つのです。
 たとえ、世の終わりが来なくても、突如としてあなた自身がこの世から去るということがあるなら、その時にはもう悔い改めるチャンスはありません。
 やり直すチャンスがなくなるのです。つまり、クリスチャンでも、眠っている状態であるならば、ノンクリスチャンと同じように、滅びるということです。
 それゆえ、目覚めていることが大切です。
 私たちは時々、周りのクリスチャンの言動をさばいてしまうことがあります。それは自分の理に、相手がかなっていないと判断するからです。しかし、私たちにはそのように相手をさばき、強制する権利はありません。
 それができるのは神様のみです。
 忠告することは必要です。本当の忠告とは、相手のクリスチャンが眠ったまま滅んでしまうということを悲しみ、それゆえに注意と叱責を与えることです。これが動機です。
 自分の理にかなわないことに対し怒りをぶつける叱責の仕方と、その人が滅んでしまわないようにという愛とあわれみを持ってする叱責とでは、相手の受ける傷は全く異なります。
 人から傷つけられるとは、強いられ、従わせられるというところからくる痛みです。こういう傷はいやされないとなりません。
 私たちは、神の愛に何とかして答えたい、報いたいという心で、クリスチャン生活を送ることが、目覚めた生き方です。
 あなたのクリスチャン生活は、忠実なしもべでしょうか。それとも、まだ、大丈夫と罪を犯すことに平気で油断している悪いしもべでしょうか。
 どちらもあるかもしれません。もしそうであるなら、悪いしもべの状態の時に病気になったり事故をおこさないよう気をつけないとなりません。もし、そこで死んでしまったら、それで決定なのです。
 それではあまりに残念ではないでしょうか。

<心の目標>
 (1テモテ1:5)「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を、目標としています。」
 私たちの心を、このみことばの目標に定めましょう。この愛を目標にして、眠らない、正しい目覚めた信仰生活を送りましょう。
 自分の志を、闇の世界を歩んでいる99%の人々に合わせないようにしましょう。
 イエス・キリストを神が人となられた唯一の神であると信じている私たちが目覚めて生きることによって、人々は神を知るようになります。
 今、目覚めましょう。

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 2.たゆみなく祈る

目をさまして、感謝をもってたゆみなく祈りなさい。
コロサイ4:2

 一般的に「起きなさい」と言われるのはどのような時でしょうか。
・起きるべき時に起きていない…仕事中や学生なら授業中
・緊急な出来事がおこった場合…火事等の危険が迫った時
・何かをしている途中…運転中や集中力のいる作業をしている時
 などの状況があります。
 
 今回は、なぜ目を覚ませと言われるのか、神が私達に目を覚ますようにと与えておられる忠告を聖書から見てゆきましょう。

〈誘惑に陥らないように祈る〉(マタイ14:38)
 このことばは、イエス様が十字架に架かる前夜に語られました。この日は過ぎ越しの祭りという、イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から神によって救い出されたことを記念して行われる祭りの夜でした。イエス様は、ご自身が過ぎこしのいけにえの子羊のように、明日は全人類の罪の身替わりとして十字架にかかるという神の御計画の実行を目前にして、ゲッセマネの園で心を注いで祈られました。弟子たちは、今がどのような時かを感じつつも疲れ果て眠りこけていました。戻って来られたイエス様が、そんな弟子たちを見て語られたのが38節のみことばです。イエス様は、どのようなお気持ちで語られたのでしょうか。「わたしはあなた方の為に苦しみを受けようとしているのに、なんで眠っているのか!」と怒りを向けて眠っていることを注意されたのでしょうか。イエス様はそんな方ではありません。
 眠り込んでいる弟子たちに「誘惑に陥らないように…」と、眠気に耐えきれず寝てしまうことは大変な状況をもたらすのだということを忠告されたのです。
 聖書で言う誘惑とは、罪の誘惑、サタンの誘惑を意味します。誘惑とは、正しい者を悪い方向へ誘い込み悪を行わせることです。まるで、眠気にあらがいきれずに引き込まれてしまうような状態に似ています。
 だから「目を覚まして誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われたです。これは弟子たちを通して、後にこのことを聞く私たちへの教訓として与えられているのです。心が燃えていても肉体は弱く誘惑に陥ることがあるのです。クリスチャンとして信仰に燃え、神からいただいたビジョンや、人生の目標に向けて歩んで行こうとしている人であっても睡魔には勝てません。罪の誘惑に対して備えをしていなければ、いつのまにか眠ってしまいます。
 肉体の弱さとは、肉体の限界のことでしょうか。誘惑に対しての肉体の弱さとは、肉体に宿っている罪ゆえの弱さです。誘惑がやってくると私たちの内にある罪が働きはじめます。
 あの木の実を食べてはいけません、人をさばいてはいけませんといわれる時、欲望が押さえきれなくなり神の教えに反発しはじめます。ダメだと言われれば言われる程かえってそれを達成したい、欲望を満たしたいという強い思いが貪欲となるのです。これが私たちの内に働く罪が引き起こす状況です。クリスチャンであっても、肉体は誘惑に弱いということを知っておかなければなりません。肉体には様々な欲望がありますが、健全な欲望は自制心と摂生をもって保たれます。しかし、その基準を超えた時に貪欲という罪の領域に入ります。このような罪の誘惑に陥らないために「祈っていなさい」とイエス様は言われたのです。
 では、目覚めることと祈りにはどのような関係があるのでしょう。

