2016 devotion

聖い愛の喜び

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ローマ14:17
なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

【内容観察】
なぜなら、この世では肉の欲求を満たすことが中心ですが、神の国においては霊を生かすための聖霊の働きによる義と平和と喜びが大切なのです。

 

1.聖霊による喜び

ガラテヤ5:22
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

A)『喜び』(ギ)chara

★「喜び」は、神の現存性(実際に存在すること)が人間にもたらす特別の結果である。

★ 新約における用法として特に、啓示を受ける者が啓示の内容に組み入れられ、その啓示にあずかる者であるという特長がある。

B)新約聖書における使用例(59回使われている)

(1)第1テサロニケ1:6
あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。

(2)ヘブル10:34
あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。

C)新約聖書における聖霊による喜びの事例

使徒7:54〜60
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。

 

2.『肝腎肝文』の聖霊による喜び

第1ペテロ1:8〜9
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

『肝腎肝文』(かんじんかんもん)の意味

とても大切で重要なことを意味している。

【内容観察】

あなたがたは、その目でイエス・キリストを実際に見たことはないけれども聖霊の啓示によって愛しており、現実に見てはいないけれども聖霊の啓示によって信じており、ことばで表現することができないほどに歓喜に満ちあふれた喜びにあふれわきあがっています。
その聖い愛の喜びは、神の愛そのものである救い主イエス・キリストを聖霊の啓示によって信じることができた結果である、たましいの救いを得ていることの証拠なのです。

【デボーション参考ポイント】

「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26)と、イエス様が語られたほどの救いが与えられている喜びを深く啓示していただきましょう。

 

 

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