2002/01/06 永遠に備えての良い基礎づくり 〜4つの未来の姿〜 2002/01/13 永遠に備えての良い基礎づくり 1忠告を軽んじない 2002/01/20 永遠に備えての良い基礎づくり 2神との信頼関係を保ち続ける 2002/01/27 永遠に備えての良い基礎づくり 3神の愛の中にとどまる 2002/02/03 神の国の素晴らしさを伝えるために〜3つのポイント〜 2002/02/10 原点に帰って〜神の和解のメッセンジャーとしての使命〜 2002/02/17 聖霊によって潤うために 2002/02/24 神の完全な守りの内にとどまるために 2002/03/03 世の光として生きる 2002/03/10 霊的に死んだクリスチャン生活にならないために 2002/03/17 神のみこころを知る〜主の働き人となる〜 2002/03/24 賜物として与えられた苦しみ〜キリストの受難〜 2002/03/31 キリストのよみがえりの力がもたらすもの 2002/04/07 誰に気に入られたいのか〜神の前に生きる人生〜 2002/04/14 イエス様の願い求めておられる平和を得るために 2002/04/21 人生最高の友〜キリストを最高の友として歩む〜 2002/04/28 えこひいきのない神〜心の動機を見る〜 2002/05/05 sorry now ready... 2002/05/12 御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったか(1) 2002/05/19 御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったか(2)
〜愛されていることを感じない病いからの解放〜2002/05/26 sorry now ready... 2002/06/02 闇のわざを打ち捨てる 2002/06/09 sorry now ready... 2002/06/16 神の国のサポーター〜御国が来ますように〜 2002/06/23 目 覚 め よ 1〜世の終わりが来る前に〜 2002/06/30 目 覚 め よ 2〜たゆみなく祈る〜 2002/07/07 目 覚 め よ 3 sorry now ready... 2002/07/14 目 覚 め よ 4〜サタンの餌食にならないために〜 2002/07/21 目 覚 め よ 5〜神についての正しい知識を持ちましょう〜 2002/07/28 目 覚 め よ 6〜偶像礼拝を避けなさい〜 2002/08/04 目 覚 め よ 7〜収穫の時に収穫をする〜 2002/08/11 世の終わりのクリスチャンの道〜3タイプ〜 2002/08/18 神の裁きの日まで、どう生きますか?〜ノアの生き方を通して〜 2002/08/25 次の世代に向けての私たちの交わり 2002/09/01 御霊に従う生き方 2002/09/08 肉に従う理由はない 2002/09/15 誇るものは主を誇れ 2002/09/22 神の愛のうちに自分を保つ 2002/09/29 主イエスの恵み 2002/10/06 キリストのあがない 2002/10/13 新しい自分 2002/10/20 栄光のイエス・キリスト 2002/10/27 天にあるものを思う 2002/11/03 新しい創造 2002/11/10 神と私たちが一つとなる 2002/11/17 霊的な礼拝 2002/11/24 主なるあなたの神を愛せよ 2002/12/01 いのちを与えるもの 2002/12/08 キリスト 2002/12/15 神との平和〜和解のいけにえ〜 2002/12/22 信仰による救い 2002/12/29 罪の赦し
12月29日 日曜礼拝メッセージより
●罪の赦し
それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、
と言ってよいでしょう。
また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ヘブル9:22sorry now ready...