〈祈りによって目を覚ます〉
1.意志的に心を神に向ける(マタイ6:6)

 私たちが祈る時、祈ろうという意志を働かせなければ祈ることはできません。6節でイエス様は、祈る時には奥まった部屋で祈りなさいと教えておられます。すなわち、祈りに集中できる環境を作り意識的に心を神に向けることが必要だということです。これは神との交信を始めることであり、その手段が祈りなのです。
 使徒8:18〜24の出来事をみるとこの事がわかります。シモンという人が神の賜物をお金で買えるものと勘違いして、ペテロにこの賜物を願いました。彼の心構えは間違っていましたので、その間違いをゆるしてもらうために主に祈りなさい(交信をもちなさい)とペテロは戒めました。しかしシモンは、あなた方から言ってもらったほうが効果がありますから私の替わりに祈って下さいと頼んだという出来事です。
 このように祈りは神との関係をつなぐ手段です。
 ここで皆さんに一つ注意としてお話しておきたいことがあります。クリスチャンはイエス・キリストという神に向かって祈りますが、祈りそのものはどの宗教にもあるものです。見えない世界(霊界)に対して手をさしのべて霊の世界に存在するものと交信する方法が祈りなのです。
 ですから、交信すべき相手と正しくチャンネルを合わせなければ大変な罪を犯してしまうこともあり得るのです。黙想や瞑想は霊の世界に心を開くことでり、そこには天使やサタン等いろいろな霊的存在者がおり、あなたに語りかける可能性がいつもあります。神からの働きかけかそれ以外のものからの働きかけなのか、間違わないように私たちは常に心を守っておかなければなりません。
 ですから、「イエス・キリストの名によって祈る」ことはとても大切なことなのです。神との交信・交わりによって心が目覚めていることができます。つながりを持ち続けることによって、善悪を見分けもできるわけです。

2.意識的に神の前に出る(マタイ6:9)
 これは主の祈りの最初の部分です。目の前に父なる神がおられるがごとくはっきりと意識するのです。神を目の前に置く時、私たちは眠りこけることはありません。私たちの肉体が罪に弱くても、罪に打ち勝つ神イエ・スキリストが罪の誘惑とという眠気を追い払ってくださいます。

3.神とのつきあい(1コリ15:33)
 神と交信し、意識的に目の前に置いて、親しいつきあいがはじまります。つきあいが始まると私たちはつきあう相手から影響されます。あなたと関わりをもつ人とあなたとは、お互いに影響を与えあう関係なのです。友だちが良ければ相手の良い習慣が自然に身に着きます。つきあう相手が悪ければ悪い価値観が身に着いてしまうでしょう。多くの時間を神様とのおつきあいである祈りにあてるなら、良き神様から良い影響を受け目覚めることにつながるのです。このように、目を覚まして感謝をもってたゆみなく祈ることが大切です。

〈熱心になることへの反発がある場合〉
 世の中の人は熱心すぎることは危険だと思っています。熱心さがなぜ自爆テロなどという問題を起こしてしまうのでしょうか。そのような人は、一体どんな神と交わっているのでしょうか。
 良き神と交わり熱心になればなるほど、私たちにはキリストのような素晴らしさが身についてくるはずです。すると良い実があなたの生活の中にあらわれてきますし、敵を愛するまでになれるのですから熱心になることは大切です。
 もしあなたが、イエス・キリストに祈っているといいながらも、自分の心の中にある「欲望」という神に祈り願いを実現しようとするならば、そこには人をさばいて傷つけたり憎しみや復讐心などが出てくるでしょう。
 人からいろいろな事を言われたとしても、良き神とおつきあいをしているなら「神は私の事を理解してくださっているのだから満足だ。争わなくてもいいのだ。」と否定的な気持ちを抱くことなく、神から慰められ癒されて楽になるはずです。しかしそうならないとしたら、あなたは誰に向かって祈っているのでしょうか。
 祈りは熱心なクリスチャンの信仰の姿勢ですが、祈っても願い通りにならないと反発している人は自分の欲望を神として祈っていながら、良き神が自分の欲望を満たしてくれないとつぶやいているのです。
 悔い改めなければなりません。眠ってしまい誘惑に陥って罪とともに滅ぼされないために。
熱心になることへの反発は危険です。強いられての形だけの祈りや貪欲という自分の神にではなく、救い主イエス様に向かって「私の心を守ってください」と祈りましょう。このような祈りが目覚めた者の祈りです。
祈りは目覚めていることのしるしなのです。


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 3.慎み深い生活

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
1テサロニケ5:6〜7

 SORRY,NOW READY... (v _ v) ...
 ただいま準備中です。

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 4.サタンの餌食にならないために

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
第一ペテロ5:8

 今回は、目を覚まし続けていることがどうして必要なのかについて考えていきましょう。第一ペテロ5:8では、『サタンはほえたけるししのように食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っています』とあります。ペテロはサタンを、ライオンがえさを求めている状況に例えています。その事を通して私たちはサタンがどのように私たちを餌食にしようとしているのかを知ることができます。「ほえたけるしし」とは、えものを求めている姿を現しています。
 自然界でライオンたちがどのように獲物を捕るかということを考えてみたら、私たちがサタンに狙われている状況に当てはめることができます。
 ライオンは遠くから全体を見回して、ある一点に的を絞ります。そして草むらに隠れて、チャンスをうかがい、一匹に的を絞ったら、他のものには決して目をうばわれず、決めたものを最後まで追いかけて餌食にします。これが、ライオンの習性です。
 あなたが悪魔に餌食として狙われたら、逃げることができない状態になるということです。サタンは、狙ったら必ず獲得するという考えを持っているということです。
 では、サタンはどういう理由で私たちを餌食として決定するのかを見ていきましょう。

