■2004年4月25日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

   傀儡 かいらい   up 2004.4.25


イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」
(ルカ4:23)




あやつられる=自分とは違う言葉、行動が出てしまう
あやつる人の意のままに動く(自分の意志ではない)
善を行いたいのに悪を行ってしまう(罪の奴隷→傀儡)
私たちクリスチャンは、以前、罪にあやつられた人生を送っていました。しかし、イエス・キリスト様がその罪の糸を切ってくださって、あやつられることなく、自ら進んで神のみ教えの道を歩む自由を得ることができるようになりました。
ナザレでイエス様は大工の息子として育ちました。イエス様を知らない者は誰一人いませんでした。小さい頃のイエス様を知っているので、救い主としてのイエス様を信じることができなかったのです。
ナザレの人々は、大工の息子がえらくなって郷里に帰ってきて、カペナウムでイエス様が行ったことをここでもやってくれと、本来の意味をとらえることなく、自分の欲求を満たすためにだけ、不敬虔な態度をイエス様に対して持っていたのです。
今週は、ナザレの人々の態度はいったい何にあやつられていたか学んでいきましょう。

●4/26(月)「不敬虔」(ユダ1:17〜19)
神を認めない、横柄でつつしみのない自己中心な態度。
神よりも自分を高くおくこと。
生まれつきの人間は肉の欲望のままにふるまう不敬虔な者。不敬虔はサタンが人間をあやつっている一番太い糸です。神を認めさせない心をサタンは見えない糸でしばって、不敬虔は態度を人々に起こさせ、あやつっているのです。この不敬虔があらゆる人生の問題、不幸の種となっています。
神を認めないとは、主権(秩序正しく治める力)に従わないことです。不敬虔は欲望のままにふるまう、あざける者です。私たちは不敬虔でしばろうとするサタンの糸を切らなければなりません。
「私はイエス様を信じています。正義を愛します。」という決断が必要です。「正しい良心を持って神を畏れる人生を歩みます」という姿勢が不敬虔な糸を断ち切ります。

●4/27(火)「不遜」(イザヤ13:11)
謙遜でなく、思い上がっていること。
現実の自分よりもっと良いものであるという心が、不遜な態度につながります。自分が何者であるか認めたくない、弱さを認めたくない、悪いことをした事実を認めたくない、自分が悪いと知性ではわかっているけど言い訳をして認めたくない、他のものに押しつけてしまう。
プライドを神様にいやしていただいて、へりくだれる人となりましょう。

●4/28(水)「あざけり」(箴言21:24)
ばかにして笑うこと。みさげて悪口を言う。
楽しさに乗じて勝手なことを言う。
自分よりも人を低く見ること、相手の悪いところを見つけ、自分の存在を支えようとする、自分より人々を低く見て安心する気持ちはあざけりの糸がからんでいるのです。そして悪口を言ってしまうのです。
良心をにぶらせ、あざけりの場に近づかないよう気をつけましょう。

●4/29(木)「高慢」(詩篇10:4)
思い上がって人をあなどること(軽く見る、軽んじる)
この世の人は神様を必要と思わない。
クリスチャンは神様を思い通りに動かそうとする。
高慢な人は、自分の存在価値に評価を求めます。善をすることが私の喜びであると心を集中していたら、人が認めようが認めまいが、価値評価を求めることなく善を行うことを喜びとしていくのです。
人にではなく、神様にほめていただける人になりましょう。
高慢は神を動かそうとし、祈りが聞き入れられなかったら不平を言ってしまい、神をあやつろうとしているのです。
私たちは神様の教えを聞く側なのです。正しい良心(神、仏を感じる所、善悪を見分ける所)で神に従う者だと認めて、神との愛の関係を結んで、神に聞き従う者となりましょう。

●4/30(金)「傲慢」(詩篇19:13)
おごり高ぶって、人をあなどる。見下して礼を欠く。
礼儀は人を敬う心の現れ。
傲慢は支配力が強い。
礼儀を欠くとは支配したい側の態度です。
傲慢は私たちの心を支配し、高い座につけて、礼に欠くことをすることです。
相手の存在を尊敬し、相手の価値観に伝わる表明をしなければ礼に欠きます。それは傲慢です。
自分の礼儀の価値観に合わせ理解せよ…、それは支配者の立場です。自分のペースではなく、相手のペースをわきまえて、しんちょうに行動すべきです。
相手の存在を大切に尊敬するという態度の現れが礼儀なのです。

