主  題

 

「主との交わりの回復

 

              ○「主との関係」を築きなおすことを最優先とする。

              ○「祈りの祭壇」をしっかり築くことが大切。

 

◆どのように築きなおして、主に近づけばいいのか?

              モーセの幕屋の器具の一つ一つを通して学んでみましょう。

 

 

                  モーセの幕屋

神へ近づく方法

(順番)

 

聖 所

 

外 庭

 

青銅の祭壇

 

 

青銅の洗盤

 

 

パンの机

 

金の香の壇

 

 

至聖所

 


1.「青銅の祭壇」

アカシア材で全焼のいけにえのための祭壇を作り、祭壇には青銅をかぶせた。(出エジプト38:1−2)

     アカシア材は、人間の性質

     青銅は裁きをあらわす

     これは、イエス・キリストの十字架を示す型

 

Tヨハネ4:9−10

ひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。…私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のためになだめの供え物として御子遣わされましたここに愛があるのです。」

 

 ※「なだめの供えもの」−神の怒りを鎮め、和らげるための犠牲(いけにえ)、ささげもの

 

A.この犠牲を、神ご自身、自ら「身代わりのいけにえ」を準備してくださった。

犠牲となるもののうえに、神はご自身の怒りと憤りを注がれるのだが、「罪の罰としての死」を、神はその対象として罪を犯した私たち(人間)にではなく、身代わりとなって下さった方、(神の御子)であり、最も大切な(ひとり子)の上にそそがれた。即ち、(御子)を(十字架刑)に処せられた。

 

B.私たちは、その神の愛とゆるし、救いを心から感謝して受け入れたことにより、主に純粋に信じて従っていった(初めの愛)に、立ち帰ることが大切である。

 

 

     「主よ、私の罪をゆるして下さい。心からあなたにお従いします。」と、今日もう一度、決心しましょう。

 

 

 

 

2.「青銅の洗盤・T みことばの洗い=水のバプテスマ」

水を入れる洗盤は、青銅でその台を作り、会見の天幕の入り口で務めをしている女たちの鏡でそれを作った。(出エジプト38:8)

     祭司が努めをする時、その水で身を清める

     青銅は裁きをあらわし、鏡に映すように自分の姿を映し、

悪いところを直す、清める

 

エペソ5:25−26

「キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように

 キリストがそうされたのは、みことばにより水の洗いをもって

 教会をきよめて 聖なるものするためであり、」

 

A.「みことばの鏡」に自分を照らす時、自分の姿が水に映るように、映し出される。そして、自分のどこが悪いのか、汚れているのかをよく知ることができ、その水である、神のみことばの鏡照らして取り除くことができる

 

B.また、私たちは、すでに語られている神のみことばを心に信じ、受け入れたことで、聖くされている。しかし、「正しい良心の神への誓い」をもってみことばに生きる決心をし続けることが大切。なぜなら、(ヤコブ1:21−24)にあるように、みことばを実行し続けないと、鏡から離れるとすぐ自分の姿を忘れてしまう人のようになって、汚れても平気になってしまう。またもとに戻ってしまう。わからなくなってしまう。

 

C.水の洗い=(水のバプテスマの真理)でもって、罪、古き人、肉の人(罪の欲望・むさぼり)を悔い改めて捨て方向転換して、その罪・汚れから離れることが大切である。

 

 

     みことばの鏡から離れてはいけない。毎日、祈り心をもって、みことばに照らしてみましょう。

 

 

 

 

3.「青銅の洗盤・U 御霊の洗い=聖霊のバプテスマ」

新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)

水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」(ヨハネ3:5)

 

テトス3:5−7

「私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による新生更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」

 

A.聖霊に触れられることにより(聖霊のバプテスマを受けることで)、霊が新しくされ、さらに新しく聖霊に触れられつづけていくことで、新しくされつづけていく

 

B.聖霊様が私たちの心をすべての罪や縛りから解放して自由にして下さることにより、 (Uコリント3:17−18)にあるように、鏡のように、主の栄光を反映させながら栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられていく

