2002年8月25日 日曜礼拝(聖会、)より
 (辻 秀彦 主任牧師)

● 
次の世代に向けての私たちの交わり
私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父おおよび御子イエス・キリストとの交わりです。
(第1ヨハネ1:3)

 今年、私たちの教会は創立50周年を迎えました。50という数字は、聖書では一つの世代が終わって、新しい世代へ移っていくという世代交代を意味します。
 『ジーザスフェローシップ』という教会の名前は、第一ヨハネ1:3にある「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」という御ことばからつけられたものです。
 私たちの教会がモットーとしているこのみことばを、さらに御父と御子との交わりが深まっていくために、具体的にどのような点に心を向けてこれからの地上の歩みを前進していくべきか、今回の聖会のテーマである『あなたの天幕の場所を広げよ』にあてはめて、大川先生が聖会第一日目に語ってくださった3つのポイントをあげて、さらに詳しく学んでいきたいと思います。

1.天幕を広げる<ビジョンを拡大する>
 天幕とは、荒野で旅をしている人の住まいとなるもので、家族が共に集まり、交わることのできる最も平安な場所です。
 この住まいを広げていくということで、私たちがチャレンジを受けたのは、新しい魂に手を差し伸べて、キリストの愛を伝えていくために、さらに大きく天幕を拡大する必要があるということです。

 数年前、神様は、夢の中で、この広島の地に、神の霊に満たされた10万人の魂を与えてくださるという幻を見せてくださいました。
 又、広島は人類史上初めて原爆が投下された被爆都市であり、世界中のどの国よりも、平和を訴える声が大きな街です。核を廃絶しようと言う声も起こっていますが、しかし戦争(争う心)は私たちの内側から起こってくるものなので、核を廃絶したり、武器をなくすことによって防げるものではありません。
 一人一人が、神の平和を受け入れ、神が私たちの心を治めてくださることによってのみ、真の平和が訪れてくるのです。
 イエス様は私たちの心に平和をもたらすことにおいて、マタイ5:9で「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」と語っておられます。
 ナポレオンは世界を征服しようとして挫折したとき、「自分は、力と権力によって世界を征服しようとしたが、キリストは愛によって全世界を征服した。」という言葉を残しています。
 私たちが目指しているのは愛のある平和で、それは人格者同志の中に生み出されるものです。まず家族の中から、身近な間から平和をつくり出す努力をしましょう。そのためにはゆっくりと交わりをすることが必要ですが、性格や主張、考え方の違う人と人との交わりには必ず限界があります。互いを尊重し、良い利益を生みだすためには、両者が尊敬し認めることのできる人格者<神>を中心にお迎えすることが不可欠です。神を中心とした平和づくり、これが天幕を拡大することです。

2.鉄の杭を強くする<信仰の土台を強固にする>
 杭とは天幕を張ったときそれをささえるもので、杭がしっかりしていないと、天幕が拡大していったとき支えることができません。信仰の土台を強固にするとは、イエス様と一つ霊になることですが、私たちはそのためにどれだけの時間を費やしているでしょうか?
 出エジプト30:29では、「聖いものに触れればすべて聖くなる」とあり、レビ記5:2−3、第一コリント6:16−17では「汚れたものに触れればすべてが汚れるので、汚れたものに触れないようにせよ。」と語られています。
 私たちの霊は、一日の内かなり長い時間を世の中に置くことによって、汚されているので、そのまま放置しておくと信仰の基準がにぶってしまいます。どこかで神の子としての心に立ち帰ることが必要です。それが主との交わりです。祈り、賛美をし、御ことばを黙想し、聖霊によって悟らせていただくことによって、聖められることができるので、是非、主との交わりの時間をしっかり取っていただきたいと思います。

