■2026年2月15日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

イエスについて証言する  up 2026.2.15


主題聖句(ヨハネ15:26)
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

 

 

 

 

 

本文はしばらくお待ちください。( - _ - )
 
 

   

 

■2026年2月8日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

御霊がいのちをもたらす  up 2026.2.8


主題聖句(ヨハネ6:63)
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。
わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

 

 私たちの教会は、御父、御子、御霊との交わりの教会です。神の家族としての交わりが深められていきます。私たちは罪のからだを持っていますから、罪を犯してしまうことはありますが、イエス様は悔い改める者に赦しを与えて、やり直す機会を与えてくださるお方です。
 「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)」という気持ちで、諦めないで歩んでいきましょう。

*今年のモットー「御霊による働き」(マタイ5:16)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

  私たちの日頃の敬虔なクリスチャン生活を通して、天のお父様が崇められる、これが今年目指している私たちの愛の方向です。

*いのちの光を持つ(ヨハネ8:12)
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
 
 世の光であるイエス様に従う人、すなわち、ことばなる神である主イエス様の御教えに従う人は、いのちの光を持っている人です。

*従うために必要なことは信頼(Ⅰヨハネ4:10)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
 
 まず神様が私たち罪人を愛して、私たちの救いのためにイエス様を遣わしてくださいました。この神様の愛を知らなければ、私たちは神様に心を向けることも愛を知ることも難しかったでしょう。
 ですから私たちはイエス様が再び来られる日まで、神様の愛を常に覚えて、聖餐式を行いイエス様の死と葬りと復活を象徴するパンと杯にあずかっているのです。

❶従う者は賢い人(マタイ7:24〜27より)
 神様の愛に応えて従っていく人とは、イエス様のおことばを聞いて実行する人です。その人は最後の審判の時に救われます。

❷御霊による働きのために、従う者に御霊が注がれる
(使徒5:32)
「神が御自分に従うものたちにお与えになった聖霊も、そのことの証人です。」
 
 今年私たちは、「御霊による働き」によって父なる神様が崇められるようにする日々を心がけています。肉の働きによっては、神の栄光、イエス様の光を、世の人々に見て頂くことは出来ません。御霊による働きのために、神様は従う者に御霊を与えられるのです。

 前回、従う者に御霊が注がれるということで、7つお話を致しました。その中から今日は「御霊がいのちをもたらす」ということについて、少し詳しくお話し致します。

⑴ 御霊がいのちをもたらす(ヨハネ6:63)
「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、また、いのちです。」

A)『いのち』とは、創造の目的にそった存在
 人間が造られた目的にそって生活する時、「いのちのある生き方をしている」と言います。
 神は人をご自分のかたちに似せて造られました。創造主を天の父として敬い愛する存在、それが人を造られた目的です。神は父であり、私たちは子である、という親子の愛の関係が、私たちの「いのちある生活」なのです。
 神様を愛するとは、そのおことばに従うことです。感情的に愛があるか無いかではなく、神様のおことばに心から敬意をもって従うかどうか、それが神様への愛の証です。
 
 そのような神様との関係を切ってしまうのが「罪」です。
欲望は私たちが神のおことばに信頼し従うことを妨げようとします。神のおことばよりも自分の願いや欲望を優先して、神から離れた生活、罪の生活、死んだクリスチャン生活をするようになります。
 
 私たちは救い主イエス様とお出会いし、イエス様を通して神様との関係が、最初の創造の目的に立ち返ることの出来る「救い」を与えられました。

 私たちと神さまとの間の懸け橋となっておられるのが救い主イエス様です。イエス様の名によって祈る時、イエス様が懸け橋となってくださり、祈りが神様に届けられます。救い主を通して私たちは神様との交流を持つことが出来るのです。