『怠惰は、人を深い眠りに陥らせ、なまけ者は飢える。』
<箴言19:15>
 自分のたましいを育て、養うことに対して怠惰な人は、霊的に深い眠りに陥って、サタンの餌食になるということです。霊的に眠るということは神を敬う心が薄れるということで、神の国に対する意識が薄れていくことなんですね。私たちのたましいは、神の国に生きるということが、私たちのたましいの生き方であります。
 現実はこの世界に生きているけど、たましいは神の世界に生きているのですね。たましいを養うとは、神の国に生き続けることを意識している人です。それが無くなっていく人は肉に生きるようになり、肉を養うことだけに意識が向けられます。肉を養うとは、この世だけで生きていくということです。すなわち、永遠に対する意識が全く無くなってしまう。この世が全てだから、神の裁きがあるなんて考えられなくて、良い事、悪い事を区別しなくても、適当にうまいこと生きて、ある程度幸せに、成功した生き方ができればいい、というような考え方が出てくるわけです。これは、この世的な生き方です。
 しかし、神の国に生きる者は、神の子として、神から与えられた環境の中で、どう生きるかが問われるわけです。神が与えられた能力、才能、地位、名誉、富を、あなたはどう用いていくかを考えていただいたら、輝いた人生を送ることが出来ると思います。
 今あなたに与えられた環境は、あなたのたましいが、キリストのような素晴らしい品性と人格に到達するために神が与えられた最善のものなのです。神の国と、その義を第一に求める心を怠けさせる、怠惰な生活が、サタンの餌食となる条件だということです。
 今、日本の経済は不況の中にあります。経済には、地上経済と地下経済があり、地上経済は、公に税務署に届けをし、きちんと経済報告をしたお金の流れですが、地下経済とは、公にできないお金の流れです。それは、脱税、麻薬取引によるお金、風俗関係、わいろなどのお金の流れです。この地下経済が、地上経済を支えている部分があると言われています。具体的に言いますと、例えば、援助交際(お金をもらって男性とお付き合いすること)が、女子中・高生の中で増え広がっていると言われています。東京都内で、公共機関が調査したアンケートによりますと、援助交際の経験のある女子中・高生が、17万人いるということです。なぜでしょうか?
 その中・高生は、お金が必要な状態にあるということです。携帯電話のシェアは、10代の人々が最も多いそうです。最近の携帯電話は、カメラ付きのものや、インターネットを通して好きな曲や写真を取り込める機能もあり、料金を考えず使う学生達は、請求書が来てびっくりすることになります。親が出してやれる額ではありません。親に出してもらえないとなると、自分で稼ぐことになり、ついつい稼ぎのいい仕事に誘惑されていく。援助交際をしている学生達のアンケートでは、全国平均、一回で稼ぐ額は、5〜6万だそうです。これはもう普通のおつき合いではないわけです。この援助交際による一年間の市場流通金額は、低く見積もっても500〜600億円と言われています。このお金が、NTTやDDIや高級ブランドブティックなどの地上経済を支えているわけです。
 政治家がわいろを取ったり、暴力団が麻薬などで得たお金は、高級ナイトクラブで、一日に200〜300万使うわけですね。そのお金は、酒の会社や、クラブの女性達が洋服を買いに行くブティックなどに流れていき、その業者がそのお金で潤っているわけです。この地下経済から出て、地上経済に流れているお金は一年間で、なんと23兆円だそうです。国家の一年間の予算が90兆円くらいですから、ものすごい影響力を持っているわけです。だから道徳的には悪いとわかっていても取り締まりが徹底できない、結局は自分の給料に関わっているという可能性も秘めており、警察も見て見ぬふりをする、といった矛盾が起こります。そういう世界の中で、サタンは餌食にする人々を捜しているのです。
サタンは、そんな世界の中で、まじめに生きることにむなしくなり、怠惰な生活へとおちていくクリスチャンをも餌食にしようと待ちかまえています。2度と悔い改めることのできない、罪のどろ沼の中に引き込もうと、あなたはサタンに狙われています。
だから、私たちはどうしたら良いのでしょうか?