●5/1(土)「中傷」(エゼキエル22:9)
無実のことを言って、他人の名誉を傷つけること。
中傷は血を流すことと関係がある。
無実は事実ではないこと、事実でないことを言って、他人の名誉を傷つける。名誉を傷つけるとは存在を傷つけることであり、他の存在を、自身が邪悪であることのゆえに傷つけるのです。痛みを伴って危険な生命の状態に持っていくことです。中傷する人は根も葉もないことを言って人に痛みを与えます。中傷は死に追いやってしまいます。
イエス様は身体に傷を受けて、中傷されることによって精神的にも苦しまれました。
根拠がないのにありもしないことを言ってしまうことも中傷です。中傷の糸に縛られ、操られないようにしましょう。
ナザレの人々はイエス様を救い主として信じることができず、彼らは神に対して不敬虔、不遜、あざけり、高慢、傲慢、中傷、という心に糸がからんで罪の力にあやつられている人たちだったのです。
あなたの心にこの6本のあやつりの糸がからまっていないかどうか吟味して、きっぱりと切って、神の前に自発的な信仰生活を送っていきましょう。

 

 


 
■2004年4月18日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

   本旨   up 2004.4.18


「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
(ルカ4:18〜19)


本旨とは「本来の主旨、目的、理由」という意味で使われることばです。
私たちは聖書全体を通して、その中心が何であるかを認識する必要があります。その中心の部分こそが聖書を理解していく基本となるからです。
その中心からはずれてしまうと自分勝手な解釈に走ってしまいます。
今週知っていただきたい本旨は、ルカ4:18.19でイエスが読まれたイザヤ書のみことばです。
このみことばの本旨を探っていきましょう。
このみことばから救い主のお働きの本旨が見えてきます。

●4/19(月)「貧しい者に福音を」(ガラテヤ5:6)
信仰において大切なものは「愛」です。愛によって働く信仰が大切です。貧しい者とはどういう人でしょう。世の中には様々な貧しい人々がいます。貧しいとは必要なものがない状態です。日本ではどうしても生活に必要なものとは、冷蔵庫とテレビとクーラーだそうです。このひとつでも欠けていると貧しい家庭だと言われるそうです。しかし聖書が言う貧しさとはそういったものではなく、人が人として生きるために最低必要なものについて言及しています。それは心です。心が貧しいとはどういうことでしょうか。人が人であることにおいて大切なものは「善悪を見分ける心」です。この心が乏しく善悪のわきまえが充分にない状態を心が貧しいと言います。心の豊かさをあなたは求めているでしょうか。人間にとって大切な本旨は、正確に善悪を見分ける心を持つことです。世の中の多くの人はただ感情で愛を感じようとしています。しかし聖書では
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。(气Rリント13:4〜7)」
にあるように、感情で愛の本旨を表していくことはできません。また理性も意志も愛の本旨を全うすることはできません。これらの感情・理性・意志をコントロールする「良心」が存在しなければ、聖書にあるような愛を実行することはできません。良心的判断によって行動する時に、生まれてくるのが「愛」です。神は私たちに良心の豊かさをもたらすために、救い主イエス・キリストを送ってくださいました。これが「貧しい者に福音を伝える」という、救い主イエス・キリストの働きです。

●4/20(火)「遣わされた」(第1テモテ1:15)
イエス・キリストは罪人を救うために遣わされました。遣わされるとは使命を持っているということであり、遣わされた者は使命感を持って、それを全うしようとします。
何をするにしても、使命感がなければ、最後までやり通すことは困難です。使命感はどんな時に湧いてくるのでしょうか。例えば新入社員がある日社長に呼び出されて、大切な会議に自分に代わって出てほしいと頼まれたとします。この時、やる気に燃えている彼は、社長に信頼されていると感じたゆえに、さらに使命感を持ちます。また優秀な兵士たちは、軍事作戦を「ミッション=使命」と呼び、喜んでそれに自分の命を賭けていきます。どんなことをするにしても、この使命感がなければやり遂げることは難しくなり、空しくなります。
あなたは、あなたの人生にどのような使命を持っているでしょうか。使命とは遣わされたことであり、使命感は、誰かから責任を任される、信頼されるということがないと湧いてきません。地位の高い、力ある、責任のある立場の人から信頼されていると感じる時、使命感が生まれてきます。
イエス・キリストは天に帰られる時、私たちに「自分の代わりに地上に遣わす」と言われました。イエス様は私たちを信頼しておられます。
その信頼の大きさを知る時、「こんな罪人の私でも、神様は信頼して遣わしてくださる」という感動が与えられ、私たちは使命感を持って良心を働かせて、その愛に応えていきたいと思うのです。