B)いのちを与える働き 
(ローマ5:5)
「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
 
 イエス・キリストによる罪の赦しと永遠の救いは、神様が与えてくださった私たちの未来への希望です。私たちはこの希望を必ず手に入れることが出来ます。
 
 なぜなら、私たちに与えられた聖霊様が、神の愛を私たちの心に注いでくださっているからです。聖霊様のいのちを与える働きとは、神を愛する愛を与えてくださる働きなのです。その愛によって、私たちと神様との交わりが、祈りを通して生まれます。
 交わりを続けていきましょう。永遠の神様の愛を知るために、永遠に交わりを持ち続けていきましょう。

C)良心の聖めが必要
(へブル9:14)
「ましてキリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」

 神を愛する愛がないと神に仕えることはできません。良心をきよめられなければ、神様の愛が注がれても心に触れることが出来ません。
 自己中心に判断する良心や、欲望を判断の基準としている良心は、汚れた良心です。これらは神を敬わない人々の良心です。
 
 すべての善悪の判断の基準は、神を愛する心から出てきます。これが聖められた良心です。聖められた良心を持つためには、「とこしえの御霊によって神におささげになった血」が必要です。聖餐式のブドウ汁は、その「血」を象徴しています。  

※『とこしえの御霊によって神におささげになったその血』とは、父なる神を愛し、私たち罪人を救う愛のことです。

 御子イエス様は、父なる神様を心から敬い、愛し、100%の従順を父なる神様に向けておられました。
 父なる神様は、ご自分のかたちに似せて造られたアダムの子孫がもう一度自分の元に立ち返って、我が子としての交流を持つことが出来るようになることを望んでおられました。罪の処分をしなければ、その関係は隔てられたままです。
 イエス様は父なる神様を心から愛しておられますから、神様の思いを受け止めて、また、私たちをも愛して、私たちの罪の支払う報酬である死を十字架で身代わりに受けてくださいました。
 神様はその血を私たちの罪の赦しの「契約」としてくださいました。それが2千年前の十字架で実現したのです。
※神を畏れ敬う敬虔な志しが湧き上がり、信頼と愛による従順を決意する心があふれてくる。
 
 この「血」に触れたもの、この「血」を受け入れてその意味が深まっていくと、敬虔な志しが湧き上がってきます。そして信頼と愛による従順を決意する心が生まれます。

※そして、聖められた良心に神への希望が湧き、どのような状況であっても『神は良き方』と前向き(信仰的)になる。
 
 不信仰な心の強い人、良心の清めが中途半端な人、神様に対する応答の弱い人、それは神様の愛を強く感じる体験が少なかったからです。御霊様との関係が薄いと、愛が施されていても、その愛が伝わってこないし触れることもできないのです。

※聖められた良心→父なる神を愛する愛→創造の目的の存在→いのちを持つ者
 
 聖められた良心とは、父なる神様を愛する愛です。その愛により、創造の目的である健全な存在の状態に私たちの魂が回復しします。そしてそれが、いのちを持つ者です。

※内にある主イエスの光を輝かせるには、御霊を受けることが必ず必要です!

【俳句】

   紅に  神の愛みる  梅の花

 梅の花が咲く季節、イエス様の血潮のような紅の花に、私たちへの神様の愛を見るようです。

 

 

 

 

 

■2026年2月1日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

御霊による働きのために、従う者に御霊が注がれる  up 2026.2.1


主題聖句(使徒5:32)
私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。

 

※ 『御霊による働き』
(マタイ5:16)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

 イエス様を信じて御国に歩んでいく神の子として救われた歩みをしていきましょう、という福音宣教を目指したみことばです。

 この働きは、御霊による働きです。

※ 『いのちの光を持つ』『いのちの光を持つ者』
(ヨハネ8:12)
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 イエス様に従う者が、いのちの光を持つ者です。

※ 『従うために必要なことは信頼関係』 
(Ⅰヨハネ4:10)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 神様の愛に触れられた時、私たちの内にイエス様への愛と信頼が生まれ、イエス様に従う決心を持つことが出来ます。この信頼関係が大切です。ご利益宗教的な神への従い方ではありません。

❶『従う者は賢い人』(マタイ7:24〜27)
 ことばなる神イエス様を信じて人生を建て上げた人は、世の終わりに、神のさばきが大洪水のように押し寄せても、しっかりと立つことが出来、救われます。
※ 岩の上に家を建てる実践
(箴言16:24)
「親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。」

