復活という栄光を受ける前に、キリストが耐え忍ばれた人生。
            ヘブル12:2
              信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 
 
            1.ご自分の前に置かれた喜び
              ローマ8:17
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
            
              
                | ◎ | 
                キリストの喜びは、神を愛する人々が罪赦され、ご自分とともに神の相続人となることである。 
                     | 
              
            
                         
            2.十字架を忍び
              ピリピ2:6〜8
              キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
              キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
            
            
            
            
              
                | D) | 
                愛ゆえに耐え忍ばれた 
                ヨハネ15:13 
                人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。                 
                     | 
              
            
             
            3.神の右の座に着座する
              ローマ4:25
                主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
            
              
                | ◎ | 
                キリストの復活は、罪を贖うことができるにふさわしい代価、いけにえであったことを証明するものである。 
                  使徒13:35〜37 
                    ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』 
                    ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。 
                    しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。  
                     | 
              
            
 
【デボーションポイント】
  
    | ◎ | 
    愛は「堅苦卓絶」(けんくたくぜつ)の源。 
      愛してくださっている方のために忍耐を働かせる。 
        ※「堅苦卓絶」とは、苦しみに耐え抜く根性がある、また、 
         人並み以上に抜きん出て忍耐心に富んでいること。 
         |