●4/20(水)「赦免・解放」(ガラテヤ5:1)
赦免=罪が赦される  とらわれ人を解放する
キリストは私たちに自由を得させるために赦免を与えてくださったのです。
捕らわれ人=法令に基づいて監獄に拘禁されている者
私たちは罪を犯したのでとらわれたのです。罪を犯す者は、罪の奴隷としてそこから逃げられない、拘束されているのです。罪の力に縛られているのです。
解放されるためには、恩赦の時、真犯人が見つかった時、誰かがあなたの代わりに罪の支払いを負ってくださった時です。
私たちが拘禁から自由を得るために、イエス様が代わりに拘束されたのです。
「捕らわれ人には赦免を」イエス・キリスト様がそのわざをなすためにこの地上に来られたのです。

●4/21(木)「目が開かれる」(エペソ1:18)
イエス様が地上に来られた時、遣わされた父なる神の御心とご自身の心を一つにし、同じ愛の心をもって、使命感に燃えて来られました。
私たちはこのキリストの信任を得て、この世に遣わされたのです。良心をしっかりと目覚めさせて人生を歩むことが大切です。なぜなら私たちは、神がおられ、永遠があることを知っているからです。
この良心を通して私たちは神を思い、永遠を見ることができます。良心によって初めて、私たちは神の御心に沿った人生を歩むことができるようになります。

●4/22(金)「しいたげからの自由」(イザヤ53:5)
「しいたげられる」とは、自分は悪くないのにいじめられ圧迫されるというイメージがあります。ギリシャ語には、裂かれ、砕かれる・粉々になるという意味があります。ここで用いられる「自由」は、実は本物の「自由」と違い、ギリシャ語では「ゆるす」となっています。直訳すると「しいたげをゆるす」ということになります。実はこの「しいたげ」は悪いことをしたゆえに、罰としてしいたげられているという意味です(この箇所では)。神に反抗し、わがまま勝手に人生を歩んでいるゆえに、悪魔は神の許可のもとに、あなたをしいたげているのです。
私たちの罪のゆえなので、神にはどうすることもできません。それゆえ、神はキリストを遣わし、私たちの身代わりに罪を負ってくださいました。この代償によって私たちは罪赦されて、悪魔のしいたげから自由にされたのです。以前は罪に誘惑され、罪を犯し続け、止めることができませんでしたが、今はこの罪から自由にされたので、罪を犯し続けることを止め、きっぱりと手を引くことができるように変えられました。
私たちを縛っていた罪の罰則から、イエス様は私たちを自由にしてくださったのです。
イエス様は十字架の上で、私たちのためにしいたげられました。私たち自身が罪から離れたいと決心すれば罪から離れることができます。後戻りしないようにしましょう。後戻りして再び罪に向かうならば、今度は罪の罰ではなく、神の愛を踏みにじったとして厳しく裁かれることになります。

●4/23(土)「主の恵みの年」(第2ペテロ3:9)
年とは、決められている特定の一定期間を示しています。主の恵みとは、罪の赦しであり、私たちへの一方的なあわれみであり、永遠の裁きからの救いです。
しかし、これは「年」ということで区切られた一定期間です。始まりがあれば、終わりがやってきます。
始まりはイエス・キリストが地上にお生まれになった時であり、終わりはイエス・キリストの再臨の時です。この期間は法律でいう執行猶予の期間です。執行猶予とは刑が確定した人に与えられるもので、刑が執行されるまで一定の猶予が与えられます。
しかもこの間悪いことをしなかったら、刑そのものが執行されることはないという大変恵まれたものです。
この執行猶予の期間が主の恵みの年です。
今この期間の間にイエス・キリストを救い主と信じて、神の御前に正しい良心をもって歩もうと決心して、人生を歩み続ける人は、執行猶予つきで神の国に入ることができるのです。
この世の執行猶予は一度罪を犯すと取り消され、刑が執行されます。しかし主の恵みの年は、イエス様を信じ続けたら、どんなに度々罪を犯し失敗しても、心からの悔い改めをもって良心的に判断してやり直す限り、永遠の死刑をまぬがれます。しかし良心を無視し、赦されるから罪を犯しても平気という風になるのなら、死刑をまぬがれることはできません。
主の恵みの年とは、神の前に正しい良心をもって生きる期間です。永遠を神の前に過ごすため、この人生の数十年間、神の前に正直に正しく歩むなら、永遠の神の国に入れます。
良心に目覚めて生きましょう。毎週の聖餐式も、良心を目覚めさせ、正しい良心によって生きることを決心して受けましょう。