 親切な言葉遣いから、自分の人生を岩の上に建て上げていくことをチャレンジしていきましょう。

――今日のテーマ――

❷御霊による働きのために、従う者に御霊が注がれる
(使徒5:32)
「私たちはそのことの証人です。神が御自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」

 聖霊様が私たちの内に住み、働いてくださるのは、私たちが神様に従う者であるからです。

 皆さんは洗礼を受けたときに、最初に神様の前に従順を示しておられますから、聖霊様が賜物として皆さんの内に注がれています。

 内に聖霊様がおられるかどうかは、神と神のおことばに私たちが従っているかどうかによって見極めることができます。

 神様がまず私たちを愛して、私たちのいのちを買い取ってくださった、その神様の愛に報いて生きて行きたいというのが、神を信頼し従っていく私たちの動機です。

 御霊様の働きがどんなに私たちに必要であるか、そのお働きを示す7つのみことばを紹介いたします。

⑴御霊はいのちをもたらす
(ヨハネ6:63)
「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」

 聖書が語る「いのち」「死」というのは、神様との関係において生きているか、死んでいるか、という意味です。

⑵御霊はイエスについて悟す
(ヨハネ15:26)
「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについて証します。」

 イエス様について御霊様の証されることを受け入れないと、イエス様のことは理解できません。

⑶御霊は真理とみこころへと導く
(ヨハネ16:13)
「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」

 御霊様は私たちを真理に導いてくださり、私たちは、示されたみこころ(真理)を行動に現していきます。すると、そういう私たちの姿、生活を通して、聖霊の働きが光として輝いてくるのです。

⑷御霊はイエスの栄光を輝かす
(ヨハネ16:14)
「御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」

 内におられる聖霊様は、イエス様の栄光を、まず私たちの内側に現されます。すると、私たちの魂、霊が力づけられ、それが生活の中の行動やことばに現れていきます。

 以前には無かった力、イエス様のような心、考え方、価値観がその人の内に生まれ、赦せなかった者が赦せるようになり、人のした悪を思わず、寛容や親切、善意で人々のお世話が出来るなど、イエス様の愛を自然に実行することが出来るようになります。

 そのように、キリストの栄光を現わすとは、私たちの内側からキリストのご性質が輝いて現れ、生活の中に見えるようになることです。この働きは聖霊様による働きです。

⑸御霊は罪と死の原理から解放する
(ローマ8:2)
「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」

 罪と死の原則に縛られているクリスチャンがいます。それは、御霊による働きがその人の内に実現していないからです。聖霊様は私たちにキリストの姿が現れるようにと働いてくださるお方です。

⑹御霊は死ぬべきからだを生かす
(ローマ8:11)
「もしイエスを死者の中からよみがえらさせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」

 もし、聖霊様が内に働いておられれば、神様にとって役に立たない罪の奴隷のような肉体も、神様のために用いられ、神様に対して生きるものとしてくださいます。
⑺御霊は肉の働きを制御する
(ローマ8:13)
「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」

 殺すとは完全に制御すること、その力は御霊の働きによります。

 以上のように、御霊様が私たちの内に働きかけてくださって、私たちは内側からキリストの栄光を輝かせることができます。そのためには、御霊を受け入れること、即ち、みことばに従うことが大切です。

 

【俳句】 

 助け主  御霊を宿し 「福」放つ

 

 

 

 

 

■2026年1月25日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

岩の上に家を建てる  up 2026.1.25


主題聖句(箴言16:24)
親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。

 

※ 先週までの復習

【今年の主題聖句】

(マタイ5:16)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

 天の父なる神様、救い主イエス・キリストが崇められるようなクリスチャン生活であるために、内側に頂いている神様のみことばの光を輝かせるような毎日を目指していきましょう。

【いのちの光を持つ】

(ヨハネ8:12)
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 私たちの内に、いのちの光(イエス様)を持つためには、イエス様に従うことが必要です。それによって私たちは闇の中を歩むことがありません。 
 