3.綱を長くする<愛とあわれみの心を持つ>
 天幕と杭をつなぐのが綱の役目で、それは愛とあわれみの心を持って、差し伸べる交わりの手を長くすることです。綱が長いほど天幕を広げることが出来ますが、どこか一部でも短いところがあると、せっかく広がった天幕を広げることができません。
 愛とあわれみの心を持つこと、それは互いに許し合い、受け入れ合う姿勢を持つことです。私たちは、初めに神の愛とあわれみを受けて、神様の方から手を差
 ですから次に残った片方の手で、教会の兄弟姉妹に愛の手を差し伸べるのです。
 マタイ18:23−33のイエス様のたとえ話の中では、一人のしもべが自分の大きな借金を王様<神>に赦してもらったことを忘れて、しもべ仲間の小さな借金を赦すことができませんでした。
 王様<神>は、しもべ同志の良い関係がもてるようにという考えがあって、せっかく赦したのに、自分が赦されていることを忘れて兄弟姉妹を赦すことができない者は、神様の計画された働きをすることができないので、神の大きな怒りをかって排除されてしまいます。これが最後の裁きです。
 
 私たちはどういう状況にあろうと、今神に赦されてここに集まっているのです。お互いを赦し受け入れようとする心が無ければ、互いのつながりは切れてしまいます。
 愛とあわれみの心は、人間関係を築くのに最も大切なものです。
 この教会が人々から尊敬される教会として、大きな天幕を張るためには、綱の長さと強さが必要です。
 これから多くの人々が、教会に導かれて来たとしても、綱が短ければ、天幕を小さくせざるおえなくなり、救われるべき人を救えないという残念な状況になってしまいます。
 それは神様のみこころではありません。
 私たちは新しい50年に向かってさらに綱を長くして、たくさんの神の家族があふれるようにして、そして強固なイエス様という杭にしっかりつながって、この広島の地に、神の平和の街=<エルサレム>を築き上げて行きましょう。




 

2002年8月18日 日曜礼拝メッセージより (辻 秀彦 主任牧師)
● 神の裁きの日まで、どう生きますか?
    〜ノアの生き方を通して〜

しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
第2ペテロ3:7

 神様のさばきの日は、絶対に来るという事は確実です。
 先週は、キリストのもとに引き上げられて、神様のさばきから救われることを目指して、敬虔な毎日を送ることが必要なんだということをお話しました。
 今日は、そのためにどうしていけば良いのだろうかということをお話していきたいと思います。
 今、お読みしました「第2ペテロ3:7」には、この天と地は、焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どもに対する神様のさばきがいずれやって来るんだと書かれています。
 焼かれてしまうためにこの地上はあるけれど、決して私達は無駄な時を過ごすわけではなく、すべてのことには、神様のご計画があります。
 ではその時をどのように過ごしていけば良いのかを第1ヨハネ2章から見ていきましょう。

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
第1ヨハネ2:15〜17

 やはり、目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢などを期待しますよね。それほどぜいたくをしたくはないけれど、あまりつらい思いをして心がゆがんでしまっては悲しいので、多少の安心できる生活をしたいと私達は思います。それは普通の健全な欲求であり、良いと思うのですが、それが始まりでもっと良いもの、次にもっと良いものと、ついつい欲がふくらんでいき、大切なものから目が離れてしまって、気がついたら、この世の罪と一緒にさばかれてしまうという、むなしい結末をむかえてしまうわけです。
 そうならない為に、私達はこれからどのよう生きていくかという事ですが、イエス様は私達に神様のさばきの時まで、どのように過ごすことができるかについて紹介しています。

