2016 devotion

聖い愛による希望2

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ローマ5:5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

【内容観察】
患難から生み出されて来たこの希望は、たとえ失望することがあってもその失望で終わることがありません。なぜそのように言えるかというと、イエス様が約束してくださった助け主である聖霊様が内住してくださっていることによって、神の聖い愛が私たちの心に注がれ、その愛によってきよめられた良心がいつも前向き肯定的であるからです。

 

1.神の御前での悔い改めは『前途有望』

A)立ち返ることによる望み(第2歴代7:14)
わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

★「地をいやす」=地上での生活を健全なものとする

B)悔い改めによる望み(エゼキエル18:31〜32)
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。――神である主の御告げ。――だから、悔い改めて、生きよ。

「生きよ」=神に似せて造られている本来の自分を取り戻すこと

C)主を求めることによる望み(エレミヤ29:11〜13)
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

★「呼び求め、探し求める」=悔い改め立ち返ること

 

2.『雲外蒼天』の望みとは

第1ヨハネ3:1〜3
私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。
キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。

『雲外蒼天』(うんがいそうてん)の意味

今は雨降りの中にいるが、やがて雲が晴れれば青空が広がるということから、困難を乗り越え、努力して克服すれば良いことが待っているというたとえ。

 

★聖い愛によってもたらされた神の子としての望み
★キリストに似た者となる望み
★聖さを求める望み(モチベーション)

【デボーション参考ポイント】

神の御前での悔い改めをし雲外蒼天の望みを持つとは、どうすることでしょう。(ローマ12:2)から学んでみましょう。

ローマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

 

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