 ヘブル章12:2〜3をお読みしましょう。
『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。』 
 わたしたちが、闇の世界の価値観に流されて、眠ってしまわないように、イエス・キリストをいつも見上げていなさいというのです。
 イエス様はよみがえられて、天に昇られたので、現実に見ることは出来ません。イエス・キリストを見るということは、神のみことばにいつも関心を持つということです。イエスは神の言葉である、言葉は神であった(キリストであった)と書かれています。神のみことばをいつも私たちの心を見分けるための基準としなさい、ということです。みことばが私たちの人生の土台である、基準である、支えである。その土台の上に立った信仰生活、それがイエスに目を注ぐということです。
 私たちは、一人だけだと疲れてしまいます。会社で、クリスチャンとしての良い証しをしようと、まじめに働き、良い事を続けたとしても、人に認めてもらいたいという気持ちがあったら、やがてむなしさがやって来ます。善い事をし続ける秘訣は、自分が神の国に生きる者として、たましいを冷静に保っていくために、周囲の環境に気を配り、自分の奉仕することで、少しでも人々の気持ちが安らぎ、良い人間関係ができていくために、と考えてすることです。みことばからはずれた価値観を持ち始めるとき、、むなしくなって、いやになって、それが、クリスチャンとしてまじめに生きることに疲れてしまうところまでいってしまうのです。そうなったら、サタンの餌食として狙われてしまいます。
 そうならないために私たちは、神のみことばを瞑想する、黙想することが必要です。みことばはイエス様ですから、みことばを瞑想することは、イエス様と交わることです。神の前にみことばを黙想して、心の中をみことばで洗い聖めていただく。そんなひと時を持つように心がけて欲しいと思います。アーメン。それが、イエスから目を離さないこと、それが、怠惰に陥らないこと、怠惰にならないことは、悪魔の餌食にならないということです。


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 5.神についての正しい知識を持つ

目を覚まして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。わたしはあなた方をはずかしめるために、こう言っているのです。
1コリント15:34

 コリントの教会の人々は、神の奇跡や恵みを受けた事で、自分たちの信仰生活が神様の前に100%きよめられていると思い違いをして誇っていました。しかし、実際には道徳的に大変乱れた状態にあり、罪を罪とも思わず自分たちの悪い生活をも正当化してしまうような、盲目の信仰生活を送っていました。
それでパウロは、彼らをはずかしめる為に「目を覚まし正しい生活を送り、罪をやめなさい。」と語ったのです。
 なぜ、彼らはクリスチャンなのに神の前に喜ばれない信仰生活を送っていたのでしょうか。それは彼らが神に対する正しい知識を持っていなかったからです。この事を歴史的事実を通して皆さんに理解していただこうと思います。
 
明智光秀が、主君である織田信長を暗殺した「本能寺の変」をご存じだと思います。
この事件はなぜ起こったのでしょうか。明智光秀は大変すぐれた能力の持ち主だったので、織田信長は彼を非常に信頼して近畿地方の総督として任命し、家臣の中で一番多い六十四万石という広大な領土を与え、さらに中国地区の軍司令官として毛利との戦いでも指揮をとらせるなど、数々の重要な場面で重宝に用いていました。
 しかし、途中から織田信長が豊臣秀吉を家来にして奇想天外な発想をする秀吉を用いだして、百姓出身の彼が異例な出世をしてきた事に嫉妬し、本当はNO、2の存在として光秀の事を高く評価し信頼し続けている信長の本心に目を留めないで、秀吉の用い方を見て表面的な部分にのみ心奪われて、光秀は信長に対する正しい知識を捨ててしまったのです。
 「本能寺の変」は、正しい知識を捨てたがゆえに間違った決断をしてしまった結果、引き起こされた事件でした。
 私たちが光秀のように、主君(=神様)に対して間違った決断を下さないで神を信頼し喜んで従う為に、神についての正しい知識を 3つのポイントから見ていきたいと思います。

1.神は愛です 
 〜私たちの存在を価値づけてくださる方〜(1ヨハネ4:16)
 ヨハネはイエス様が十字架に架かられる時、イエス様亡き後の母マリアの世話を直接託されたほどにイエス様の一番身近にいたと言われる弟子ですが、その彼が語っている言葉です。
私たちは罪人でありそのままでは何の価値も無い者ですが、神の愛が注がれているので、価値ある者として生かされています。
 私たちの人生に何が起こったとしても、価値無き者を価値ある者として愛してくださっているすばらしい神の愛を私たちは知っているのですから、それを信じ続けることが大切だと説いています。

2.神はすべての事を働かせて益としてくださる(ローマ8:28)
 私たちは人生において、様々な苦しみ悲しみ理不尽な事に出会いますが、神を信じるならば神がすべてのことを働かせて益と変えてくださるのです。
 先日、上原令子さんがコンサートの中で証しされました。彼女はアメリカ人の父親とのあいだにハーフとして生まれ、しかも父親の事は全く知らず、産んでくれたお母さんも生後4ヶ月の時に彼女を里子に出しました。彼女はその生い立ちのゆえに友達にいじめられ、ずいぶん荒れた生活をされた時期もあるようですがイエス様に出会い神様は良い方であるという正しい知識を得たことにより、産んでくれたお母さんに出会ったときに「わたしを産んでくださってありがとう。」と心から告白することができたのです。
 ジグソーパズルの一つ一つのピースが合わさって、一つの完全な形を作り上げるように、私たちの人生に起こる一つ一つの出来事がすべて合わさって一人の人の人生を完成するので、神様は良き神様であると信じ続けるならば何一つ無駄なものはないのです。