                            (↑のびのび羽ばたいていくように 聖霊の自由の中で)

 

C.聖霊様は「真理の御霊」である。「その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられる」。(ヨハネ14:17)

   御霊は人にいのちを与える。(ヨハネ6:63)

   あらゆる真理に、私たちを導き入れる。(ヨハネ16:13)

   そして御霊に従うなら、決して肉の欲を満たすことがない聖別された生き方ができるようになっていく。(ガラテヤ5:16)

   すべて神の御霊に導かれる者は、「神の子」である。(ローマ8:14)

 

 

     今日、あなたは聖霊に触れられていますか? もしそうなら、聖霊様による神の自由を体験するでしょう。

 

 

 

 

4.「金の燭台」

純金の打ち物づくり。槌で打って作った。(出エジプト37:10−22)

※66巻全部のみことばが、神の啓示により打ち開かれる。みことばは66巻あっても、それは一つの真理から出ている。

 

     金は神性をあらわす

 

 

A.天幕(聖所)の中において、唯一の光である。これは自然的な光ではなく神からくる、天的な霊的光を示している。それは聖霊によって神のみことばが打ち開かれ心に深く啓示されることをも指す(詩119:130)。そして、みことばが内に熱く燃えることにより、そのみことばに生きるようになるのである

 

B.また、燭台のランプは、油を補給することで豊かに大きくともし火の光を放つ。そのように、聖霊の油注ぎが、私たちの内に神への新鮮な情熱ともし続けることができる

 

C.その油注ぎを受けることにより、祭司は正しい良心をもって、より神に務めをすることができるものとなる。なぜなら、その油が、神に近づく道をはっきり照らして教え、その方向を見誤らないからである。(Tヨハネ2:27)

 

     聖霊の火と神の油注ぎを、内に持っていますか?

 

 


金の燭台                                             

ひとつの枝に、

花弁・がく・節を一組として

3組付いている

 
                                                                        

左の枝                                  右の枝+支柱    

3×3×3                                3×3×3+3×4   

27(巻)                               =39(巻)

[新約]                                [旧約]

          全聖書66巻

 

 

 

 

5.「備えのパンの机」

アカシア材で机を作り、純金でこれをかぶせた(出エジプト37:10−15)。パンの机の上に、一列にパンを置く。6枚重ねで2組に分けて置いた(出エジプト40:22)。

 

 

A.霊的意味では、このパンの机の真理は、(聖餐式)と(交わり)を現す型である(Tコリント11:23−28)。このパンは、(キリストの体)である、そのパンを裂いて一人一人に与えられた。私たちは、皆キリストの体の(一員)であり、キリストに(属する)ものたちである。即ち、同じ父(神)から生まれた同じ(家族)(兄弟)である(ヨハネ5:1)。

 

B.主は、私たちに一つの命令を与えられた。(ヨハネ13:34−35)

   「互いに愛し合いなさい」→愛はすべてのそむきの罪を覆うものである。

   「互いに愛し合うなら、世は私たちをキリストの弟子と認めるでしょう」→そのことを通して、キリスト者としての生き方を現すことになる。

 

C.パンを食することで、私たちはキリストにある兄弟姉妹を愛し、その罪を赦し(エペソ4:32)、困っている兄弟姉妹がいたなら助け、ともに祈ることを通して、実践をもって兄弟愛を現していくことが大切である。そのことによって、私たちが神を愛していることがわかる(Tヨハネ3:16−23)。

 

 

     私たちは、真にキリストにある兄弟姉妹を愛しているかどうか、点検しましょう。(マタイ5:23−25)

 

 

 

 

6.「香をたく壇」

アカシア材で作り、金をかぶせる。(出エジプト30:5)

     聖所の中で、最も背の高い器具である

     ここで最も厳選されて調合された、香りのよい香をたく

     朝ごとに、夕ごとに、香の煙を立ち上らせた

 

 