人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
ルカ17:26、27

 この地上に一度、神様のさばきが下った時がある。全世界に対する神様のさばきがあった。それはノアの大洪水の時であった。と、ここでイエス様は言われています。
 この大洪水はどういう理由で起こったのでしょうか? 
それはこの地上にあまりにも悪が満ちて、神を敬う敬虔な人は、ノアとその家族しかいなかったので、神は地上に満ちた悪をさばき、一掃する為に大洪水を起こされたのです。
 神に対する不敬虔な生活がこの地上に満ちた時に、神は水をもってさばきを現わされました。
 神が罪をさばかれるという事実は、歴史上あったのです。そして、最後のさばきがあることを、イエス・キリストはこの地上に来られて、もう一度お話しをされました。
 ノアの家族8人が救われたのは、神様から示された箱舟を造ったからです。神様は最後のさばきから救われるように、ノアの箱舟のような、イエス・キリストの救いを全世界の人々に紹介されました。
 神を敬う人々を一緒に滅ぼすことは、できないわけですね。神を敬うというのは、100%罪をおかさないという意味ではありません。神に対する敬虔な心を持っていても、やはり失敗をする、罪をおかすということはあります。でも、その罪から離れようと努力し、心を入れ替えて、その罪に完全に勝利するんだという前向きな心で進んでいくことが、神の前に敬虔な人の心ですね。あきらめないで続けていく、私達クリスチャンはそうですよね。アーメン。
 キリストが再臨される時(神のさばきが下る時)と、ノアの時代は良く似ています。ノアが大洪水が起こるまで、どのような生き方をしていたかを学び、それを通して、キリストが再臨されるまでの私達の生活を、良く考えておくことが必要です。
 ノアの過ごし方から、2つのポイントを見つけることができます。

ポイント1 箱舟を完成させる
 ヘブル11:7
「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」

 神の警告を受けてからのノアの人生は、何をするのも箱舟を完成させることが目的でした。ノアは100年かかって箱舟を完成させました。(ノアの人生は950年であった)大洪水の中で保たれるために、しっかりとした箱舟を造る必要があったのです。
 この箱舟と、私達の神に対する救いの信仰(神に対する敬虔な心)は一緒です。
 箱舟を完成させるということは、天地の造り主なる唯一の神がつかわされたイエス・キリストのおことばに、心から喜んで従っていく敬虔な心を全うすることです。
 私達の毎日の生活の中で神がキリストを通して語られた、ただ一つの戒め、それは、救い主が私達を愛してくださったように、あなた方も互いに愛し合いなさいということです。それは、自分の命を他の人の救いのために役立てていきなさい。私達が舟を完成するために、互いに協力し合いなさいということです。さばきがやって来るまでにいかに互いに愛し合うという生活を完成させるか、これが神のさばきから救われる1つ目のポイントです。
 皆さん、自分の利益のためだけではなく、お互いに救われるために何とか協力しあっていくという心構えで、互いの生活にかかわりを持っていきましょう。決して神に対して、つぶやき、不服を言って離れて行くことのないように、多少の愚痴、不平、文句はあったとしても、神様は良い方だから、きっと何かお考えがあるんだと励まし合って、神に対する敬虔な心を持って過ごし続けることが、救いの箱舟を完成することになります。
 傷ついた人達の人生に少しでも助けの手がのべられるような、そんな気持ちでその人の為に祈ってあげたり、必要なものを与えてあげたり、励ましを与えてあげたり、いろんな話を聞いてあげたりして、神に対する良い思いを持って、お互いに「イエス・キリスト再臨までがんばろうね」と、そういう言葉でしめくくることができれば、箱舟が完成されていくといくことです。

ポイント2 神の義を語り続けた
 第2ペテロ2:5
「また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました」

 ここで、ノアたちがどのような生活をしていたか、2つ目のポイントを見ることができます。
 「義を宣べ伝えたノアたち」とありますが、これはどういうことかと言いますと、神様の正しさを周りの人々に語っていたということです。
 陸地で大きな舟を造っているノアたちを、そうしてそんな事をしているのかと、人々は不思議に思いました。ノアは神様がこの罪に満ちた地を大洪水によって滅ぼそうとしておられる事を話し、悔い改めて一緒に箱舟を造りましょうと、言いましたが人々は信じませんでした。それでもノアは神の救いと、さばきが本当にあることをくじけずに語り続けたのです。

