ヨハネ15:3
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
存在そのものがきよくされている
信仰によって義と認められる
ローマ4:19〜25
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
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きよい→心が神に属すること
心が神に属する→義認
アブラハムは子孫が与えられることを信じた→復活を信じた
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復活を信じることとは
ローマ6:4
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
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キリストとともに生きるため罪の人生が葬られ、復活した義人としてのきよい人生を目指して生きることができると信じる
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復活のきよい人生を歩み続けるために
ヨハネ13:10
イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
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存在そのものは「きよい」
日々の歩みで罪のよごれが付着
罪から離れるための聖餐式
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デボーションポイント
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◎エペソ4:32
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
もっとも気をつけなければならない罪とは?
罪を赦す→負債を負うこと→相手の足を洗うこと
罪を容認することではない
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復活を 信じて生きる 義人の歩み
罪を離れる きよい愛の日々