A.香をたくことは、毎日の祭司の務めであった。してもしなくてもよい、というものではない。

u       祈りの生活は、私たちのクリスチャン生活の中で、決してなくてはならぬもの、欠かしてはならぬものである。なぜなら、祈りは霊的呼吸とも言われているからである。即ち、神の霊から、神のいのちが、神との交わりの中(祈りの中)で、私たちの霊の中に注がれてきて、豊かないのちにあふれることができるからである。

u       祈りがなくなるクリスチャン生活は、無味乾燥なものになり霊に力がなくなってくる

u       霊的力が弱ることで、肉的(古き人)の力が増大し、この世の罪や誘惑に負けてしまい、未信者と変わらない心にもどってしまい、神の目的を見失ってしまう。私たちは、毎日、絶えず主に祈ること、主との交わりを通して、霊的力の補給を得ることが大切である。

 

B.また、私たちは、礼拝や賛美、とりなしをもって、主の前に出ることと同時に、主ご自身を尋ね求めることのすばらしさを味わう必要がある。その主を尋ね求める深さから、私たちの祈りの生活を霊的にもっと深く、主に近づけていくことができるのである。

 

 

     主にあるあなたの祈りの生活は、楽しみになっていますか?

 

 

 

 

7.「契約の箱」と「あがないのふた」

 

「契約の箱」

アカシア材作り、内と外を純金でかぶせた。(出エジプト37:1−5)

「あがないのふた」

純金の打ち物づくり。あがないのふたの両端に、槌で打ってケルビムを作った。(出エジプト37:6−9)

 

 

A.契約の箱は、「神のご臨在」を現わす。

      契約の箱の中に入っていたもの:

*   十戒を書いた石の板2枚 (律法の裁き主なる主)

*   マナの入った金のつぼ (神聖なる方・いのちを与えるみことばのパン)

*   芽のふいたアロンの杖 (神の主権)

 

   私たちは、光の中におられる神ご自身には、誰も近づけない。近づくなら、死があるのみ。

   しかし、そこに近づくため、「あがないのふた」を置かれた。これは、「あわれみの座」とも言う。この目的は、その上に、「血潮」を注ぐためである。

   私たちは、イエスの血潮によって、すべての裁きから守られて、神の御座にはばかることなく近づくことができる。(ヘブル10:19)

 

B.そこは、主と出会う所であり、 シェキナ(神の栄光)の光をもって、主のご臨在が現わされる所である。ケルビムのある、「あがないのふた」の間から、主が御声をもって語って下さる。主の御声を聞ける場、(御声の聞ける霊的領域)でもある。

 

C.(創世記3:23−24)で、アダム(エバ)が罪を犯して堕落してから、神はアダム(エバ)をエデンの園から追い出し、そこをケルビム回る炎の剣守らせエデンの園への道を閉ざされた

      →エデンの園は神と人がともに歩き、御声を聞き、ともに交わることのできる場(霊的領域)でもあった。

D.このケルビムのある「あがないのふた」は、「契約の箱」(神のご臨在)の上に乗せられていたふたであり、即ち、エデンの園に入る入口であった。それを開くカギとして、「イエスの血潮」が流され、その入口に注がれたことによって、その血が私たちの罪を覆い、エデンの園に入る道が私たちに開かれた。そして、今私たちは、主のご臨在の前、主の御座が降りてくる中に立つことができ、主とお交わりし、主が私たちの心の中に語られる御声を聞くことができるのである。

 

 

     そのためには、旧約では一年に一度、大祭司が罪なきいけにえの血を携えて、至聖所に入るため、香の壇を至聖所に入れました。その香の煙が最も立ち上っている中で、その血があわれみの座にふりかけられることにより、主とお出会いでき、主がそこから語りかけて下さったように、今私たちも、主の御声を聞き、主のご臨在とともに歩き生きるために、祈りの生活を欠かしてはなりません。

もっともっと、主を尋ね求める生活の中に入っていくことが、大切です。それを通して、(主との交わりの回復)、(関係の回復)がなされます。

祈りの祭壇を築くことは、私たちにとって、本当に重要です