 神のさばきの時まで、ノアの生活の中心が<箱舟を完成させる事>と<神の義を宣べ伝える事>であったように、私達もキリストの再臨まで、この2つの事を中心とした生活をしていくことが、この地上に残されている目的なのです。週に一度の礼拝を通してイエス様の教えを受け、神の義とさばきと救いについて、正しくうけとめられるようになり、共に賛美することによって、神に触れられて心に望みを大きくふくらませて力強く歩んでいくことができるのです。これからも共に進んで行きたいと思います。アーメン。

 キリストが再臨される可能性のあるのは西暦2026年前後と考えられています。あと20年くらいと考えると、その間に信仰生活を完成することができると思います。私達は神のさばきがあることを真剣に受け止め、1日1日を送ることが神を畏れる心の現れです。その真剣な姿が世の中の人々への証となります。ですから、20年後という遠い先を考えるのではなくて、20年後までに信仰を完成させるように、そういう気持ちでクリスチャン生活を送っていきましょう。アーメン。





   

2002年8月11日 日曜礼拝メッセージより (辻 秀彦 主任牧師)
● 世の終わりのクリスチャンの道〜3タイプ〜 
しかし、主の日は、盗人のようにやってきます。その日には、天は大きな響きをたてて消え失せ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
(第2ペテロ3:10〜11)

     
 働きに応じて報いが違うように、クリスチャン生活の忠実さの違いで、どうなるかが決まります。そこには3通りのクリスチャンの道があります。

(1)空中再臨の主のみもとにひき上げられる
  (天にイエス様が現れるとき引き上げられる)クリスチャン

 この時期はわかりません。イエス様は、突如として盗人のようにやってこられます。この再臨の時、皆がイエス様のもとに引き上げられるわけではありません。地上に残されるクリスチャンもいるのです。
 <第1テサロニケ4:13〜18>には、ベストなクリスチャンの行き先が書かれています。ここには、生きたまま再臨を迎える人と、再臨までに亡くなって復活して引きあげられる人と2種類あります。「先に死んだクリスチャンのことを悲しまないように。再臨があればイエス様のもとでまた会えるという希望をもつように。」と言っています。主のみもとに引き上げられるのは、クリスチャンは皆なのでしょうか。ここにある「キリストにあって眠った人々」とは大切な言葉だと思いますが、どういうことでしょうか。
 <第2ペテロ3:11〜17>をみてください。神は7節にあるように「この天と地は、不敬虔なものどもの裁きと滅びのためにとってある」と定めています。今の天と地が崩れ落ちるとは大変な出来事です。ノアの時代に、神は水によって地を裁かれました。その水による裁きから救われたのは、たった8人でした。そして、今の世界は不敬虔なものたちの裁きの日まで保たれ、その日には火によって地は焼け崩れ去っていくというのです。神は、罪をさばくために自然の異変をもってこの地を裁くということです。その裁きから救われるために、どれほどきよい生き方をした敬虔な人でないとならないでしょうか。この地が火と硫黄で焼かれる前にキリストのもとに引き上げられる人々は、「どれほどきよい生き方」が必要か、神の前に敬虔な、神をおそれ敬う心を持っていなければならないことでしょうか。これは善を行うかどうかでなく、神への心構えをさしており、罪を犯すかどうかが問題ではなく、神の価値観に合わせて生きていくかどうかです。これはしていいかどうかという観点で生活している人ではなく、神に喜ばれたいという思いを持って敬虔な人生を積み重ねていく人は、裁きの前にキリストのもとに引き上げられるのです。
 <第2テモテ4:1〜8>「信仰を守り通す」のが引き上げられる条件です。パウロは再臨前に殉教しました。彼は、「私は走り通した。最後まであきらめなかった。勇敢に戦ってきたつもりだ。信仰を守り通した」と人生を振り返りました。このように自分自身で納得できる人は、100%引き上げられます。本人が自信がなければ、わかりません。自分が確信が持てるクリスチャン生活を送っておくことが引き上げられる一番確実な方法です。パウロのように「信仰を守り通した」といえる状態に自分をもっておく必要があるということです。聖書は100%確実な方法が書かれています。残るかあげられるかのどちらかです。中途半端では勝手な解釈をしてしまいます。あなたが迷っているなら、確実に引き上げられるよう自分の信仰生活を悔い改めて神のもとに立ち返ることです。「走るべき行程を走り終えるんだ」という覚悟をもって歩める毎日をたてあげていくということが大切です。もしくは死ぬまでに「信仰を守り通した。」という確信の持てる歩み方に早く到達しておくことです。今がチャンスです。