 

 


 
■2004年4月11日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

   更正   up 2004.4.11


イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
(ヨハネ11:25)



更生と復活という言葉は”生き返る、よみがえる”という同じ意味を持っています。そして更生には、さらに深い意味があります。
・心が根本的に、悪い状態から良い状態へと変化すること(生き返ること)
・過去を清算し、生活態度を改めること(新しく過去と180度違う人生を歩み始めること)
・不要になったものに手を加えて、再び利用できるようにすること
今週は更生という言葉から、イエス様の復活・よみがえりについて、聖書のみことばから、考えていただきたいと思います。

●4/12(月)「神の子である」(ローマ1:4)
復活とはイエス・キリストが神の御子であるということを、公に示されたことの証として、用いられています。イエス様は、私たちがもう一度生かされるために地上に来てくださり、ご自分の人生を通して、リサイクルの行程をつくられ、最後の仕上げとして、以前とは違う更に優れた体の姿をもってよみがえられました。神の裁きの時に、すべての人はよみがえります。神を信じない人々は裁きのために死ぬ前の状態でよみがえりますが、神を信じる人々は、イエス様がよみがえられたようによみがえります。
神の子は造り変えられるよみがえり、更生を受けてこそ、神の子であると言えます。あなたは永遠という世界で、神のために役立つ神の子として、練られ、きよめられ、よみがえる準備を地上でしているのです。意味のない苦しみを通っているとは思わないで、リサイクルされているのだということを考えて、希望をもって歩んでいきましょう。

●4/13(火)「神への誓い」(第1ペテロ3:21)
气yテロ3:21にある”そのこと”とはノアの大洪水のことです。何千年も前、地上に罪が満ちたので、罪を裁くために、水で地上が覆われて、神の裁きを受けました。その裁きから、ノアの家族だけが救われ、彼らは古い世界と共に過去が葬られ、新しい世界に生きるよみがえりを体験しました。ノアは、不敬虔な心を入れ換えて、神を畏れて忠実に歩もうとする心の更生を受け、神を敬う心があったので箱船を完成することができ、救われました。
罪を裁かれる神がおられる、これが神を畏れる心に目覚めるポイントです。
神の前に敬虔な歩みをするという正しい良心を持って生きることの決心の誓いをして洗礼を受けたことを忘れてはいけません。

●4/14(水)「生ける望み」(第1ペテロ1:3)
イエス様ご自身も、更生の人生を歩まれました。神の子であるのに、地上での罪の戦いという人生の苦しみを通して、死を味わわれ、自分を低くして卑しい者となり、つらい思いを実に受けられたのは、よみがえりを受けるためでした。イエス様は死に勝利し、さらに優れた体をもってよみがえられました。
今、クリスチャンとしての戦いを続けていくならば、私たちもよみがえりという形で救われます。
イエス様がよみがえられたという事実は、私たちに不可能を可能にすることができる希望をもたらします。

●4/15(木)「復活がないなら」(第1コリント15:32)
復活を信じて歩む人生と、信じないで歩む人生との大きな違いに気づくことが大切です。
復活がないとは、リサイクル(更生)がないということです。
更生があるから、人生やり直してみようという気持ちになって努力できるように、復活を信じているから、にことばにチャレンジしてみようという気持ちになります。
復活があるということを信じて人生を歩めば、リサイクルの行程を歩んでいるので、現実は変わっていきます。しかし、信じないと、みことばを行おうとしないので、変化は起こりません。
「明日は死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」という神を認めない、自己満足の人生で終わらないために、復活を疑わないようにしましょう。

●4/16(金)「蒔かれ、よみがえる」(第1コリント15:40〜44)
栄光=その人が持っている存在の良さ、素晴らしさ
劣っているか、優れているかではなく、それぞれに良さが違うということです。
私たちは朽ちる体を持って生まれてきましたが、よみがえりの時は、朽ちないものに変えられます。
生まれてきた時(蒔かれた時)よりも、よみがえった後の方が更に優れた存在となるということが、神が決められたよみがえりの法則です。
神はなぜ私たちを困難な罪の世界に生まれさせた(蒔いた)のでしょうか。それは、神は恵み深く愛に富み、全能なるお方であることを深く知り、よみがえりの素晴らしさを知るためです。