 「人は一度死ぬことと、死んだ後、神の前でさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)と書かれてある通り、神様は生きている間に犯した違反をすべて最後にまとめて、一人一人を裁かれます。
 しかし、その罪のさばきを、私たちの代わりに受けてくださった方がおられます。2000年前、神が人となられて、その罪の無い聖いいのちを十字架で犠牲にしてくださったイエス様です。
 
 このイエス様を救い主として信じ従っていく人は、罪の赦しを得ます。そして、ルールを守って生活する喜びを知るようになります。

【従うために必要なことは信頼】

(Ⅰヨハネ4:10)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 神様はまず私たちを愛してくださって、私たちの罪を見るより先に私たちの存在の素晴らしさを見てくださり、この人々の為ならいのちをかけてでも救いたい、と思ってくださいました。
 
 イエス様は私たちの罪の赦しのために、自らを、神様の怒りをなだめるための供え物となってくださいました。

 それがイエス様の十字架の御業です。ここに神の愛が現わされました。

 その愛に応えていきたい、従っていきたいと、神様の愛に応答する愛が私たちの内に生まれます。ここに、私たちの愛があるのです。
 
 御子イエス様への愛が自分は不十分だと思う人は、神様がまずどれほど自分を愛してくださったかを、人生を通して生活の中で実感していくことです。
 
 そうすれば、自ずと父なる神様そしてイエス様への愛が湧き上がり、従っていく気持ちも段々と強くされていくのです。

 【いのちの光を持つ者】

(ヨハネ8:12)
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

❶従う者は賢い人

(マタイ7:24-27)
「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩のうえに自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」
★神は必ず罪を裁かれます。見逃される罪は一つもありません。

★イエス様の罪の赦し(神の愛)を深く感じる人に、罪の赦し は成就します。

★創造主なる神は存在します、これが岩なる真理です。  

★真理を悟るには、真理への飢え渇きと忍耐が必要です。

★諦めないで、創造主イエス・キリストへの希望を持ち続けましょう。 
 
 これらの教えを素直に受け止めて信じ行う人は、岩の上に家を建てる賢い人です。嵐が来ても倒れません。

※ 今日のテーマ

【岩の上に家を建てる実践】

(箴言16:24)
「親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。」

 親切なことばは、蜂蜜のように、私たちの疲れた魂を癒し、心も体も元気に回復させる力を持っています。
素直に、蜂蜜をなめるように、親切なことばを受け入れましょう。
 
 親切なことば、優しいことばを受ける機会が少ないと、心身の健全な成長が妨げられます。

 どうぞ、親切なことばを受け入れるように、また発するように、少し意識して、この一週間を過ごしてみてください。岩の上に家を建てる実践の第一歩です。

【短 歌】
  
配慮ある  思いやりある  親切は
   優しいことばの  あいさつから
 
 思いやりのある優しいことばを語っていくにあたって、まず挨拶から人間関係をしっかりとつないでいく神の家族、兄弟姉妹でありたいと思います。

 

 

 

 

 

■2026年1月18日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

いのちの光を持つ者  up 2026.1.18


主題聖句(ヨハネ8:12)
わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。

 

※2026年の主題聖句

(マタイ5:16)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
 
 燭台の光は、暗い所を照らすために輝きます。私たちも、内にある光、今も生きて働いておられる神、ことばなる神イエス・キリストを、隠さないで現しましょう、みことばの光を放っていきましょう、という願いで、(マタ5:16)が今年の主題聖句として与えられました。

 私たちは、創造主であり救い主であるイエス・キリストが、私たちを通して人々から信頼されることを願います。それはキリストの良き知らせを伝えるという意味をもっています。

*なぜ、イエス・キリストを人々に信頼してほしいのですか
 
 神様は、永遠を光の世界と闇の世界に区別される「さばき」を行われるからです。

 闇の世界に行ってほしくない、滅びてほしくない、光の世界で永遠を生きてほしい、自分だけでなく全ての人が救われてほしい、せめて家族、友人、知人、身近な人々、広島の人々がイエス様を信頼して救われてほしい、と思うのです。