(2)キリストの再臨に引き上げられなかったクリスチャン
  <マタイ25:5〜13>賢い娘たちは引き上げられますが、愚かな娘たちは残され、「知らない。」と言われ、戸を閉められて開けてもらえず、花婿を迎えて、一緒に祝いをするはずがとどめられてしまいました。結婚式に間にあわず、ばしっと止められたらどうしますか。ふてくされて帰りますか。腹をたてて、暴言を吐く?戸を蹴る?これらは、絶望感であり、失望感からくる怒りの状態です。これを聖書で歯ぎしりするといいます。歯ぎしりは極度の苦しみを意味し、全くの絶望に打ちひしがれる状況のことです。<マタイ8:5〜12>
 ここは異邦人と選民(ユダヤ人)のことをいっています。異邦人の百人隊長は、ユダヤ人たちの神、天地創造の神に心開き、ユダヤ人たちを大切にしました。彼の部下が病気になったとき、イエス様のもとに使いを遣わし、「お言葉だけください。」と神の権威をもってこられたイエス様なら、そのことばだけでいやすことができると権威に対する尊敬をわきまえていました。ユダヤ人たちは、創造主への権威への恐れをもっていませんでした。信仰には、「敬うべきものを敬う」ことが含まれています。選ばれていても、尊敬の心がなければ、歯ぎしりするところにおかれるということです。クリスチャンでも、今は選ばれてここにいても、神のお立場に対して軽んじていれば、引き上げられず、歯ぎしりするようになるということです。都合のいい御利益宗教として来ているなら、歯ぎしりする場所、極限の苦しみの場所に追いやられます。 
  <マタイ22:1〜14>選ばれた人とは、ユダヤ人たちのことです。8節まで、彼等が、神の権威に服することを嫌がり、気ままな生活をしたいということが表されています。そこで神は異邦人に目を向けられて、悪い人もいい人も招かれました。招かれた人は「礼服を着てくる」ことで、王子の結婚に招かれたことに対して王への敬虔さを表しました。礼服を着ていないということは、王への態度が正しくないということであり、王を敬う心がないということです。異邦人も「信じる者はみな救われる。」と招かれましたが、天地の王である神の息子イエス・キリストの結婚式の祝いに出る招きを受けて、それ相応の気持ちで行かなければ、招きは無意味となり、外に出されて歯ぎしりするようになってしまいます。

●歯ぎしりする場所とは〜<黙示録13:5〜8>
 再臨の後、獣が世を支配する時代が来ます。そこに残っているクリスチャンがいることが書かれています。反キリストの支配下の中で、クリスチャンはこの獣にやられてしまいます。刻印を受けず、獣に従うことを拒否し続ける人は死に追いやられます。この残されたクリスチャンは、歯ぎしりしている状態です。不敬虔さの故に引き上げられる状況ではなかったのです。その人たちが、唯一キリストのもとにいく最後のチャンスは、獣の42ヶ月間の支配の中で、彼に従わず信仰を守り通すことです。これは、大変な歯ぎしりするときであり、大変な苦しみのときです。それを耐えたなら、歯ぎしりする人が千年王国に入れるのです。<黙示録20:4〜6>には獣の支配に従わずよって殉教したクリスチャンたちがどうなるか、書かれています。引き上げられなくても心配しないでください。最後の望みとして、再臨があったことに気付いて、後は殉教死するだけです。パウロのように信仰を守り通す覚悟が、携挙(引き上げられること)を通して中途半端なクリスチャンに与えられ、激しい歯ぎしりと苦しみにあっても、最後の覚悟をし、永遠の裁きをさらに確信することによって、肉体の死への恐れを取り除き、殉教していきます。その人たちは、携挙された人たちと同じように千年王国で、キリストと共に王としてその地を支配するという大逆転があるのです。これが確実にキリストのみそばにいける方法です。いったんだめだとあきらめるようなことがあっても、信仰を守り通したら、もう一度チャンスが与えられるのです。ただし前のような楽な信仰生活ではなく、この地上での命をかけて信仰を守り通す、神への敬虔な心をもち続ける命がけの試みがやってきます。満塁ホームランの大逆転で、もう一度キリストと共に千年王国を支配することができるのです。
 