12月22日 日曜礼拝メッセージより
●信仰による救い
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ2:8
レビ記4章は罪過のためのいけにえ、罪のためのいけにえについて書かれてあります。罪過のいけにえに対して解く鍵として信仰による救いという点において解き明かしていくことができます。(エペソ2;8)私たちのこの救いは神様からの賜物です。この賜物をいただくのに私たちは信仰(信じる心を開く)が必要です。罪のゆるしのプレゼントを受け入れるためには、神に対して心を開く思いを持ってその言われたことをそのまま信じること、これによって救われるのです。信仰のことばとは、レビ記4章よりの学びになるのです。罪過のいけにえ、これを信じることによって私たちは救われるのです。
【23日(月)レビ記4:1〜2】
「罪過のためのいけにえ」 新約聖書ヤコブ5:15
罪過のいけにえとは、過って罪を犯した場合にささげるべきゆるしのいけにえです。過ってとは、故意的にではないのです。聖書では故意に人を殺したり、姦淫をした場合は石打ちの刑に処せられました。罪過のためのいけにえは、過って罪を犯した場合にささげる罪のゆるしのためのいけにえです。
「神様は罪を許して下さる」「イエス様の十字架があるから」と安易に考え、とらえてはいけません。
信仰による救いとは、救い主の私たちに対する愛を大事にし、もう二度と罪を犯すまいと決心している心がけの中で、なお自分の弱さや状況の中で罪を犯さざるを得なかった場合の罪のゆるしのいけにえなのです。
罪過のいけにえを理解して祈る時、人は癒されその人の罪までもゆるされるのです。【24日(火)レビ記4:3】
「油注がれた祭司の罪過のいけにえ」 新約聖書ローマ8:13
これは雄牛をささげなければなりませんでした。雄牛=働き、労働を意味していましたが、罪過のいけにえの雄牛、山羊等は責任の大きさに比例して大きな犠牲を罪のためのいけにえとしてささげなければならないということを語っていると思われます。
イスラエルの集団のため、上に立つ者のため、一般の人の罪のため、個人のためと種類によってささげるいけにえが違っていました。油注がれた祭司は雄牛を一頭ささげなければなりませんでした。とても高価なものでした。大きな心の痛みをもってしなければ私たちは罪に対して自制心が働かなくなってしまうのです。肉に従って生きる者は死ぬと書かれています。
もし、御霊によって従ってゆくなら生きる。生きるか死ぬか、肉に従って生きるなら死ぬ、けれどもどうして御霊の導きに従って生きることができるのか…。
ここに罪過のいけにえがささげられる理由があります。祭司は、神と民をとりなす働きをする者ですから、聖さにおいて真剣でなければなりません。魂の救いに対する重要な位置を築かなければなりません。私たちは良いことがあった時、感謝のささげものはいたしますが、罪過のささげものはあまりしていません。レビ記からいうと罪をゆるしていただいたから感謝献金、とならなければなりません。一回罪を犯す度に○円と決めていたらそうたやすく罪を犯すことはできなくなります。
罪とのかかわりをそのくらいに考えた方が罪から守られるのではないでしょうか。私たちは「神様、罪をゆるして下さってありがとうございます。罪がゆるされる犠牲など払えません、でもあなたが十字架で身代わりに払って下さいました。その感謝の気持ちを私はあらわします。」と。
このことは罪から離れるという敬虔な姿勢があらわれていると思います。信仰の力量に相応しくささげることが大切です。
聖書の中にひとりのやもめが銅貨2レプタをささげた時、イエス様に喜ばれました。彼女は持っている全部をささげたのです。神のあわれみの中でゆるしていただくことを感謝して、明日は神のもとに召されよう、とやもめはささげました。そこに敬虔な信仰深さを見ることができたのです。金持ちはまだ次の日も楽しめる財産を持っているのです。罪過のいけにえ、罪のゆるしのいけにえはただ一つ、イエス様だけですけど、私たちは罪をゆるしていただいたことに対する神への悔い改めの実として、ゆるしていただいた感謝を現わすことはもっと罪から離れることのできる大きな力となるのではないでしょうか。【25日(水)レビ記4:4】
「雄牛の頭の上に手を置く」 新約聖書使徒2:38
ペテロの周りに人々は「救われるために私たちはどうしたら良いのでしょうか。」といった時、ペテロは「罪をゆるしていただくためにバプテスマを受けなさい」と答えました。罪をゆるしていただくためには罪の告白が必要です。動物の頭に手を置く時、自分の罪を告白します。私たちが水のバプテスマを受けるときイエス様に対して私たちの罪をゆだねました。もし、私たちの内に告白していない罪(隠されている罪)を持っているなら、イエス様に罪を移行しないということになります。 どの罪をイエス様に移したでしょうか。一つ一つの罪に対して神に告白すべきです。【26日(木)レビ記4:5】