●4/17(土)「さらにすぐれたよみがえり」(ヘブル11:35)
初代教会の人々はなぜ迫害され、拷問され、苦しみを受け殉教することのほうを選んだのでしょうか。それは、その後によみがえることの素晴らしさを12弟子を通して教えられ、聖霊様を通して悟らされていたからです。よみがえりとは、更生です。不要なものであったにもかかわらず、神の愛によってあなたの人生に手が加えられて、神に役立つものへと、生まれ変わること、変わり続けることです。拷問や迫害、苦しみを通して忍耐が働き、忍耐はあなたを完全なものにすると書いてあります。復活を信じる私たちは、神によって日々リサイクルされ、更生され、最後には、キリストと同じ姿によみがえらされて、完成されます。あなたには、完成される人生が待っています。復活はあなたにとってどんなにすばらしいものであるか、目覚め、悟る、一週間としてください。

 

 

 


 
■2004年4月4日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

   諒恕 りょうじょ  up 2004.4.4


イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
(ルカ4:21)


『諒恕』とは相手の事情(感情)をくみとって赦すことをいいます。
イエス様は救い主としての責任において私たちの罪を赦されたのではなく、私たちの事情をくんで、赦したいと思われたから赦してくださったのです。
私たちは理性的に人を赦すことはできにくいのですが、相手の事情がわかり、その中に自分との共通点を見つけると、あわれみの気持ちがわいてきて、赦しやすくなります。
今週はルカ4:21の「聖書のみことばが・・・実現しました。」という点に焦点をあてて考えていきたいと思います。

●4/5(月)「実現された」(使徒3:18)
私たちは「神のことばが実現した」という事を正しく理解しているでしょうか?
イエス様は1971年前(約2000年前)に十字架にかかって死なれたという事が実現しました。
「実現」には
@過去において実現してすぐ終わった。
Aその時から今に至るまで実現した事が続いている。
と二通りの考え方があります。
現在私たちの日常には電気や電話が普及して、便利な生活が当たり前のようになっていますが、はじめてその便利さにふれた時の感動を覚えているでしょうか?
私たちは「信じる者は皆赦される」というみことばの約束は今も効力があると信じているので、2000年前に実現した十字架のありがたさを忘れないため、毎週聖餐式を受けます。「主が再び来られるまで続けなさい」と語られたからです。
みことばの約束が今も続いていて、効力があると気づいて受け止めることによって、クリスチャンとしての毎日の生活の中に使い生かす事ができます。
みことばに対する正しいとらえ方をしているかどうか、ご自分の心を反省していただきたいと思います。
火曜日からはキリストの受難(=私たちの事情をくんで赦すため)を黙想していただくため「赦し」をテーマに5つのみことばをあげました。

●4/6(火)「赦された者は幸い」(ローマ4:7)
私たちはありのままの姿で生きる事を認め、赦していただいている事の幸福感をどれだけ味わい感謝することができているでしょうか?
私たちの存在は生まれた時から誰かに迷惑をかけ(忍耐してもらって)どこかで誰かに「赦された」という体験をして生きてきた者です。
罪人である私たちは、本来自己中心に物事を進めていく者なので、そんな迷惑をかけあう私たちが平和に暮らすには、愛(=赦しあうこと)が必要です。
「赦された者である」という幸いを感謝し、正しい良心をもって感じる事ができれば、隣人をあわれむ気持ちもわいてきます。
私たちは多くの人々(親、兄弟、夫、妻、友人、上司、等々…)に赦されてきた者ですが、完全な神様が赦してくださっていることは、何にもまさる大きな幸いのはずです。
このことをしっかりと黙想してください。

●4/7(水)「血を注ぎ出すことがなければ」(ヘブル7:22)
人類は神を殺すという大きな罪を犯してきました。神は生きていらっしゃるのに、その存在を認めない!従いたくない!という、神を畏れず、まるで無視した歩みをしてきたからです。
人が故意に殺人を犯せば死刑になります。まして完全な方である神を殺してしまうという罪を犯した私たちは、絶対に赦されるはずはないのに、罪の全く無いイエス・キリストが十字架で血を流してくださったことにより、私たちは赦されているのです。それはサタンがねたむほどの大きな赦しです。
神を畏れない、不敬虔な態度は、神を殺すことであるということを、もう一度しっかり心に留めていただきたいと思います。