 神を愛する皆さんの心が光として周りの人々に見えるような、そういう日々を目指して頂きたいと思います。
※いのちの光を持つ

(ヨハネ8:12)
「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 

 いのちの光を持つための条件は、世の光であるイエス様に従うことです。「従う」というのは、聖書のおことばやイエス様の御教えを聞いて実行することです。

 何をもって皆さんはイエス様を信じ、従うことが出来るのでしょうか。

*従うために必要なことは信頼

(Ⅰヨハネ4:10)
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 神の御子イエス・キリストは、罪ある私たちの身代わりに、十字架のさばきを受けて死んでくださいました。

 私たちの罪が赦されるように、救いをお与えくださるほどに、神は私たちを愛してくださいました。

そして、神様が私たちを愛してくださっている、ということが分かると、私たちの心には自然と神様への愛が、信頼が、湧き上がってくるのです。

*「いのちの光を持つ者」とはどういう人でしょうか。

❶従う者は賢い人

(マタイ7:24-27)
「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩のうえに自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」

⑴洪水や嵐でも倒れなかった

 洪水は「神のさばき」を象徴しています。創世記のノアの時代に大洪水が起きました。その大洪水は、世に罪が満ちたことへの「神のさばき」でした。

 世の終わりの時には、神様による「最後の審判」(罪のさばき)が全宇宙的規模で行われれます。

 神のさばきから救われるためには、ノアのように、岩(神のおことば)の上に家(人生)を建てる必要があります。

 この地上だけのことではなく、永遠のいのちがかかっていることですから、賢く、神様のおことばを土台としたクリスチャン生活を歩んで頂きたいと思います。
⑵賢さとは?

★神は必ず罪を裁かれる
 
 この世の法律では見逃されることがあっても、神の前にごまかされる罪は一つもありません。それをよく理解しておくことが大切です。

★将来(永遠)に備える   
 
 神様のさばきの日には、すべての罪をまとめて、公平な間違いのない裁きが行われます。
 
 (マタイ13章)の「毒麦のたとえ」のように、良い麦も毒麦も最初は区別がつきません。途中で心を入れかえる人もいます。ですから神様は、裁きは収穫の時まで待ってくださいます。

 そして収穫の時には、良い麦は永遠のいのちに、毒麦は永遠の滅びに、間違うことなく分けられます。

 神様は、ご自分から離れてしまったように見える人も、人生のどこかでまた神様のもとに戻ってくるかもしれないと、信頼と希望をもって見ておられるのです。

★岩(真理)を求める  

 真理とは、天地を創造された唯一人の神がおられることです。主の主、王の王、神々の神なるお方を求めていきましょう。

★忍耐強い(諦めない)

 真理を求めるには忍耐が必要です。諦めず、トコトン追及します。

★創造主への希望を持つ

 真の神、創造主なる唯一の神様は、私たちを単に裁くだけの方ではありません。

 私たちをご自分のかたちに創造されたからには、将来に対するご計画は素晴らしいものを考えておられる良き神様です。

 今はだめでも、そこから未来に向かって進む者に報いをもたらされる、ということを知っている人は賢い人です。

【俳句】

 みことばに  従う者には  希望あり

 

 

 

 

 

■2026年1月11日 日曜礼拝メッセージより(辻 和希 牧師)

見られる信仰、あがめられる神  up 2026.1.11


主題聖句(第2コリント3:17〜18)
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

 

 2026 年、2 回目の日曜礼拝を迎えました。
 先週、今年の最初の礼拝で、主任牧師から 2026 年のモットー「御霊による働き」、そして年間聖句として マタイ 5 章 16 節 が示されました。
 今日は、そのモットーそのものを詳しく語るというよりも、私たちがどのような視点と姿勢で、この一年を歩んでいくのか、その土台を一緒に確認したいと思っています。
 私たちの教会は、長い時間をかけて、一つの流れの中を歩んできました。
 