「聖所に血を持って入る」 新約聖書ヘブル9:12
罪のための贖いのみわざはイエス・キリストが死んでよみがえって天の聖所に入らなければ完成されませんでした。
イエス様が天の聖所に入られたからこそ、私たちは悔い改めの祈りをすることによってゆるされるという道ができたのです。イエス様が聖所に入られてのつとめは、ご自分の血をもって神の前に私たちのために罪過のいけにえとしてとりなして下さるということです。
とりなすとは悪い人(問題をこうむった人)を良いように伝えることです。これはとてもしんどいことです。苦痛です。すなわちその人の罪がゆるされるために産みの苦しみをするようなものです。
イエス様は神の右の座で私たちのために取りなしの祈りをしていて下さるのです。【27日(金)レビ記4:6】
「血を7度振りかける」 新約聖書ヘブル10:19
キリストの血は神のあわれみを引き起こす力があるのです。罪を裁く神が、罪をゆるす神としてあらわれて下さるためです。
どうして垂れ幕の前で7度血を振りかけるのか、罪ある者が神の前に出たら裁かれます。義なる神が私たちをゆるすためにはあわれみの心をもたなければなりません。そのあわれみの心がわいてくるためには、私たちのために罪なきお方が苦しんで犠牲を払って罪のゆるしの訴えをして下さっているという状況が起こらないと、神様の愛の心がわいてこないからです。
神のみ座の前で「ゆるしの神、あわれみの神よ」と、神様のあわれみの心を引き出すためにイエス様の血を象徴した動物の血が七度聖所で注がれるということです。
私たちが「愛である神様、素晴らしい天のお父様」と、祈りの度に告白するのであるならば、まず十字架を通して自分の心を神様の前に聖めて、あわれみの心をもってあなたを見ていただけるように、イエス様の十字架に感謝を捧げることが必要です。【28日(土)レビ記4:7】
「血を金の香壇の角に塗る」 新約聖書ローマ8:34
神の右の座についてとりなしていておられる。金の香の壇とは、祈りであり、賛美であり、神の前にのぼる祈りを象徴しています。
祈り=権威、力を象徴しています。権威、主権を現わす角が金の香壇の4隅に取り付けられています。その角に血を塗る。神の右の座とは、神の主権の座にイエス様がいてとりなしておられるのです。イエス様がとりなして下さっている場所は権威ある場所なのです。この権威ある場所を象徴した角には血を塗りなさい、すなわち救い主イエス様は血まみれのとりなしてとして父の神のみ座にあって私たちの罪のためにとりなしていて下さるのです。この血は神様のあわれみの心を引き出す血です。権威あるものとして神にとりなすこと、また神のあわれみを引き起こす愛をもって祈っておられる、これは必ず聞かれるということです。
イエス様にとりなしていただいた祈りが絶対に聞かれるということです。
罪過のいけにえを神様が用意して下さったならば、私たちはその罪過のいけにえに対する敬意と尊敬をもちましょう。そして悔い改めの実としてゆるしていただいた感謝を、形あるものによって神の前におささげ致しましょう。
12月15日 日曜礼拝メッセージより
●神との平和〜和解のいけにえ〜
さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすれば幸いが来よう。
ヨブ22:21
イソップ物語の「キツネとツル」というお話は、やったらやり返すというお話です。きつねがツルを食事に招待しますが、ツルはお皿なので食べられず、怒って帰ってしまいます。そこで今度はツルが仕返しをするという話なのですが、ここでもしキツネがツルと仲直りをしたいと願ったらどうなるでしょうか?キツネはツルのために高価な置き時計を売り、自分では使うことのないつぼを買ってきて、もう一度ツル招待し、和解をするというお話になります。
聖書では、幸いになるために、神との関係を平和に保ちなさいと言っています。平和がなくなる一番の原因は、自分の思い通りに相手を動かそうとするからです。私たちは従うべきものなのに、神様を私たちに従わせようとするから平和がなくなってしまうのです。神様との間に平和を持たない限り、人類の本当の幸いはやってきません。神様は私たちとの大きなみぞを埋めるために、自ら救いを与えてくださいました。 レビ記1、2章では全焼のいけにえとして、怒りをなだめるためのいけにえについて学びました。3章では、二つ目のいけにえといて、和解のいけにえについて学んでいきます。
【16日(月)レビ記3:1】「和解のいけにえ」
新約聖書より コロサイ1:22
和解のいけにえ=贖いの血の注ぎによって回復された神との友情、平和、交わりを意味している。神様との関係回復がどれほど私たちにとって重要なことは考えてみましょう。