3.神は天地の主であって、善悪をさばく方である(使徒17:24、31)
 この世は正しい人たちの行為がなかなか認められなくて悪がはびこり、ずるがしこく生きる人の方が用いられ成功しているように見えることがあり、時として善を行うことをむなしいと感じてしまうことがあるかもしれません。
 しかし、天地を創られた神が正しい裁きをされる最後の審判の時がやってくるのです。
この世のすべての罪が神の前で明らかにされて、罪を犯しても悔い改めをしない人たちが全て滅ぼされるのです。その事のゆえに私たちは信仰を持ち続けることができ、あくまでも神の前に悪であることには同意しない勇気を持つことができます。
神に対する正しい知識をしっかり持って、神の子としての歩みを確立して参りましょう。
そうする事によって決して眠ることがありません。
 
 以上の三つのポイントをしっかり心に念じて信じ続ける事により、全能なる神に希望をもち、つらい事、失望や落胆をり越える力を得ることができると信じます。


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 6.偶像礼拝を避けなさい

ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。
使徒20:31

 パウロは地中海の地域に教会を建て上げて3年間神の言葉を教え訓練し、そこを去る時にこの言葉を語りました。なぜ、パウロはこの言葉を語ったのでしょう。それは29、30節にあるような問題がこれから起こってくるからです。外側からは、この世のいろんな働きかけを通して、神の言葉を純粋に信じる愛している人々をの心を汚し荒しまわり、つぶそうとする働きが入り込み、内側からも、教会の一致、神への信仰を崩してしまうような働きが起こってきます。これらの問題に巻き込まれないように、目を覚ましていなさいと語ったのです。29、30節をまとめると、「キリストから引き離す働きがやってくるので、目を覚ましていましょう。」となりますは次第に弱ってきます。自由社会のB牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なBLOCKQUOTE>



レビ記25:23〜28に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。あなたがたといっしょの在9&s&9& &9&s&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&s&9&s&9&s&9&9&s&9&9&s&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&s&9&9&9&9&ュ &9&s&9&ュ &9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&s&9&9& &9&9&9&s&9&ュ &9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9& &9&ュ &9&ュ &9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&s&s&9&ュ &9&s&9&!&9&9& &s&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9&9'9ツ9ネ99P9P9 9 9サ9V9V9サ9サ9ese9 9 9 9#$?WXqヒヨ45@ョッレロユヨラ    (ey。「ュホpq56オカキクケヤ#$-stツテ,JKサKLMNOX{ウエセソタS T ・ ヲ   ( ) + 5 ? R i { 、 。 ト ' ( オ カ キ %?TUV?キク012NOPQRefmヒフヘ .@Akアdeチヘホマト   &'(-.456<=>FKLTbjklo000000000000000 0 0 00000 000000蓮 0 0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮蓮蓮蓮蓮蓮 0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮蓮蓮蓮0蓮0蓮0蓮蓮蓮蓮蓮蓮 0 0 0 0蓮蓮 0蓮0蓮0蓮0蓮00蓮蓮蓮 0蓮0蓮0蓮蓮蓮蓮蓮蓮 0蓮0000000蓮000000蓮蓮0蓮0蓮蓮蓮 0 0蓮蓮蓮蓮 0000蓮00蓮蓮 0蓮 0蓮 0蓮0蓮0蓮蓮 0蓮 0蓮 0蓮蓮蓮蓮蓮 0蓮0蓮0蓮0蓮00蓮0蓮蓮蓮蓮蓮蓮蓮蓮 0 0 0蓮0 0 0 0蓮蓮蓮蓮蓮蓮蓮 0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮0蓮00蓮00蓮0蓮00蓮0I00ヲ蓮0I00ヲ蓮0I00ヲ蓮0I00ヲI00ヲ000000000蓮0000000000000000蓮0蓮0I00X0ニ|2Wq45@ョヨラ   (サK) + 5 ? 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キリストから心を引き離すもの<第一コリント10:13、14>
 毎日の生活の中の一番の戦いは、神様から心が離れてしまうことに対する戦いです。いろんな戦いの根本は、私たちを限りない愛で愛してくださる神様の愛に留まり続ける戦いです。キリストから心が離れてしまうことを、偶像礼拝と位置づけています。パウロはイスラエルの歴史を振り返って、イスラエルの人々の心が神様の愛からずれてしまった失敗を通して、教訓を得なさいと教えています。

(1) <第一コリント10:7> → <出エジプト記32章>
 イスラエルの人々がモーセを通してエジプトの奴隷状態から救われました。そして、神様は民に十戒を与えられたのですが、それを頂くためモーセはシナイ山に40日間登っていました。モーセは水も食料も持っていません。下で待っている民は、モーセが死んでしまったと思い、自分たちの欲望を満たすための言い訳として、金の子牛の偶像を造りました。子牛が自分たちをエジプトから導き出した神だと言って、我慢していたやりたいことをし、飲んだり食べたり戯れたとあります。
 神様の働きかけの結果は、自分の都合のいい時に出されるのではなく、全て神様側の判断です。しかし神様は、約束を必ず守ってくださり、実現してくださる方です。それを待ち望む、これが一つの試練です。この試練に対してあきらめてしまう時に、神様に対する尊敬の心が、自分の欲望を満たす方に向けられてしまい、民は飲み食いし戯れたという、神様の心から離れた状態を起こしてしまいます。こういう考え方が、教会の中にも入って来ます。すなわち、宗教とは心の中の問題で、それぞれの道徳心に従ってその人が良いと思う事を行なって生きたら、それでいいじゃないかと、神様の存在を否定し、自分なりに清く正しく生きたらいいんだよ、という考え方が教会の中に入ってきて、形だけの信仰、文化の一つのように死んだ宗教になってしまいます。その危険性があるから、私たちは神様の約束を忍耐強く待ちましょう。そうしなければ、あきらめてしまった時にはイスラエルの民のように、自分の欲望を満た方向に走ってしまうからです。
 神以外のものを大切にしようとする心が、偶像礼拝の中心です。私たちは、自分の願望を達成するために神様に祈るということをします。これは、自分の都合の良いように神様を動かす考えであり、これが偶像礼拝の共通点です。しかし神様は私たちの思い通りにはなりません。なぜなら、神は真実で正しい方です。全宇宙を支配して秩序を保たれる神様が、一人一人の身勝手な願いに全部応えていたら、秩序が無くなってしまいます。正しい神様のお考えを無視し、自分の欲望を優先して神様に願いを持っていくことは、かえって神様の名によって偶像礼拝をしていることにつながります。イスラエルの民は、私たちは主の名によって飲み食いをしようと言って、偽物の神様をつくって自分の欲望を達成しようとしました。こういう考え方に陥らないように気を付けていきましょう。