 2024 年は「御霊によって歩もう」
 これは、日常の中で、考え方、選択、態度、生き方そのものを御霊に委ねて歩んでいこう、という招きでした。

 2025 年は「ビューティフル・コミュニティ」
 御霊によって歩む一人ひとりが集められ、美しい交わり、分かち合い、共同体が形づくられていく。

 そして 2026 年、「御霊による働き」
 これは突然、何か新しいことが始まる、というよりも、内側での歩みが、やがて外側に現れていく、その自然な深化だと受け取ることができます。御霊によって歩む。その歩みが積み重なると、御霊による「働き」として現れていく。今日は、その「現れ方」について、聖書から学びたいと思います。

 主題聖句の中で、とても大切な言葉があります。それは、「反映する」という言葉です。
 私たちは、光そのものではありません。光源ではないのです。私たちは、鏡のように、主の栄光を反映する存在です。鏡は、自分で光を放ちません。向けられている方向によって、何を映すかが決まります。

 同じように、私たちの信仰、行い、生き方が輝くとき、それは「自分がすごいから」ではありません。聖書ははっきり言っています。「これは、主の御霊の働きによるのです。」変えられるのも、用いられるのも、影響が与えられるのも、すべて 主の御霊の働き です。
 
 ここで、ひとつ大切な確認があります。御霊の働きは、私たちを目立たせるためのものではありません。御霊は、人を有名にするために働かれるのではありません。御霊は、人を誇らせるために働かれるのでもありません。御霊が働かれるとき、最終的にあがめられるのは、いつも神ご自身です。

 そのことが、はっきり現れている場面があります。使徒 3 章です。美しの門で、生まれつき足の不自由な人が癒されました。誰の目にも分かる、明らかな奇跡です。

 人々は驚き、ペテロとヨハネを見つめました。そのとき、ペテロはこう言いました。「なぜ、私たちを見つめるのですか。」ペテロは、注目を集めることを喜びませんでした。
 「私たちがやったのではない」「私たちを見るな」これが、御霊に満たされた人の自然な反応です。御霊の働きは、人の視線を人に集め続けません。むしろ、神に向けて、そっと戻していくのです。

 年間聖句であるマタイ 5 章 16 節には、こう書かれています。
「人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるためです。」
 信仰は、見られます。生き方も、見られます。しかし、あがめられるのは、私たちではありません。父なる神です。これが、御霊による働きの方向です。

 2026 年、私たちは無理に目立とうとしなくていい。成果を演出しなくていい。ただ、御霊によって歩み続ける。そうすると、主の御霊が、必要な形で、必要なところに、光を反映させてくださいます。そして、その光は、必ず神の栄光へと戻っていきます。
 「すべてのことが、神から出て、神によって成り、神に至ります。栄光が神にありますように。」アーメン。

 

 

 

 

 

■2026年1月4日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

御霊による働き  up 2026.1.4


主題聖句(マタイ5:16)
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

 





 イエス様が再臨されるにあたって、イエス様の救いの福音はすべての国々の民に宣べ伝えられ、それから終わりがくる、ということが聖書に記されており、この8年間は、そのための備えをして参りました。

 今年は9年目になります。福音を伝えるにあたって、私たちの能力や才能を更に神様が用いてくださるために、御霊様が私たちを用いてその働きをしてくださるという意味で、「御霊による働き」というタイトルを付けました。

 私たちの失敗をも神の栄光のために変えてくださるということをも含めて、聖霊様によって私たちは、罪の赦し、神の愛、神の憐れみと恵みを証しし、宣べ伝えていくという、そういう一年を目指していこうと思っています。

今年一年のモットーのみことば

(マタイ5:16)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良いおこないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

 このみことばから、3つのポイントを挙げてみました。
⑴あなたがたの光
⑵人々の前で輝かせる
⑶父をあがめるようにしなさい

 私たちの光を人々の前に輝かせることを通して、私たちの生活を見た人々が自然と父なる神様を崇めるようになる、そういうイエス・キリストの救いの証を、今年は目指していこうと思います。
 人々が信じたくなるような魅力を、私たちの内側から輝かせていく、そのためには御霊による働きが必要です。
 