●4/8(木)「神の豊かな恵みによる」(エペソ1:7)
人を赦す時には心に大きな葛藤が生まれます。ですから心がよほど豊かでなければ、赦すことはできません。
神様はご自分の姿に似せて造られた私たちを大きな愛で包んでくださって、罪人であるにもかかわらず、滅ぼすことを惜しまれて、ただ私たちを信じて豊かな心で赦してくださいました。
私たちは神様の豊かな恵みをただ受けるだけではなく、注いでくださった方の心を考えるべきです。
人に親切にしたり、寛容さを示したり、赦したり、忍耐をする時、神様のように豊かな心を持っていなければできません。デボーションの中で、聖霊様に感じさせていただきましょう。

●4/9(金)「自分の罪を言い表すなら」(气ハネ1:9)
「罪の赦し」は「告白」することによってなされます。
それは自分の義を立て、相手も間違っているというような、自分を保護するような告白のしかたではなく、自分の良心をもって心を計り、正直に神の前にすべての悪(=罪)を告白することです。
正しい神はその真実な心の姿勢を見て喜ばれ「赦したい」という気持ちを沸き立たせられ、罪を赦してくださいます。
神の前にどうぞ真実な心をもって打ち明け、声を出して罪の告白をしてください。そして聖霊様にふれられ、聖められるという体験をぜひ味わってください。

●4/10(土)「実現された」(使徒3:18)
今週のテーマである『諒恕』ということを、神から受けたことを忘れていなければ、人を赦すことができます。
神様が「互いに赦し合いなさい」といわれるのは、単に命令されているのではなく、赦すためには相手の気持ち(事情)を汲み取ってこそ、心から赦すことができるのだ、という事を教えたいのです。
神様は私たちが罪の奴隷となり、苦しみ悩んだあげくに罪の告白をした信条を汲んで、赦してくださいました。
私たちが人を赦す時、深い反省の気持ちを持たず、悩まない人を赦すことは困難です。
悩んで悩んで人がその弱さゆえに、罪と戦ってもがいている姿を見た時に、その気持ちを汲み取り、あわれみを注ぐことができ、「互いに赦しあいなさい」というご命令が実現していくのです。
罪を止め、罪に勝利させてくださるためには、聖霊に満たされることが必要です。聖霊が良心に宿り、正しい良心のもとに生きるよう、カウンセリングしてくださるからです。
「神の前に目覚めた良心をもって生きていこう!」という強い決心が湧いてくる聖霊様に、どうぞ満たされ続けてください。
そうすればきっとクリスチャンとしての豊かな実を結ぶことができます。



 

 

 

 


 
■2004年3月28日 日曜礼拝メッセージより(主任牧師 辻 秀彦 師)

   諺 ことわざ  up 2004.3.28


こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
(ヨハネ4:37〜38)
イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない。」と証言しておられたからである。
(ヨハネ4:44)
そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」
(ヨハネ4:48)
イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。(ヨハネ4:50)



私たちの周りには、たくさんのことわざがあります。ことわざは、当たり前のようでありながら、中に教訓が含まれていたり、違う角度から考えさせて、今まで気づかなかったことを気づかせたりするものです。
イエス様のみことばは、そういった意味合いを持つものが多いようです。

●3/29(月)「蒔く者と刈る者」(箴言8:33)
一般的には蒔く人は刈る人と同じです。けれどこのみことばは違います。それではこの両者の関係はどのようなものなのでしょうか。
まず両者の共通点は、収穫を期待し、収穫が喜びであるということです。
<例え>
蒔く者…神様の働き
刈る者…みことばを聞く者
神は永遠のいのちを持つ「みことば」なる種をこの地に蒔いてくださいました。神は創造の初めに「光あれ」と語られました。しかしこれは刈り取りではありません。刈り取りは、エデンの園でアダムとエバを通して始められました。
耕す必要のない完璧な園に、耕すために人を置かれたのです。「耕す」とは「仕える」ということであり、そこから「礼拝する」という姿勢が表れてきました。実を収穫することを願っておられる神は、その刈り取りを私たちに任されたのです。
種を蒔き、育っていくのを見守られた神は、刈り取れる直前に、私たちを送り出してくださったのです。ほとんどの創造の業が終わり、一番最後に神が人を創造されたのは、最もいいところである刈り取りを私たちに任せ、その喜びを共有したいと願われたからです。
親が子供のためにあらゆる準備を整えて、一番最後の完成の喜びを子供に与えたいと願う気持ちと同じです。
神様は未熟な私たちのために、99%までをご自身が仕上げてくださり、残りの1%、ただ信じるだけで救われるということのみを残してくださったのです。
神は私たちと喜びを分かち合いたいと願っておられます。それゆえあなたの人生で、収穫する喜びを準備してくださっているのです。「蒔く者と刈る者」に分けられた理由は、神と私たち両者の深いつながりを教えるためです。