(3)最後の裁きによみがえるクリスチャン

 携挙された人と、千年王国の前によみがえることのできた人は、最後の審判といわれる白い御座の裁きには、なんら影響はありません。裁かれる必要がなく、確保されているからです。それ以外の携挙の時によみがえらないクリスチャンたちは、最後の白い御座の裁きの時に、すべての死人が神の御座の前に立つ時に、いのちの書に名が記されている者は、御国に入ることができ、その他の者は火の池に投げ込まれると書かれています。いのちの書に名が記された人は、携挙のときによみがえらなかったけれど、信仰告白したクリスチャンです。彼らは、クリスチャンの報いである千年王国を支配するすばらしさは味わえませんが、新しい天と地に入ることは出来ます。(諸国の民の部類の人です。)新しい天と地には、新しい都があり、千年王国をキリストと共にした人が住むことができます。その他の諸国の民は、この都には出入り出来ても住むことはできません。だから、最後の審判までよみがえることのできない人々は、ただいのちの書に名が記されているということの故に、新しい天と地に入るという恵みをいただいています。この人々がどの程度の信仰か、私たちに量ることは出来ません。「いのちの書に名が記された」というしるしは、イエスキリストを救い主をとして告白し、受け入れることです。さらに確実なのは、洗礼を受け、聖霊を受けることです。しかし、聖霊を受けた人でも携挙されないのは、ともしびは持っていても余分な油がなかったからです。最後の審判までよみがえらなかった人々は一応救われてはいますが、都に出入りできても、住むことはできません。クリスチャンの最高の喜びは、キリストとどれだけ近くにいるかではないでしょうか。信頼し、尊敬し、愛し合える方が身近にいればいるほど幸せ感は大きいものです。ですから、新しい都に住むのとそうでないのは、大きな違いがあります。それだけの報いが与えられるということです。この違いは、これからあなた自身が選んでいくのです。

 このようにクリスチャンの3つの行き先があります。今あなたがどうなっていくかは、あなたが選ぶこと。まだ福音を知らないあなたの身近な人々がどうなっていくかは、あなたの信仰生活の証し次第です。それを見てキリストの再臨があり、神の最後の裁きがあることを信じることができ、死ぬ間際でも信仰告白が導かれれば真剣に祈り、白い御座の裁きでは恵みによって救われるかもしれません。問題は神を敬う心があるかどうかです。地獄に行きたくないということでなく、創造主を認めるかどうか、敬虔な態度をもつことができているかどうかです。敬うべき相手に心からそのような態度をもって接するかどうかです。確実に楽な方法で、キリストのもとに引き上げられ、一番少ない苦しみで千年王国のキリストと共に支配する王座につくのは携挙される信仰です。これを心に覚えて、あなたの信仰生活を送り、まわりにいる人の証しとなってください。あなたの存在が、最後の審判を証しするものとなってください。神が愛してくださっている神の子供たちのために、神の国が用意されていることに心をとめましょう。私たちがみな、キリストの再臨のとき、携挙されるために、聖書を残し、助け主なる聖霊様を送ってくださっています。今日、これを聞いた以上は、あなたの責任です。三つのうちのどれかを選択していくことになります。



 

2002年8月4日 日曜礼拝メッセージより (辻 秀彦 主任牧師)
● 目 覚 め よ (7)
  〜収穫の時に収穫をする〜
夏のうちに集める者は思慮深い子であり、刈り入れ時に眠る者は恥知らずの子である。
(箴言10:5)