 どんな人でも、イエス・キリストを信じて、内側に光を持ってそれを輝かせるなら、天の父なる神様が崇められるようになります。
 
 今日はまず一つ目のポイント、「あなたがたの光」について、お話しさせて頂きます。

※「あなたがたの光」とは、どういうことでしょうか。

①(ヨハネ8:12)
「私は世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 イエス様ご自身が「私は世の光です。」と仰っておられます。そして、イエス様に従う者は闇の中を歩まず、「いのちの光を持つ」とも言われています。

 イエス様のおことばに従うことは、その人の内に「光」があるしるしであり、みことばを聞いても行わない人やあきらめた人は、「いのちの光」を内に持っていないということです。
 
 みことばを聞いたらチャレンジし続ける、行い続ける、そういう姿勢の人が、内に「いのちの光」をもっている証です。それは「イエス様自身を持つ」ということに繋がっていきます。

②(ヨハネ1:1-4)
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずに出来たものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」

 「イエス様を持つ」とは、「人の光」であるイエス様を内側にもつことです。その「光」とは、ことばなる神であり、そのおことばを私たちが生活の中で実践していくならば、私たちの内に、ことばなる神イエス・キリストが住まわれるのです。

 このお方は万物を創造された方です。万物は神のことばによって創造されました。そのことばとはイエス・キリストのことです。このイエス・キリストは「人の光」です。

 「光」は、明るい。よく物が見える。ずっと先まで見える。足元だけでなく、人生の先の方まで見ることが出来る。希望。暗闇がないので、つまづき倒れることがない。そういうイメージがあります。

 私たちが生きて行く中で、「人の光」であるイエス・キリストが内に存在してくださるなら、そういう「光」をもった人生の歩みを続けることが出来、主題聖句(マタイ5:16)のみことばが成就するのです。

③ (ヨハネ1:5)
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
 闇とは、先が見えない、目がみえない、何もわからない、手探りで生きて行く、人生における様々な試練や苦しみ、辛さ、不幸、災い、そのゆえに、生き方が分からなくなる状態です。
 しかし、私たちの内には、「人の光」であり「神のことば」であるイエス・キリストがおられます。人生の闇の中、どうしてこんなことが?というような出来事の中にあっても、私たちの内には「神の約束のことば」「人を照らすまことの光」が輝いているので、闇は退きます。闇は光に勝てないのです。

※ 人を照らす真の光
 私たちの体が病気になって死んだとしても、それは闇におおわれた人生ではありません。魂は永遠です。神の真理のおことばである聖書がそのように教えています。

 私たちの魂は、真の光なるイエス・キリストによって、永遠の未来に向けて希望を持って前に進んで行けるのです。

 病気、事故、災いという暗闇の中でも、イエス・キリスト、御ことばの光をもって、今もこれからも歩むことが出来ますから、私たちは安心です。

 クリスチャンは「光」を持っているのですから、暗闇ばかりを見て、希望のない生活にならないように、足の灯であり、道の光でもある「御ことばの光」に照らされて前進していきましょう。

 人を照らす真の光イエス・キリストを信頼して、御霊様の働きを信じて、みことばの約束の成就を体験しながら、希望を持って一歩一歩前に進んでいきましょう。

※ 適用・チャレンジ

逆境の中で輝く神のことばを信じて生きる
 
 今年みなさんにチャレンジしていただきたいことは、逆境の中で輝く神のことばを信じて生きるということです。

 今年、どんな逆境がやってくるか私たちには分かりませんが、もし来たらそれはチャンスです。光は闇の中で輝くものです。

 闇の中にいる自分に気が付き、神の光を体験しましょう。聖書のみことばに導かれ、守られ、助けられて、日々聖霊様と共に生活していく一年となりますように、チャレンジしましょう。

【俳 句】

  みことばに  生きる喜び  新年は

 

 暗闇の中で輝くみことばを生きる喜びを体験しましょう。今年はそのような新しい年として進んで頂きたいと思います。