2017 devotion

聖めへの愛の導き

go home   go to top

 

ヘブル10:22
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

 

1.『聖い愛』の臨在の中へ

ヘブル10:19
こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。

【内容観察】
 A)「こういうわけですから」

動物の血による罪の贖いでは良心が聖められなかったのは、本物が来るまでの象徴であったから。

 B)「私たち」

神の愛であられる御子イエスキリストを信じているものたち。

 C)「イエスの血」

私たちを愛して、私たちの罪を贖うために、罪を贖ういけにえとして十字架でいのちを神に捧げられたことの証であるイエスの血。
すなわち、神が私たちを愛してくださっていることのしるし。

 D)「まことの聖所」

至聖所のこと。神の臨在が現れ、神が語られるところ。
旧約時代は、年に一度だけ大祭司だけが入ることができた。
直接神の臨在に触れ、神からの導きのことばを聞くことができる場所。

【デボーション参考ポイント】

どうして、イエスの血が私たちの良心を聖めるのでしょう。

2.『属毛離裏』

ヤコブ1:18
父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。

『属毛離裏』(ぞくもうりり)の意味

親子のつながりが深いことを表す。

【デボーション参考ポイント】
 A)「生む」ことのプロセスを考えてみましょう。

 

 B)「真理のことば」とは、誰のことですか?

参照)ヨハネ1:1〜14
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 C)「みこころのままに」とは、どういう意味ですか?

 

 

top

next