●3/30(火)「ことわざはほんとう」(伝道者の書3:2)
「ひとりが種を蒔き、ひとりが刈り取る」とは、大木を育てることにも当てはめられます。そこにはどういう状況が起きているのでしょうか。ある人は、せっかく蒔いていても、愚かであるために罪を犯し、畑を放棄せざるを得なくなり、別の人が収穫するようになるという状況になってしまうかもしれません。また大木であるなら、蒔いてからすぐに収穫はできません。長い忍耐が必要になります。
例えば、山を持っている人は、次の世代のために木を植えて行きます。そして、その人自身も、先代か、先々代の植えてくれた木で得たお金で生活しているのです。今植えるのは子供か、孫が収穫するためです。ここでは蒔く者と刈る者は異なっています。蒔いた人の労苦の実を次の世代の人が刈り取り、生かすのです。そこには時間が必要です。
あなたが子供や社員、弟子を育てる時、自分のためであるなら失敗してしまいます。しかし、彼らの将来のためにというい育て方をするなら成功します。
人生において、今自分が生きている間に刈り取らねばならないということばかり考えていたら、限られた行き方しかできません。しかし、将来のために、という考え方をするなら、もっと豊かな生き方に変わっていきます。将来を見据えた賢い生き方をしていきましょう。蒔いたものをすぐに引き抜いてはなりません。刈り取りまで忍耐して待ちましょう。

●3/31(水)「自分で労苦しなかったもの」(箴言27:26)
子羊の毛は服の素材として高級です。子羊はあなたによい服を作る毛を供給してくれるので、大切にする必要があります。また、やぎはよい乳を出すので、大切に育てて売れば高値がつき、畑の代価になります。子羊もやぎも、育てる、世話をするという労力はあなた自身がすることですが、子羊の毛も、やぎの乳も、あなたが造り出すことはできません。造り出せないけれども、そのOR="#660000" SIZE="-1">
 上記の言葉は数回の離婚を繰り返した挙げ句、ッ8FQQPuフンサ汢ムuwtsmahrrz椶 +AHMLbゼブラ、汲{{ч痩wszxy鴇K 4AJMMヲ趁ソモ殕\cv込。志ckhv減&6Gぽ蘯旌・M9=SoztoUJFNgΦ「 sフ狆ヶセ胝フhR`ウ地VFJB@[「ツ#8スレヌ+肌エヌヒセコヒミtZKIH]槁6蝦ユ撹ь惡ッサニハ磬ヲm^EIs┬ヨGHツヨ)3Z離ィクスニ゚ツsYQZu幹レM&慱ア7P頗ィョシチムクbVRXav~WsハヒjF圏「ェキケヌロェZURR\fRォヒゥ$2q徐」ョオケチマヤメ揺mTSl、Wスソj(l{椙」ォョケシスキеiSSz憚 徳ゥ.*_nzь圜ャォーャ}hfSUー9)ゥカ EU^grxы国瞬gRZyュヲrャ0 %2CIX\hnsuzws_OSi造*~ャ$,?DNRY]bbbaWQYz=ぃ  *6>CGGOKJEGcf,y寐# #'+211-3@3a嵐C1> *図E!!.Uqi5  8u~yrY. 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イエス様が旅の途中で出会われたサマリヤの女は、心の渇きをこの世の水(5度の結婚)で満たそうとしましたが、どうしても満たすことができず、ついに渇命の状態にありました。
私たちも心が渇いている時、世の中の水(世の楽しみ、肉を喜ばすもの)で心を満たそうとすることがあるかもしれませんが、一時的に紛れたように見えてもすぐにまた渇き、ずっと満たされ続けることはありません。
クリスチャンになっても、いつも愚痴・不平が口から出て不信仰になり、物事を否定的にとらえるなら、この世のもので心を満たそうとしているのではないでしょうか。
それはまるでこわれた水ために水をためているようです。
クリスチャンは魂のための水(=みことばと祈り)によらなければ、満足することはありません。
今一度ご自分が何によって心を満たそうとしておられるのか、信仰生活を反省してみていただきたいと思います。