 「夏」「刈り入れ」ということばは、イスラエルでは小麦の収穫を表します。仕事をする時に、仕事をしなかったらどうなるでしょうか。収穫の時はいつでもあるのではなく、特に小麦は、夏を逃したら手に入れることがもうできないものです。小麦とは、この地域の主食です。それゆえ、それがないというのは大変な恥なのです。
〈どうして恥なのか〉
 もし小麦がなかったらどうするでしょうか。最初は友人に借りにいくでしょう。しかし返す当てがないので借りにいくのにも限界があり、次には親類の家にいくようになるかもしれません。そういう風に何度もいろんな家々を回っていくと、回りの人々は何て恥知らずなんだろうと見るようになり、本人はそう思われていることも知らずに、いわば物乞いのような生活にまで落ちてしまいます。私たちがするべき時にするべきことをしなかったら、いずれ恥をかく時がやってきます。

〈クリスチャンとして収穫すべき物は何か〉
 イエス様は(箴10:5)を用いて、弟子たちに教訓を与えられました。(ヨハネ4:31〜35)を見てください。イエス様はサマリヤを通られた時、一人の女性と井戸で出会い、彼女に福音を語られました。その間12人の弟子たちは、イエス様を一人残して全員でパンを買いに行っていたのです。それほど弟子たちは空腹
だったのかもしれません。何も知らずに帰ってきた弟子たちは、イエス様に「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」と言われます。まるで、何かを食べて満足しておられるようなイエス様のようすに驚く弟子たちに、さらに「父の御心を成し遂げることが、自分の食物である。」と言われました。
 一人の女性が救われることが、父の御心であり、それを成し遂げた時に空腹も忘れるほどの満足感をイエス様は味わわれておられたのです。
 又、35節で、突然刈り入れ時の話をされます。それは小麦の収穫のことではなく、全世界の人々が救いを得ることができるような、収穫の時が来ているということを示して言われたことばです。ここの場面は(箴10:5)とぴったり合います。ペテロやヨハネたちは「人間を取る漁師になりなさい。」というイエスの招きによって、魂の収穫をするために、イエスについてきました。ところが、彼らはそれを忘れて空腹の方に心が向いて、12人そろってパンを買いに行ってしまったのです。しかし、イエスはその間一人の女性の救いのために、その井戸の所で彼女を待っていました。肉を養うことに心を向けるあまりに肝心のことに間に合わなくなるような眠った状態にならないよう、いつも目を覚ましていなさいと、イエス様は弟子たちに言われたかったはずです。しかし、弟子たちは何を言われているのか少しも悟ることができませんでした。
 これは現代の私たちへのメッセージです。今、私たちは目覚めているしるしとして収穫をしているでしょうか。社会から孤立し、色々なことに絶望し、心がすさんでしまっているひとりの魂に、イエスは語られ、人生はこれで終わりではなく永遠に続くものであるという希望を与えられました。私たちは、人生に疲れ失望している人々に対し語る必要があるということを、回りの環境を見て知る必要があります。