イエス・キリストはこの地上に現れて、神様の怒りをなだめるだけでなく、神様と私たちとの関係を回復されました。神様はご自分の方から犠牲をして私たちと和解をしてくださいました。なぜここまでして、私たちとの関係の回復を望んでおられるのでしょうか。
イスラエルに、ベドウィンというテント生活をしている放牧民がいます。彼らが自慢して「私たちは、あなたがたと同じ文化的な生活をしている」と言って、冷蔵庫と洗濯機を見せてくれるそうです。しかし彼らは放牧生活なので、電気も水道もありません。これでは意味がありません。神様と私たちの関係は、電気と電気製品のようなものです。電気製品は、電気が通らなければ役に立ちません。電気もそれだけでは意味がありません。両方が存在していても、関係が結び合わされていなければ役に立ちません。神様は私たちを必要としておられるのです。電気の通った製品は、その造られた目的に従った働きが出来ます。私たちも神様と結び合わされて、目的に従った人生を歩みましょう。
【17日(火)レビ記3:2〜5】「牛の和解のいけにえ」
新約聖書より 气Rリント6:20
牛=肉の力、労苦 肉の働きが神に喜ばれるものとなるために、キリストによる和解が与えられた。
神様は、罪の宿っている肉体をも栄光のために用いて下さいます。罪を犯す私たちをも、御子イエスの和解のいけにえのゆえに受け入れてくださるのです。そのいけにえは、私たちが罪から離れるために、神様が愛をもって与えて下さったということへの、感謝の心を忘れてはいけません。罪を行なって神の栄光をあらわすということは出来ません。和解のいけにえであるイエス様を尊んで、罪から離れて神の栄光をあらわしましょう。
【18日(水)レビ記3:2〜5】
「和解のいけにえの脂肪をささげる」
新約聖書より へブル11:6
脂肪=最も富んだ最善のものを象徴している。神に喜ばれる最善のささげものとは、神への信仰。神への信仰による歩みこそ、いけにえのすべての脂肪を神にささげること
脂肪は、最高ではなく、最善を意味しています。キリストは神の子として、罪を一つも犯さない最善の歩みをされました。私たちも私たちなりに、最善を尽くすことができます。2レプタのやもめは彼女の最善をしました。神様はあなたの行ないの結果ではなく、最善の信仰を見て喜ばれるのです。
【19日(木)レビ記3:6〜11】「羊の和解のいけにえ」
新約聖書より 使徒24:16
私たちの良心をきよめるために、和解のいけにえとなられた方に最善をもってつかえましょう。
羊は良い部分、私たちの長所をあらわします。良いところを更にひきのばし、あなたの長所を神様におささげしていきましょう。
【20日(金)レビ記3:12〜16】「やぎの和解のいけにえ」
新約聖書より へブル10:22
罪の世界でゆがめられた邪悪な良心でさえ、受け入れてくださる神の和解を忘れないようにしましょう。
やぎは短所をあらわしています。邪悪な良心、ゆがめられた部分をも、和解のいけにえによって聖められ、受け入れて下さっています。短所を捨てるのではなく、愛によって聖められ、生かし用いて下さることを期待して、前向きに神の前にささげていきましょう。
【21日(土)レビ記3:17】
「脂肪も血もいっさい食べてはならない」
新約聖書より エペソ5:21
血→罪を贖う代価→神だけが罪の贖いのための代価を準備できる方→唯一の救いを尊ぶ
脂肪→最良のもの→救いを与えて下さった神を畏れ敬う証しとしてささげるもの
血は命の象徴、罪を贖う代価です。罪の無い神の御子の血潮を軽んじてはいけません。脂肪は最も良いものを意味します。最も良い高価なものは、尊ぶべきお方にささげるべきです。血潮に対する尊ぶ心と、神様に対する畏敬の念を失うことのないように、歩んでまいりましょう。
12月8日 日曜礼拝メッセージより
●キリスト
女はイエスに言った。「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
ヨハネ4:25
上記の言葉は数回の離婚を繰り返した挙げ句、 ッ 8FQQPuフンサ汢ムuwtsmahrrz椶 +AHMLbゼブラ、汲{{ч痩wszxy鴇K 4AJMMヲ趁ソモ殕\cv込。志ckhv減 &6Gぽ蘯旌・M9=SoztoUJFNgΦ「 sフ狆ヶセ胝フhR`ウ地VFJB@[「ツ# 8スレヌ+肌エヌヒセコヒミtZKIH]槁6 蝦ユ撹ь惡ッサニハ磬ヲm^EIs┬ヨG Hツヨ)3Z離ィクスニ゚ツsYQZu幹レM &慱ア7P頗ィョシチムクbVRXav~W sハヒjF圏「ェキケヌロェZURR\fR ォヒゥ$2q徐」ョオケチマヤメ揺mTSl、 Wスソj(l{椙」ォョケシスキеiSSz憚 徳ゥ.*_nzь圜ャォーャ}hfSUー9 )ゥカ