(2)<第一コリント10:8> → <民数記25章>
 荒野から、パレスチナ地方にイスラエルの民が移動して来ました。ミデヤンの地を通る時、そこの王様は気に入りませんでした。自分達が支配されてしまうのではないかと恐れて、よく当たるという預言者バラムの所へ行き、イスラエルの民を呪ってくれと頼みました。しかし、イスラエルの神はバラムの仕えていた真の神様が祝福していた民だったので、呪うことは出来ませんでした。そこでバラク王は、イスラエルの民が神様から呪われるように罪を犯せばいいと考え、ミデヤン人の女性たちをこの民の幕屋に送りました。神様のルールとして、祝福を受けるためにイスラエル人以外と交わってはいけない、縁結びをしてはいけないという戒めがあったからです。民はまんまとひっかかりました。それだけではなく、女性たちはミデヤン人が拝んでいる神様に捧げものをするように誘惑し、宗教的にも道徳的にも姦淫を犯させたという事件が起こりました。イスラエルの民は罪を犯して呪われる民になってしまい、神の裁きがくだり、一万三千人の人々が殺されたのです。この中で誰も悔い改めなかったら全部の民が滅ぼされるところでしたが、ピネハスという祭司が奮い立ち、ミデヤン人と交わっている人々をみことばに従って裁いたときに、天罰がやみました。
 教会にも、神様に対する純粋な信仰を汚すものが入り込んでくる、もしくは自分の自己中心の願いを達成するための言い訳として、神様のみことばを用いて、他の人々にも同意させ、正当化しようという考えを教会の中に持ち込む人や、教会の中からそのような考えを生み出す人々が現われて来るので、気を付けましょう。これらのことは、自分の自己中心の貪欲から出てくる考えであり、偶像礼拝です。神以外のものに心とらわれていくことが、偶像礼拝です。

(3)<第一コリント10:9> → <民数記21章>
 イスラエルの民は、エジプトから出てくる時には食物を沢山持って出てきましたが、当然それらはなくなります。最初に食物や水がなくなった時に、民はつぶやきましたが、神様は裁かれませんでした。当然だからです。神様は天からの食物マナを毎日降らせてくださいました。それは、それだけで健康を維持出来るというすごいものでした。その神様の天的食物をずっと食べている中で、民はつぶやきました。もうこのパンには飽き飽きした、もっと他のものが食べたいと。だから、神様の天罰がやってきて、荒野の毒蛇に民が噛まれて死んでいきました。この時、悔い改めた者達が癒されるために一つの方法が与えられました。旗竿に青銅の蛇を引っ掛けてかかげ、その蛇を見上げたものは癒されるのです。青銅の蛇を見たものは癒されましたが、見ただけで癒されるわけがないとテントの中に留まっていた人たちはそのまま死んでいきました。
 神様が与えて下さる救いはに対する信頼を持たなかった人は、自分の考えで自分を滅ぼしていきました。でも、真に悔い改めた人は、神様の救いの原理がどうであろうが、そうなると言われたら単純に信じて、青銅の蛇を見上げたら直ったのです。これはキリストの十字架の予表です。どうして蛇を十字架にかかげられたのでしょう。創世記には、蛇のかしらを打ち砕くと預言されています。それは、私たちを滅ぼすサタンは、キリストの十字架の死によって打ち砕かれ、私たちを永遠の死の恐怖から救い出してくださることを表わしています。民はそれを見上げたときに救われました。
 私たちも、神様からの多くの恵みを頂いているのに、今の恵みではつまらない、もっとああしてくれ、これが欲しいと、求めるものが大きくなり、わがままになってきます。私たちは、与えられたもので感謝すべきです。その感謝を忘れて、こうならなかったらもう神様を信じない、というような、横柄な心に変わってしまう、そのような考え方に引き込まれないように、注意しなくてはなりません。その考え方の根本は貪欲です。この貪欲が偶像礼拝を生み出すので気をつけましょう。