●3/2(火)「また渇く」(詩編78:16〜18)
神はイスラエルの民をエジプトから導き出し、荒野を通らせ、約束の地へ連れて行くという目的を持っておられましたが、イスラエルの民は飲み食いする事にのみ心が向いていたので、荒野を旅する中で自分たちが望むような飲み食いができなくなった時に、神につぶやき、不信仰に陥りました。
私たちが神に祈り求める時、肉を養う事(また渇くこと)に目を向け、それを優先させることを願ってはいないでしょうか?イエス様をそのような目的のために利用するべきではありません。
「神の国とその義を第一に求めなさい。そうすればそれに加えてこれらのものはすべて添えて与えられます。」とのみことばの通り、私たちが人生を神本来の目的のために歩んでいさえすれば、神ご自身が荒野でイスラエルの民を養われたように、私たちの必要を必ず満たしてくださいます。
私たちはこの世の必要を満たすために働くのではない、ということに心を目覚めさせましょう。

●3/3(水)「イエスが与える水」(エレミヤ31:25)
「イエス様が与えてくださる水」とはどのようなものでしょう。「疲れたたましいを潤し、すべてのしぼんだたましいを満たす。」とエレミヤ31:25にあります。
私たちが人生そのものに対しむなしさをおぼえ、心が渇き、「これで良いのだろうか?」と疑問を持った時、それに答えてくださるのは神のことばを通して教えてくださるイエス様だけです。
以前は「誰でもすべて疲れた人は私のところに来なさい。私があなたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)というみことばにひかれて教会に来る人が多かったのですが、今は人々の心が肉的欲求を満たすものを求め続けるため、神を求める気力さえなくなるほどの、まさに渇命の状態に陥ります。
ですから、こちらから弱った魂のところへ出向いていって、「イエス様が与えてくださる水」クリスチャン自身がみことばで養われ、聖霊に満たされて充分に魂が潤うという経験をした上で「イエス様のみことばこそ生きた水である」と感じていただけるように、働きかけをしていきたいものです。

●3/4(木)「決して渇かない」(ピリピ3:13〜14)
イエス様の生きた水によって心が満たされていると、決して渇くことがなくなります。
魂の乾きを潤すために心を使う必要がなくなり、約束の地に向かって前進することに集中することができます。
それはみことばで養われ、祈ることによって、魂が潤されるためなのですが、もしクリスチャンが、神様にある人生の目的からそれて、世の中の人と同じように肉を楽しませる事に注意を払うようになると、神様によって潤されることがないので、やがて心は渇いてきます。
本来クリスチャンはみことばで養われ、聖霊によって満たされているのですから、いつも心は潤されているはずなのです。
もし渇くとすれば、どこかに問題点が隠れています。
心を探り、いつもけっして渇くことのない水で心が潤されている状態を保ち続けたいものです。

●3/5(金)「その人のうちで泉となる」(第2コリント4:16)
泉は良質で新鮮な水をいつも湧き上がらせています。
私たちの体は2/3が水でできていますが、良い水を体内に入れると、細胞に生命力をもたらし、病気をも食い尽くすほどの力を発揮し、回復力をもたらしますが、質の悪い水(水道水など)は細胞をこわしてしまいます。
水は肉体だけでなく、魂にとっても大切なもので、イエス様をとおして良質な水(みことばと聖霊)を与えたられると、罪の誘惑に勝利する力が湧いてきます。
異言を語り、聖霊に満たされた事のある人は、湧き上がってくる泉をいただいているのですから、たとえ悪霊によって心が汚されたとしても、悔い改めをすれば、自然に浄化され、聖くなります。
聖霊の満たしとみことばの働きは、湧き上がってくる泉に象徴されています。

●3/6(土)「永遠のいのちへの水」(イザヤ58:11)
私たちをとりまく社会的環境(経済の低迷など)が悪くなり、追いつめられたような状況になると、心まで渇いて「もうだめだ」と否定的な気持ちになってしまいますが、永遠のいのちへ目を向けているクリスチャンの魂は、潤された園のような状態なので、どんな環境にも左右されることなく、幸せを得ることができます。
それは困難な状況に対して、力と知恵を尽くして乗り切るエネルギーが内側から湧き出てくるからです。
クリスチャンは永遠のいのちへの水(=何者によっても滅ぼされることのないいのち)として、イエス様から聖霊とみことばをいただいているのですから、そのすばらしさに目を向け、世の中の人と同じような愚痴・不平を言うことのないよう、気をつけていきたいものです。