〈2001年 高校生アンケートから〉
 日本とアメリカと中国を中心に行われたアンケート調査の結果です。日本の高校生の70%は、自分はダメだと自己評価を下しています。願いをやり遂げることに対する自信のなさが、自己否定になっています。中国の高校生は、自分の希望している大学や職場に対し頑張ろうという望みをもっています。日本の高校生たちは、今の夢は何かという問いに対して「思い切り遊んで好きなことをすること」と答えています。こんなことが夢というのは、何か大きな束縛を受けているのかも知れません。さらに、進学をどこまで考えているのかという問いに対して、アメリカの高校生たちは、4年生大学以上を望む学生が60%以上で、中国では大学院まで行きたいという答えが60%です。それに比べて日本では、4年生大学でいいという答えが35%、あとの65%は大学へ行くことも関心が無くなっています。それぐらいに今の10代の中心である高校生たちが、何か病的に悩み希望がもてない状態になっているということです。それに応じて、最近では全学科を学ぶのではなく、もっと専門的になり、文化系の学生たちは1年生の時に数学を学ぶだけで、2年からはしなくていいとか、あるいは「国際科」などといった色々な目新しい学科ができて、何とか高校生たちの関心をひき出そうという努力がなされています。
これらのことから、高校生たちが将来を夢見る元となる、今の大人の社会に対し何ら希望をもてない状態であるということが見えてきます。
経済的に言えば、国家予算が破たんしていつインフレになりお金が紙切れ同然になってしまうかわかりません。又、最近起こっている殺人事件を見ても、一般の人間の犯行とは思えないようなプロ級の手口になっており、遺体を焼いたりバラバラにしたりします。さらには、殺した人間と殺された人間に何ら人間関係がないのに突如としてその場的突発的に事件が起きています。この6月7月でニュースに出てきた殺人事件だけでもその異常さがわかります。自分が滅ぼされる前に相手を滅ぼそうという殺意があふれでて止められなくなる精神状態が出ているのではないでしょうか。人々の心に何かとんでもない異変がおこっています。救いが必要です。真理が必要なのです。その真理とは「存在の目的」であり、創造主なる神です。
 神を知らない人々には真理がありません。私たちは創られた目的があるというところから自分の人生に意義を見い出し、人生の目的を見つけることができます。しかし人々は迷い、この真理に飢え渇いています。イエス様はその証しをしっかり立てられた方です。神の大きなしるしと奇跡をもって、ローマの矛盾した社会の中で、人々に永遠の人生への希望を与えられました。
今がこのような刈り入れの時期であるならば、眠っていて自分のことばかりにかまけていてら収穫は味わうことができません。収穫はいつまでもあるものではありません。季節は過ぎてゆきます。自分のことばかりにとらわれて、時期を見失わないようにしましょう。
私たちの幸せは、イエス・キリストを生活の中でしっかりと証ししてゆくことであり、そのことによって回りの人々が神を知り、神のもとに立ち返るようになることです。私たちは議論はしません。ただ真理を証ししてゆくだけです。それを認めるかどうかは相手の自由です。信仰はあくまで自発のものなのですから。キリストが本当の救い主であるということの証しを、私たちは私たちの生活を通して表してゆきましょう。行いの完全さからではなく、たとえ未熟であっても、欠点がたくさんあっても、そういう私たちでも救われるというすばらしさを、回りの人々に証ししてゆきましょう。
大切なのは神を敬う心です。たとえ0点のクリスチャンでも救われます。神の御心はすべての人が救われることです。自分の信じているキリストは、宗教の神ではなく、生きて働いておられる神であり私をここまで造り替えることのできる方ですということだけでも、充分ネ HEIGHT="24" ALIGN="BOTTOM" BORDER="0" NATURALSIZEFLAG="3">
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 (マタイ21:28〜30)で、恥知らずの子とはどういう子供かがわかります。父親が畑に手伝いに行ってくれるよう頼んだ時、兄はやす返事をしますが実際には行かず、弟は最初は拒否しても実際には行きました。やす返事をしても実際には行かない兄のような人は、やがて信頼を失ってゆきます。これは大きな損失です。何かを頼む時に、確かにやってくれるという印象をもたれるのは弟のような人です、それゆえ、信頼を勝ち取り大きな責任を任されるのは弟のような人です。その時、兄という立場の人は恥をかくのです。私たちが神の国に入る前に、すべての行いに対して裁きが行われます。最初がいかになまけた生活をしていても、途中で真剣に悔い改めたなら、その人の方が神の信頼を勝ち取ります。自分はまじめだし大丈夫だと思い、真剣に悔い改める必要すら感じずに、結局神の信頼を得ていなかったことに気付くなら、それはどんなに悔しいことでしょうか。大変な恥です。
 神の信頼を得るために、私たちは収穫の時に収穫するということを、忘れないようにしましょう。