(4)<第一コリント10:10> → <民数記16章>
 一番大きな神様の怒りにふれたつぶやきです。、コラという祭司アロンの親戚にあたる人々が、どうしてアロンやモーセだけが神様に用いられて、支配者のように私たちに命令するのかと、神様が選んだ指導者に対して不満を言ったことです。このコラの人々は、祭壇から火が出てきて滅ぼされ、又、地面がさけて、生きたまま地獄に行ってしまいました。そのような状況をイスラエルの民は見て、非常に驚き、あくる日、モーセとアロンの所に「お前達は、神様の民を殺した!」と文句を言って来ました。彼等もモーセとアロンに不満を持っていたのです。コラの民が滅ぼされたのを見ていたのに、なおもモーセとアロンに詰め寄って来ました。そのとき、神の神罰がくだり、文句を言った人々が病気で死んでいきました。神が秩序を造られたことがはっきりとわかっているのに、なおも自分の自己中心を実現するために逆らうという態度に対して、神が神罰を下されたのです。
 私たちも、神様の成されている御業に対してつぶやくということは、大変な間違いを犯すことになります。神様を動かそうとする欲求、支配されるよりは支配する者になりたいと思うこと、これは大変危険なことです。「弟子たちを自分につけようとする人々が起こってくる」とありますが、神様に心を向けようとするのではなく、自分に心を向けさせようとする、分裂分派をつくろうとする人々が教会の中に起こってきます。この世の価値観や才能を見て宗教をやっているのか、それとも、みことばに書かれてある神様をしっかりと見て、永遠のいのちを全うしようとしているのか、気をつけなくてはなりません。立派な人の仲間になりたい、そうすれば自分の立派になったような気になるから。そういう欲求も一つの貪欲であり、偶像礼拝、神以外のものに心が奪われていく状況を起こしてしまうから、気を付けなさい、とパウロはコリントの教会に語っているのです。
 このような4つの例を通して「ですから偶像礼拝を避けなさい。」と、パウロは語っています。これらは、貪欲から来た罪の現われであり、偶像礼拝につながった行為です。すなわち、私たちの内にある何かを達成したいという気持ち、これが行き過ぎると神様の権威や秩序を無視して、自分の願いを優先させようとする状態が、不健全な欲望、貪欲になるのです。創造主なるお方が宇宙の秩序をたてられました。その秩序を超えて、自分の願いを満たそうするとき、それはまことの神以外の神をつくることになり、自分の願望を達成するための別の秩序をたてることになります。だから偶像礼拝なのです。イエス様を信じて聖く正しく生きていこうという気持ちを崩そうとする、いろんな欲求がでてくるでしょう。その欲求をなくしてしまいなさいと言っているのではありません。健全な欲求でおさめておくべきなのです。その基準は、神の秩序に合わせて欲求を満たすなら、罪にならないということです。秩序正しい神の教えの中で、健全な生活をしていくことを神は求めておられます。世の中の多数決の考えに惑わされて、心の目が神様以外のものに向けられてしまうのことないように、気を付けましょう。多数決の考えに惑わされて、心の目が神様以外のものに向けられてしまうのことないように、気を付けましょう。

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 7.収穫の時に収穫をする

夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。
箴言10:5

 「夏」「刈り入れ」ということばは、イスラエルでは小麦の収穫を表します。仕事をする時に、仕事をしなかったらどうなるでしょうか。収穫の時はいつでもあるのではなく、特に小麦は、夏を逃したら手に入れることがもうできないものです。小麦とは、この地域の主食です。それゆえ、それがないというのは大変な恥なのです。
〈どうして恥なのか〉
 もし小麦がなかったらどうするでしょうか。最初は友人に借りにいくでしょう。しかし返す当てがないので借りにいくのにも限界があり、次には親類の家にいくようになるかもしれません。そういう風に何度もいろんな家々を回っていくと、回りの人々は何て恥知らずなんだろうと見るようになり、本人はそう思われていることも知らずに、いわば物乞いのような生活にまで落ちてしまいます。私たちがするべき時にするべきことをしなかったら、いずれ恥をかく時がやってきます。

〈クリスチャンとして収穫すべき物は何か〉
 イエス様は(箴10:5)を用いて、弟子たちに教訓を与えられました。(ヨハネ4:31〜35)を見てください。イエス様はサマリヤを通られた時、一人の女性と井戸で出会い、彼女に福音を語られました。その間12人の弟子たちは、イエス様を一人残して全員でパンを買いに行っていたのです。それほど弟子たちは空腹
だったのかもしれません。何も知らずに帰ってきた弟子たちは、イエス様に「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」と言われます。まるで、何かを食べて満足しておられるようなイエス様のようすに驚く弟子たちに、さらに「父の御心を成し遂げることが、自分の食物である。」と言われました。
 一人の女性が救われることが、父の御心であり、それを成し遂げた時に空腹も忘れるほどの満足感をイエス様は味わわれておられたのです。
 又、35節で、突然刈り入れ時の話をされます。それは小麦の収穫のことではなく、全世界の人々が救いを得ることができるような、収穫の時が来ているということを示して言われたことばです。ここの場面は(箴10:5)とぴったり合います。ペテロやヨハネたちは「人間を取る漁師になりなさい。」というイエスの招きによって、魂の収穫をするために、イエスについてきました。ところが、彼らはそれを忘れて空腹の方に心が向いて、12人そろってパンを買いに行ってしまったのです。しかし、イエスはその間一人の女性の救いのために、その井戸の所で彼女を待っていました。肉を養うことに心を向けるあまりに肝心のことに間に合わなくなるような眠った状態にならないよう、いつも目を覚ましていなさいと、イエス様は弟子たちに言われたかったはずです。しかし、弟子たちは何を言われているのか少しも悟ることができませんでした。
 これは現代の私たちへのメッセージです。今、私たちは目覚めているしるしとして収穫をしているでしょうか。社会から孤立し、色々なことに絶望し、心がすさんでしまっているひとりの魂に、イエスは語られ、人生はこれで終わりではなく永遠に続くものであるという希望を与えられました。私たちは、人生に疲れ失望している人々に対し語る必要があるということを、回りの環境を見て知る必要があります。

〈2001年 高校生アンケートから〉
 日本とアメリカと中国を中心に行われたアンケート調査の結果です。日本の高校生の70%は、自分はダメだと自己評価を下しています。願いをやり遂げることに対する自信のなさが、自己否定になっています。中国の高校生は、自分の希望している大学や職場に対し頑張ろうという望みをもっています。日本の高校生たちは、今の夢は何かという問いに対して「思い切り遊んで好きなことをすること」と答えています。こんなことが夢というのは、何か大きな束縛を受けているのかも知れません。さらに、進学をどこまで考えているのかという問いに対して、アメリカの高校生たちは、4年生大学以上を望む学生が60%以上で、中国では大学院まで行きたいという答えが60%です。それに比べて日本では、4年生大学でいいという答えが35%、あとの65%は大学へ行くことも関心が無くなっています。それぐらいに今の10代の中心である高校生たちが、何か病的に悩み希望がもてない状態になっているということです。それに応じて、最近では全学科を学ぶのではなく、もっと専門的になり、文化系の学生たちは1年生の時に数学を学ぶだけで、2年からはしなくていいとか、あるいは「国際科」などといった色々な目新しい学科ができて、何とか高校生たちの関心をひき出そうという努力がなされています。
これらのことから、高校生たちが将来を夢見る元となる、今の大人の社会に対し何ら希望をもてない状態であるということが見えてきます。
経済的に言えば、国家予算が破たんしていつインフレになりお金が紙切れ同然になってしまうかわかりません。又、最近起こっている殺人事件を見ても、一般の人間の犯行とは思えないようなプロ級の手口になっており、遺体を焼いたりバラバラにしたりします。さらには、殺した人間と殺された人間に何ら人間関係がないのに突如としてその場的突発的に事件が起きています。この6月7月でニュースに出てきた殺人事件だけでもその異常さがわかります。自分が滅ぼされる前に相手を滅ぼそうという殺意があふれでて止められなくなる精神状態が出ているのではないでしょうか。人々の心に何かとんでもない異変がおこっています。救いが必要です。真理が必要なのです。その真理とは「存在の目的」であり、創造主なる神です。
 神を知らない人々には真理がありません。私たちは創られた目的があるというところから自分の人生に意義を見い出し、人生の目的を見つけることができます。しかし人々は迷い、この真理に飢え渇いています。イエス様はその証しをしっかり立てられた方です。神の大きなしるしと奇跡をもって、ローマの矛盾した社会の中で、人々に永遠の人生への希望を与えられました。
今がこのような刈り入れの時期であるならば、眠っていて自分のことばかりにかまけていてら収穫は味わうことができません。収穫はいつまでもあるものではありません。季節は過ぎてゆきます。自分のことばかりにとらわれて、時期を見失わないようにしましょう。
私たちの幸せは、イエス・キリストを生活の中でしっかりと証ししてゆくことであり、そのことによって回りの人々が神を知り、神のもとに立ち返るようになることです。私たちは議論はしません。ただ真理を証ししてゆくだけです。それを認めるかどうかは相手の自由です。信仰はあくまで自発のものなのですから。キリストが本当の救い主であるということの証しを、私たちは私たちの生活を通して表してゆきましょう。行いの完全さからではなく、たとえ未熟であっても、欠点がたくさんあっても、そういう私たちでも救われるというすばらしさを、回りの人々に証ししてゆきましょう。
大切なのは神を敬う心です。たとえ0点のクリスチャンでも救われます。神の御心はすべての人が救われることです。自分の信じているキリストは、宗教の神ではなく、生きて働いておられる神であり私をここまで造り替えることのできる方ですということだけでも、充分な証しになります。今は収穫の時であり、家族そろって畑へ出て行くときです。
 (マタイ21:28〜30)で、恥知らずの子とはどういう子供かがわかります。父親が畑に手伝いに行ってくれるよう頼んだ時、兄はやす返事をしますが実際には行かず、弟は最初は拒否しても実際には行きました。やす返事をしても実際には行かない兄のような人は、やがて信頼を失ってゆきます。これは大きな損失です。何かを頼む時に、確かにやってくれるという印象をもたれるのは弟のような人です、それゆえ、信頼を勝ち取り大きな責任を任されるのは弟のような人です。その時、兄という立場の人は恥をかくのです。私たちが神の国に入る前に、すべての行いに対して裁きが行われます。最初がいかになまけた生活をしていても、途中で真剣に悔い改めたなら、その人の方が神の信頼を勝ち取ります。自分はまじめだし大丈夫だと思い、真剣に悔い改める必要すら感じずに、結局神の信頼を得ていなかったことに気付くなら、それはどんなに悔しいことでしょうか。大変な恥です。
 神の信頼を得るために、私たちは収穫の時に収穫するということを、忘れないようにしましょう。

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